土木産業遺産 ・ 「 鼻 ぐ り 井 手 」 | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

熊本の豊かな水は、先人たちの工夫や努力によっていつも守られてきた。

 

特に、熊本城を造った加藤清正公は “ 土木の神様 ” と称され

治水・利水に類まれな力を発揮したとされる。

 

 

清正の偉業は、今も熊本の人々の生活の中に息づき

恩恵を与え続けているのだ。

 

 

 

菊池郡菊陽町・馬場楠堰井手に残る通称、「鼻ぐり井手」もその一つ。

 

 

 

 

 

2003年(平成15)に整備完成し一般に開放された「鼻ぐり井手公園」。
それまでは、井手の全容は、まったく見る事ができなかった。
 
井手全体(約12.5km)の名称は「馬場楠井手(ばばくすいで)」という。
 
加藤清正の時代に築かれた灌漑用水路である。
 
 

ここで見る事ができる鼻ぐり構造という400mの部分を

「鼻ぐり井手」 と 呼んでいる。

 

 

公園から見おろす下方にそれを見ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

加藤清正は白川沿いのここ馬場楠村に大きな堰(せき)を作り

頑丈な人工の用水路(井手(いで)=人工の川)を掘り、下流の

詫麻・益城・合志の3郡の田に水を引いた。

 

阿蘇から流れくる白川の流域は阿蘇の火山灰(熊本ではヨナと呼ぶ)による

土砂が多く岸が高いところでは、土砂をさらえても捨てることができない。

 

 

そこで、鼻ぐり(地下の穴)を80箇所作った。

これは岩の上の方を、橋のように残し、その下だけを刳りぬくことで

穴になっており(鼻ぐり=(牛の鼻輪)に似ていることが名前の由来)

水は狭いところを流れ、上の広いところに水を貯えるようにする。

すると、川底の水は激流となり、土砂がかき回され、川下に流れていく

という仕掛けである。

 

 

 

 

                                                                 公園内にある鼻ぐりの原寸模型

 

 

 

 

つまりは、岩壁の下部に水流穴があり、渦巻いた漕の水は井手底の穴より、勢いよく次の漕へ噴流し土砂を巻き揚げ、次々と下流へ押し流されてゆく仕組みになっているのである。

 

結果、井手底には土砂の堆積がなく

400年以上の現在でも井手底の清掃は行う必要がないのだそうだ。

 

 

 

 


なるほどだぜ、先人の知恵!

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。