これまで32年間にわたって続いたJリーグの春~秋シーズンが、今シーズンから変更されます。
その最初のシーズンの開幕は8月7日とのことです。近年の日本の夏は40℃にもなる過酷な気候になり、正直、なんで、8月7日開幕なの? と思いました。
調べてみると、シーズン終了が2027年6月6日とのことで、これもまた「何で、そんなに遅くまでなの?」と思いました。
すると、12月21日から2月12日まで1ケ月と20日もの長いウィンターブレーク期間(中断期間)をとるとのことです。
つまり、日本の過酷な夏と積雪が考えられる冬の条件を睨んだ、設定だということが見えてきました。

 

欧州各国リーグが、だいたい9月初旬開幕、翌年5月下旬閉幕ということで揃っていますが、日本の気候条件は、なかなか、そのようにはいかないということになったのだと思います。
それにしても、8月から9月初めぐらいまでの日本の夏の過酷さを思うと、キックオフ時間が17時程度に繰り下がったぐらいでは、選手の負担は軽くならないだろうと思いますし、かと言って、日本のスタジアム風景は、子供たちや女性の観客が多いことを考えれば、あまり遅いキックオフ時間にもできない事情があり、悩ましいことだらけです。

ちなみに、いま当方が書き進めている「日本サッカーが世界を追って熱く幸福だった17年間」という原稿の中で、2000年シーズンを書いていますが、このシーズンのイタリアリーグ・セリエAの開幕日がなんと10月1日だったことを知りました。通常の開幕時期より1ケ月も遅いスタートです。この年、6月10日から7月2日にかけて欧州選手権(EURO2000)が行われています。9月にはシドニー五輪も開催されたための日程変更だとは思いますが、欧州選手権に出場した主力選手は7~8月と少なくとも2ケ月のオフは確保されたと思います。こうした日程設定を見ると、代表活動とリーグとの調整、特に選手のオフをどう確保するかという調整が、長年の智恵でできているのだろうなと羨ましくなってしまいます。

まずはシーズン設定変更、最初の1シーズンをやってみて、また、いろいろと微調整しながら、日本的な秋~春シーズンの最適解を見つけていくしかないのでしょう。見守っていきたいと思います。

圧倒的スーパースターがいるわけでもなく、フィジカル的に突出しているわけでもないスペインが優勝しましたね。
しかも「堅い守備で」と、まるでひと昔のカテナチオの国のような、あるいはゲルマン魂のような国の失点の少なさで・・・・。

 

7/21(火) 17:45配信の「webスポーツ報知で金川誉記者は「【W杯】「個の依存」を越えたスペイン優勝に見る日本サッカーの未来 …日本らしさと世界基準を融合させる4年間に」と題した記事を書いていましたが、そのとおりで、これまで積み上げてきた日本サッカーの進むべき方向性が間違っておらず、完成形をスペインが見せてくれた、そんな感じです。

 

産経新聞は見出しに「パスサッカー 極致」と打ちましたが、自分たちがボールを保持し続けていれば点はとられない、そんなマンガなどで語られる究極の理想形を現実のものとした、それが今回のスペインでした。

 

その結果を受けて、セルジオ越後氏は「これで日本が永遠に優勝できないことがわかった」と彼らしく言い切りました。これだけのレベルの選手を揃えることは日本には永遠に無理、という意味のようです。

だからと言って日本は目標を捨てる必要は全然ないと思います。いまのレベルでも日本は、選手が離脱なく揃っていれば、十分勝てるサッカーを作り上げてきたと思います。

ただ解決すべき課題が明確に見えてきたことも事実です。
それは2つあります。

一つは、代表レベルでの本チャンの機会の少なさ、むしろ減少傾向にあるところをどう解決していくかという点です。やはり欧州・南米の国との本チャンの試合機会を増やさないと、差が縮まらないばかりか広がる一方です。
日本はただでさえ、地理的に本チャンの試合機会を得るのが難しいのに加えて、UEFAネーションズリーグの創設によって、日本が欧州の国とのフレンドーマッチが組みにくくなりました。
このまま、座していては置いていかれるばかりです。
そこに智恵が必要になります。FIFAはワールドカップを64ケ国にしたほうがいいのではと言っています。これは、営利的な目論見もありますが、なるべく多くの国にワールドカップ本大会出場の機会を与えたいという正論でもあります。
しかし4年に一度のワールドカップそのものを64まで拡大しては、大会の価値も下がりますし、選手への負担をはじめ数々のデメリットがあります。
そこで日本の出番だと思います。
FIFAは、UEFAが「ネーションズリーグ」を始めたことで、ますますUEFAの懐が潤っていることを苦々しく見てるわけですから、それをアジア、アフリカ、南北アメリカなどのチームも交えた、それこそ「ワールドネーションズリーグ」に組み替えて4年のうちの半分は、それに使うといった新たな提案の推進役になる必要があります。考えを同じくする国と連携してFIFAを動かしUEFAを動かすべきです。

