月日が流れる時間って
 
早いようで遅いようで


我慢しないで沢山、泣くことにしてたら
ほんのり、気持ちが落ち着いてきてて


突然泣きじゃくることも
ほんのりになってきていて


情緒不安定も少し落ち着いてきてる



いつまでも悲しんでたら…と
思える時も多くなって来てます



『ナナの存在が無い』に
ようやっと慣れて来てるのかな


ま、まだ、目線は下になって
確認してしまうのは
「癖」なんだろうが…これは仕方ないですよね




ナナは精一杯、生きてくれてました

ナナのお世話も精一杯、一生懸命しました

私は後悔はありません



亡くなった事は悲しいし辛いし
苦しくて、心の拠り所にしてた分

日々の生活が狂ってしまったのは
『共存』してなかったから
『依存』してたからであったんだと

本当に知らされてます


依存というより『執着』に近いかな



人様に『依存』も『執着』も無く
『共存』出来るのに

動物には依存体質になりやすいと
改めて分かりました



人は嘘をつく
人は騙す
人は信用ならん
人に期待しない
裏切られる


などと、そう生きて来てしまってたので
(やられてきたからそうなったまでです)


人間には依存も執着も無く
(諦めですね)

姉貴には『淋しい性格ね』って
言われちゃってたぐらい
徹底した生き方をしていたから

猫という自由な生き方の動物を
こよなく愛し、愛し続けられたのかもしれない


人様を愛する事が出来ない
自分も愛せない
そんな私なんです



だから、動物に愛を注ぎ
依存して、執着して

一生懸命することで
自分の尊厳を尊重を
自分自身で守っていたのかもしれない


正解も不正解もないだろうが

こんな生き方をしてきたんだと

ナナを亡くして知ることになる



まだまだ
私は人間として生きて行く事への
修行中なのだと思います