本日はずーと鈴鹿と亀山で仕事でした。
特に写真を撮ることもなかったので、
昨日の昼休みに撮った桑名の紹介をします。
さて,
東海道五十三次には唯一の海路があります。
七里の渡し。(28km)
鳥居があります。その先は神社がありません。川です。
五十三次の絵にもかいてある桑名城の櫓(復興)
本多忠勝知っていますか?
後ろの槍は有名な「蜻蛉(トンボ)切)
ここは、徳川幕府にとってとても重要な地です。
歴代の徳川家臣団が代々守っていました。
なぜ東海道のここの箇所が海路かというと、
この辺りは大洪水&湿地帯で歩けなかったんですね。
小学校でもならった輪中。
薩摩藩もかなり幕府を恨んでいたことでしょう。
莫大な費用の負担が看板に載っています。
切腹した武士や病気で無くなった方も多数出たとのこと。
しかしこの時代で、
この治水方法を考えた人もすごいなぁ。と関心します。
明治時代の治水
かなり広範囲だと分ります。
若いとき、大阪に住んでいたころ、
阪神工業地帯が、なんで中京工業地帯に負けるねん!!
と思っていました。
大阪 VS 東京
と思って名古屋や愛知なんて相手にも
していませんでした。
しかし、三重に来て、名古屋に行くと、
広大な濃尾平野に驚きます。
米も人も集まり、伊勢湾があって、
大阪が勝てるわけないと、思ったものです。
今はほとんど堤防が築かれ、
ほとんど浸水しなくなりましたが、
人々の苦労が伝わる
昼休みでした。
ここは、以前紹介した六華苑の近く。
石垣は桑名城の石垣で貴重です。
水路を生かした街ですね。
そして、有名な「柿安」
その前の公園の駐車場にとめて散策しましたが、
20分くらいでしっかり回ることができました。
よかったら、散策してみてください。