 

もう一つの課題、それはケガによる離脱者の減少、むしろ「ゼロ対策」への国をあげての取り組みです。
今大会、ベスト4はFIFAランキングどおり、そのまま反映されました。それだけ選手層が厚いのも要因だと思いますが、主力選手のケガによる離脱の少なさも大きいと思います。
7月2日にも書き込みましたが「そもそもケガをしない身体づくり」に国をあげて取り組まないと、こればかりは、いつまでたっても、いざ本番の時に肝心の選手が何人かいないということが続きます。日本人はそういう身体をした民族ですから、そこを根本的に変えていかないとダメだと思います。
日本選手がせっかく海外で成長して、日本代表の選手層が年々厚くなっても、今回わかったことは、スタメンクラスの何人かが欠けると、本来ジョーカーでベンチスタートの2チーム目の選手をスタメンに送らざるを得なくなり、ベンチのジョーカーは、いわば3チーム目の選手になってしまったということです。
これからは、その3チーム目にも「誰が途中から出ても遜色ない働きをする」レベルの選手が数多く必要になるということが判りましたが、それ以上に、1チーム目から3チーム目まで、どの選手もケガで離脱することのないような身体づくり(これは単に筋トレレベルの話ではなく予防医学的、予防スポーツ科学的アプローチのことになると思います)に、国をあげて取り組む必要があると思います。

 

もし、この大きな2つの課題が解決に向かうようであれば「日本代表、いずれはワールドカップで優勝を目指せる」と言えると思います。

 

アルゼンチンvsイングランドの準決勝、今回ばかりは判定や因縁のプレーなしで終わった、と思っていたら、ゲーム終了後のピッチでベリンガムがアルゼンチンの選手の首筋あたりを後ろからピシャッと叩くおまけがついたり、アルゼンチンのメンバーがピッチ内でサポーター席からのものらしい手書きの布幕を広げてみせたり、やっぱり起きましたね。

 

イングランド・ベリンガムの行為は不問というわけにはいかないようですし、アルゼンチンの布幕も書いてある内容が内容ですからね、完全に政治的メッセージをピッチに持ち込んだという意味では、FIFAも黙っているわけにはいかないでしょうけれど、少なくとも決勝が終わるまでは、そのままでしょうね。
決勝が終わって、ほとぼりも冷めた頃、何か制裁が科せられる可能性があります。

 

メッシが決勝でどういう終わり方をするのか、世界中の関心はその1点にあると思います。エムバペをああいう終わらせ方にしたスペインの戦術を考えると・・・・、という気もしないでもありませんが。わかりませんね。
ことメッシに関しては、小柳ルミ子さんの放心ぶりがネット記事で伝わってきて、素直に「よかったですね」と言ってあげたい感じでした。

 

スペインがエムバペを完全に囲い込んだ画像を見て、私は「スペインは4年前の日本戦から、自分たちがこれからやっていかなければならない戦術を学んだのではないだろうか」と思いました。あの画像は、まさに「日本はこうしなきゃ勝てないから、なんとしてもハードワークしてみんなで抑えるんだ」とやっている画像と同じでしたよね。
もし、それを謙虚に学んでくれたのだとすれば、スペインって凄いよな、です。

2026年ワールドカップもいよいよ準決勝、今回はFIFAランキング1~4位までがベスト4ということで、今まででしたら「凄いことになりました」とか「歴史的な組み合わせです」とか感激したものですが、これほどFIFAがいろいろ仕組んでいると疑われては、もはや前のように信用できなくなりましたね。

 

寂しいことです。世界最大のスポーツと言われ、世界中の人々が楽しみにしている世界が、これだけ疑われるようになっては。
私などは、歳のせいで、年々、関心の熱量が下がっている感じがしていますので、次第にフェードアウトしていきますが、未来ある人々のために、信頼を取り戻さないと。

ワールドカップ決勝トーナメント1回戦、アメリカvsボスニア・ヘルツェゴビナ戦でアメリカのFWバログン選手が相手チーム選手の足を踏みつけた行為でレッドカードを受け、次戦、自動的に出場停止となったはずが、FIFAにより「出場停止処分は1年間猶予、したがって次戦は出場可能」と覆された問題は、FIFA自身の自殺行為でした。

