前回のノンフィクションブログ
姪っ子たちの喧嘩
母は理解しない、姉は苦悩してた
という話しです。
洗脳と思い込み
母は姪っ子たちの喧嘩に割って入り
母の勝手な解釈と態度に
姉は苦悩してた。
母の規律を守るスタイルや厳しい面が
あったのは、母のこれまでの人生の影響もある。
母は戦後間もなくの生まれで
食べ物も貧しく
田舎でもあったため色んな苦労をしてた
お金の無い貧乏暮らしであった。
中学校卒業後働きながら通える専門学校へ
学費を稼ぎながら
国家試験合格が必要な職種を取得してた。
モノを大切にする、食べ物の有り難みを
重んじ、日々の生活が普通に送れる幸せが
どれだけ大切で感謝するものなのかと
私は小さな頃から聞いていた。
少し割愛しますが
聖人君子のような心持ちのある母だと
私は自慢出来る、立派な母だと思ってた。
しばらくして…
私が素行悪かったり迷惑をかけたりと
若さ故の過ちが過去にありました。
母の教えと世の中のズレとの葛藤や
亡き父への印象も傍若無人だとか
母の話は正しい、他は違うのよと
教え込まれた、所謂洗脳に近い状態に
あったのもあり
成長過程で他所様との違いに気付き
暴走したことがありました。
それでも洗脳が抜けてない私は
母は真っ白(心が綺麗)
私は真っ黒(心が汚い)
そういう色分けさえも私はしてました。
兄や姉は私に寄り添い
私の愚挙や悪さが、手の届かない所まで行かないよう食い止めてました。
特に姉は母よりも私の気持ちを汲み取り
何故、愚挙に走ったのかを考えたり
凍りついてた私の心を少しずつ溶かし
親身になって私の根の部分を
正してくれたのは確かである。
その頃の母は
私が生んだ娘だから
何があっても大丈夫
母の言う事を守りなさい。
親の言う事を守ればいいのよ。
他人に何かを言われても
人は人。などなど。
こういう教えが良かったんだと
思い込んでいたのでした。
母は何も私にしてません。
私に寄り添った考えや気持ちをその場しのぎでしかしてませんでした。
親の役目だから。私が生んだから…。
そういう洗脳だけ。
今思えば
親身になってたのは兄と姉だけである。
亡き父の事も散々悪口や文句を
幼少時代の私に言い続け
悪は父と、させられてたのもあります。
母は私を洗脳し続けてたから
思い通りになる私を姉よりもと比べて
1番話しやすい娘と位置づける。
姉とはそりが合わない、母はいつでも
そう私に言い続けてた。
母は私を手懐けてると思い込み
何を言っても許されると思ってる。
今の私は母を突き離す発言をしてる。
母がした洗脳と思い込みが
私が母にそれは違うよと言える時を
完全に逃してしまってたのでした。
今の母はあれだけ悪と言ってた
傍若無人に
今は変貌しているのです。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました
次回は
言う事を聞かない姉
まだ私は母の洗脳が取れてない部分がある
姉は今でもそこに手を差し伸べてくれてます