2月14日、
大垣弘子先生が永眠されました。

「バレエを習いたい!」と突然言い出した小学2年生の私に、母が色々調べてくれて、大垣バレエスクールへと通わせてくれました。
これが私の踊り始め。
大垣先生にたくさんたくさんご指導頂きました。
厳しくもあり、優しくもあり……
私にとっては大人になってからもずっと、
大尊敬していた恩師でありました。

宝塚歌劇団出身の先生でしたから、
バレエのテクニックはもちろん、
表現力をつける為に、と
子供の頃からジャズダンスも習わせて頂きました。これが間違いなく今の私へと繋がっていることは言うまでもありません。

まだそんなにコンクールコンクール!という勢いのない時にも、私が東京のコンクールに行きたい、と言ったら快諾して下さいました。
先生と最初で最後の二人旅でした。
踊るよりも緊張しました(笑)幸せでした!
ホテルでメイクして、ホールへ移動するのに、顔を隠す為に先生のカッコいいサングラスをかけさせてもらいました。お団子に髪飾り、ジャージにバレエメイクにサングラス、そして大荷物……ほんと面白かった(笑)今なら携帯で簡単に写真とれるけど、その時はね、まだそんな時代じゃないですから……(笑)でも、めちゃくちゃ鮮明にそれらの景色は覚えています。大切な思い出です。


高校大学大学院と、本当に忙しい生活になっていきましたが、レッスンには大遅刻してでも出きるだけ通うように頑張りました。
時々、先生が2階のご自宅から稽古場におりて来られてみてくださる緊張感も覚えています。


大学院を卒業する少し前に、
仕事をどうするか考え出したタイミングで、
今所属している柴田バレエスタジオからの指導依頼が入りました。
柴田先生も宝塚歌劇団出身の先生で、大垣先生の後輩にあたられる方でした。
大垣先生は、しぶる事なく、
「しっかり頑張りなさい!スタジオの役にたてるように。ふきちゃん(柴田先生)の事よろしくね。」と笑顔で送り出して下さいました。


そして、その後も、大垣っ子として、
レッスンに行けるときは参加させて頂き、
発表会にも何度か出演させて頂きました。
先生は変わらず、私の踊りに対して
ダメ出しをしてくださり、
終演後は良かったよ!!と言って下さいました。


振り付けの勉強も学生時代からしていましたから、発表会でも何度か自らの振り付けで参加させてもらったのですが、それに関してもたくさんたくさんアドバイス頂きました。



大垣先生のもとで踊り、舞台について学び、
そこから羽ばたいたメンバー!と思って頂けるよう、私なりに誇りを持って進んできたつもりでした。


ご縁があって、宝塚歌劇団の振付助手に入らせてもらえるようになった時も、先生に報告させて頂きました。「そう!!しっかりね!!頑張りなさい!!」と、先生は変わらず笑顔で応援して下さいました。


大垣バレエの発表会に出演出来なくなってからも、観劇には行かせてもらっていました。そこで、カーテンコールにかっこよく舞台センターに現れる先生が大好きでした。
客席は、まるで同窓会のように、子供の頃から一緒だったメンバーが集います。それはやはり、大垣バレエが本当に素敵な空間で、ファミリーのような場所だったからだと思います。愛にあふれていました。


2月14日、大垣バレエのメンバーから
先生が永眠されたと連絡が入った時、
私は東京に向かう新幹線の中でした。
宝塚のお仕事でした。
舞台のお仕事ですからお通夜も葬儀も
伺うことは出来ません。
でも、先生の古巣である宝塚という場所で、
私はその時間お仕事させて頂けていることに、
胸をはって過ごそうと思えました。


葬儀に行けていないからか、
正直本当に実感がありません。



これからも、変わらず、
大垣バレエで育ててもらった福島直美として、
背筋を伸ばして、
精一杯で舞台に、人に、向き合い続けたいと思います。



大垣弘子先生、
本当に本当にありがとうございました。