 

アメリカのトランプ大統領からの見直し要請にFIFAインファンティーノ会長が応じたと見られています。インファンティーノ会長がどう抗弁しようと世界中の誰もが「あぁ、そうなんですか?」などとは信じません。
では、こんなことをする人物がなぜFIFAのトップに君臨しているのかという疑問を解きたくなります。

 

そんな疑問に、ノンフィクション作家でサッカーに関する著作も多い木村元彦氏が集英社オンラインへの寄稿で答えてくれました。
2016年にFIFAの信頼を回復させるために就任したインファンティーノ会長、UEFA会長だったミシェル・プラティニの下で事務局長をしていた弁護士だったそうです。
こういう人が握った権力を悪用すると悲劇的です。どうすれば権力を維持できるか、どうすれば意のままに組織を私物化できるかの智恵に長けている人だからです。

 

FIFAはこのあとどこへ行くのか、それを各国協会や各国リーグはどう動くのか・・。
1990年代からFIFAが肥大化して腐敗が顕在化して、アベランジェが退いたあとのブラッターも腐敗により退陣、そしてまたインファンティーノ、FIFAはどれだけ度し難い組織なのか。
これから、どんなことになっていくのか、しばらくウォッチしていかなければなりません。

 

ちなみに先ほどあげたノンフィクション作家・木村元彦氏の著作に忘れられない1冊があります。
「争うは本意ならねど」2011年に集英社から出版されたこの本は、2007年に起きた川崎フロンターレFW我那覇和樹選手のドーピング冤罪事件をレポートした書物です。
いわれのないドーピングの濡れ衣を着せられ、頼る人もなく絶望の淵にいた我那覇選手に寄り添い、献身的に冤罪を晴らすために奔走した医師たちの活動を涙にむせびながら読ませていただきました。
それにひきかえ、Jリーグ当局やクラブである川崎フロンターレの何と冷淡なことか、特に自分のチームの選手を信じようとしない川崎フロンターレのクラブ経営陣に対しては「この問題を乗り越えない限りクラブに未来はない」とは強烈に批判の意見を書いことを、いまも鮮明に思い出します。

 

その後、我那覇選手も立派に選手生活を全うしたという情報にも接し、川崎フロンターレも「Jリーグの優等生」と評されるほど地域密着の理念を具体化して、我那覇問題を鏡としてクラブ改革に取り組んだことが窺えます。

 

今回、インファンティーノのことを木村氏に教えてもらうことになったのも、我那覇事件をつぶさに追った木村氏ならではのことだと感じました。

私は日本代表の森保監督や選手たちが「ワールドカップでは優勝を目指して頑張ります」と発言していることを、以前から好感を持って受け止めていましたし、これからも、それでいいと思っています。
しかし、かねてからメディアによって「森保ジャパンの目標は優勝」と断じられて報じられていることには困り果てていました。
それでもメディアはいつも、そう切り取ってしまうツールですから「日本の行く先は優勝」と煽りまくられても「また始まった」というぐらいに受け止めるだけでした。

 

ところが、サッカー専門家の方の中から「決勝トーナメントの最初の試合で敗退するチームが『目標は優勝』を豪語するなど見当違いだった」という批判が出るに及んで黙ってはいられません。
私にこの書き込みを促したのは、スポーツライター・作家の小宮良之氏のwebコラム「森保ジャパンの「W杯優勝」という無理筋を煽ったのは誰か?」(7月4日、yahooニュース)でした。
最初に小宮良之氏の慧眼を称賛したいと思います。そのコラムを拝読したところ、小宮さんは今年6月発売のサッカー専門誌『サッカーダイジェスト』で今回のワールドカップでの日本代表の行方を予想され、グループリーグの成績1勝2分けで2位通過、しかし次の1試合目で敗退という結果をものの見事に的中させていたのです。
これは凄い分析力で、見事というほかはない結果なのですが、小宮さんは的中させた筆の勢いで「優勝を豪語するなど見当違いだった」と批判しています。
私は、小宮さんは、あくまで、森保監督が豪語していることが見当違いと言いたいのではなく「日本は史上最強、優勝も見えてきた!選手も監督もそう目標を掲げているし、今回はいける」という根拠の乏しい希望的観測で国民を煽ったメディア界隈が見当違いなのだ、と批判したいのだと好意的に解釈しようと思っています。

 

というのも、今回のタイトルにも付けましたように「目標は優勝」という言葉が一人歩きしてしまうことで、ファン・サポーター、メディアそして各専門家まで、多く人たちが間違いを背負ってモノを言ってしまう状況があまりにも多く、今回の小宮さんの書きぶりを機に、キチンと整理しておかなければダメだという気持ちになったのです。

