熊本の豊かな水は、先人たちの工夫や努力によっていつも守られてきた。
特に、熊本城を造った加藤清正公は “ 土木の神様 ” と称され
治水・利水に類まれな力を発揮したとされる。
清正の偉業は、今も熊本の人々の生活の中に息づき
恩恵を与え続けているのだ。
菊池郡菊陽町・馬場楠堰井手に残る通称、「鼻ぐり井手」もその一つ。
ここで見る事ができる鼻ぐり構造という400mの部分を
「鼻ぐり井手」 と 呼んでいる。
公園から見おろす下方にそれを見ることができる。
加藤清正は白川沿いのここ馬場楠村に大きな堰(せき)を作り
頑丈な人工の用水路(井手(いで)=人工の川)を掘り、下流の
詫麻・益城・合志の3郡の田に水を引いた。
阿蘇から流れくる白川の流域は阿蘇の火山灰(熊本ではヨナと呼ぶ)による
土砂が多く岸が高いところでは、土砂をさらえても捨てることができない。
そこで、鼻ぐり(地下の穴)を80箇所作った。
これは岩の上の方を、橋のように残し、その下だけを刳りぬくことで
穴になっており(鼻ぐり=(牛の鼻輪)に似ていることが名前の由来)
水は狭いところを流れ、上の広いところに水を貯えるようにする。
すると、川底の水は激流となり、土砂がかき回され、川下に流れていく
という仕掛けである。
公園内にある鼻ぐりの原寸模型
つまりは、岩壁の下部に水流穴があり、渦巻いた漕の水は井手底の穴より、勢いよく次の漕へ噴流し土砂を巻き揚げ、次々と下流へ押し流されてゆく仕組みになっているのである。
結果、井手底には土砂の堆積がなく
400年以上の現在でも井手底の清掃は行う必要がないのだそうだ。
なるほどだぜ、先人の知恵!
本日は以上です。