 

まず日本代表・森保監督をはじめ、多くの選手たちが「目標は優勝」というワードを口にするようになった真意を整理しておかなければなりません。
そもそも「目標は優勝」というワードが出るようになった頃、具体的にいつ頃からかは諸説あると思いますが、その頃の「目標は優勝」というワードは「日本が決勝トーナメント最初の試合の壁を破るには、目標を優勝に置くぐらいの気持ちを持って高みを目指さなければ、壁は破れないのです。」という、日本代表の今後の意気込みを説明するワードとして語られたことを指摘しておきます。
つまり、最初の頃は「わかりやすく言えば、目標を優勝に置くぐらいの気持ちで・・・」という説明的な使い方から「目標は優勝」というワードが出始めたのです。

 

そして、前回のカタール大会では真剣勝負の場でスペイン、ドイツを破り、やはり「目標を優勝に置くぐらいの気持ちで」やってきたことが間違いではなかったと確信が持てるようになり、次は「目標を優勝に置くぐらいの気持ち」という程度ではなく「優勝を目指して」努力していこうという合言葉に変わったのです。
ですから、選手たちも口々に「優勝を目指して頑張ります」というようになり、テストマッチとはいえ史上初めてブラジルを破る経験をしてからは「優勝を狙います」という言い方にニュアンスが変化したと思います。
けれども、監督・選手たちの心理はあくまで「優勝を目指して頑張ってきた」のであり「次は優勝を狙って頑張る」のであって「目標は優勝です」という心理ではないのです。
仮に選手たちの中に「目標は優勝です」という言葉を口に出した選手がいたとしても、それはテレビなどの前で「ズバリ目標を聞かせてください」と問われて答えているだけで「優勝を狙いますが、まずは決勝トーナメント1回戦の壁を突破することです」というのが本心なのは明らかです。
実際にピッチで肉弾戦の戦いをしていく選手たちはもちろん、指揮官にしても、目の前の試合で相手を一つづつ破らなければ、次はないことが判り切っていますから「ズバリ目標を聞かせてください」などというメディアに困った本心を隠しながらリップサービスをしているだけなのです。

 

そこをキチンと整理しないで「森保ジャパンの目標は優勝」という短いワードに切り取ってしまい、国民全体、ファン、サポーターに毎日のように投げかけていけば、自然と「今度の森保ジャパンは優勝できそうなチーム」だと、それこそ小宮さんが書いていたように「根拠のない希望的観測の応援マインド」が日本全体に蔓延してしまうのです。

 

小宮さんのコラムの文脈では「森保監督が優勝を豪語するなど見当違いだった」という趣旨なのかも知れませんが、私は大会に入って森保監督や選手が「目標は優勝」と、それこそ豪語に聞こえるワードを口にしたとしても不思議ではないと思っています。
なぜなら、さきほども書きましたが、本大会の1試合1試合は、それこそ生きるか死ぬか、天国と地獄、あきらかに戦国時代の戦場と同じ、相手の首をとらなければ自分の首をとられるという世界です。
そこに臨むに心境は、何かに没頭し雑念を拝して臨まなければやっていけない世界です。
そのためには自らを信じて「自分たちは優勝するんだ、できるんだ」と鼓舞する、ある意味、呪文を唱えたくなる心境を察しなければなりません。ですから、それを「何を身の程知らずなことを」などと言わずに、むしろ「そう自分を信じなければ戦えませんよね、私たちも、そう信じて応援します」と寄り添う気持ちが必要なのです。

「目標は優勝」という言葉が一人歩きすることでおかしくなった多くの間違いを整理してみました。
 

大多数の日本のファンの方たちは、森保監督や選手たちの胸の内を察していらっしゃったことと思いますが、メディアはどうしても煽るのが仕事みたいですし、なかなか難しいものです。

今回のワールドカップ日本代表、結局のところケガなどで離脱したレギュラークラスの選手たちの多さが、新しい景色を見に行く挑戦のパワーを弱めてしまったことは隠しようのない事実です。

では、ケガをしない身体づくり、日本は世界的に見て立ち遅れているのでしょうか?
実はそうではありません。
日本が初めて世界の舞台にたったフランスワールドカップの頃、中心選手の中田英寿選手が、当時、日本代表のチームドクターだった福林徹先生に「先生はケガをしたらいつも治してくれるけど、そもそもケガをしないためにはどうしたらいいのか教えて欲しい」と語りかけました。
それ以来、福林先生をはじめとした日本のスポーツ医学の専門家の先生たちが「スポーツにおける負傷の防止」に叡知を結集して取り組んでこられました。


日本代表の力が世界の中での位置づけを高めれば高めるほど、試合の中でのインテンシティが高まり、負傷するリスクは高まっていきますから「負傷防止の知見も常に更新され高めていかなければならない」という関係に置かれています。
この30年近くの取り組みを通じて、すでに日本の「負傷予防に関するスポーツ医学」は世界トップレベルにあるということを抑えておきたいと思います。

にもかかわらず、ケガで大舞台を前に離脱する選手が増えたこの状況をどう見るかです。
次に思い当たるのが日本人の、そもそもの身体つきというものです。
日本人が長年暮らしてきた、日常生活、食生活といったものによって作られ身体つき、いわば民族的な身体つきが、特に腰、膝、足首といった複雑な骨格構造にある部分で、どうなのかということ、あるいはハムストリングや内転筋など、腰下の筋肉群がどうできているのか、といったことです。

特に膝、足首の骨格やハムストリングなどの筋肉群は、ボールを強く激しく蹴る時に瞬時にかかる負荷の大きさを考えれば、よほど頑丈に、もっといえばそもそも民族的に頑強にできていなければ、どうしても差が出てしまう部分ではないかと感じてしまいます。
けれども、そこで諦めていては永遠に世界のトップクラスにはなれないわけで、そもそも、そこが弱いのだから強くするにはどうしよう、というアプローチがあるのかどうか知りたいところです。
そこまで思いを巡らせていきましたから、おそらく、それに関する知見や取り組みといった情報も、いずれ目に入るのではないかと思います。
そこの強化に注力していかないと、どうしても根本的な解決策にはならないのではないかと問題提起しておきたいと思います。

日本時間、今朝30日、ワールドカップ日本代表の新たな景色を見に行く挑戦が終わりました。
その挑戦は4年後に持ち越しです。こうやって簡単に「4年」と書きますが、その長さのことは選手たちが一番よく知っています。
それゆえ、選手たちはどれほど悔しかったことでしょう。そのことに思いをはせればはせるほど、勝たせてやりたかった試合でした。

細かいことをあげればキリがないのですが、結局のところ、優勝5回を誇る王国の底力と、もはや世界のどの国とも互角に渡り合える力をつけてきた日本のガチンコ勝負の差としか言いようがありません。
ある意味、ディテールの差だったと言えると思います。

 

これからの日本代表のことを考えてしまいます。
確かに、森保監督が作ってきたチームは、層の厚い、誰が出ても遜色ない力を出せるチームになりました。

だからこそ、南野選手に始まり三笘選手、大会直前にはキャプテン・遠藤航選手、大会に入ってからも久保選手、板倉選手と次々に離脱してしまっても、不安を感じさせない布陣を組めたのです。
とはいえ、やはり、高いレベルの段階になると、どうしても、前線でいえば点を取るために違いを出せる選手の数や、守りでいえば、交代で出た選手のちょっとしたディテールの差が出てしまったことも事実で、これからのチーム作りは、いわば決勝トーナメントレベルの試合を勝ち抜ける層の厚さを目指さなければならないのだということが見えた大会でもありました。
となると、容易ではない話です。

仮に、南野選手、三笘選手、久保選手、板倉選手らが全て揃っていたとしましょう。すると、中村敬斗選手、前田大然選手、伊東純也選手、谷口彰吾選手たちを含めてコンディションの良い選手、相手を見据えたチョイス・組み合わせでスタメンを組むことが可能になり、前線で違いを出せそうな特徴を持った選手をベンチに控えさせることができた強みがあります。
狙っていた2チーム分の戦力というのは、これほどの離脱はないものと想定した戦力です。
ですから、数人の選手が離脱した時点で、強豪と戦える戦力分は手薄となり交代で使う選手たちは、いわば3番手に控えていた選手たちということになってしまいました。

 

4年後を見据えた時、ケガなどがなければスタメンで使える選手たちが全て揃ったほかに、ベンチに置ける選手たちもスタメンで使える遜色のないレベルの選手たちを揃えなければならない、そう考えると容易ではないなと感じるわけです。
しかし、日本の選手たちは次から次にレベルを上げていって、中村敬斗選手、佐野海舟選手、瀬古歩夢選手など1年前にはとても想像がつかなかったほどの成長を遂げています。

あとに続く選手たちにも、こうした成長を期待したいと思いますし、そういう選手の数の多寡で、次の大会の日本の出来が見えてくるということになります。

それはGKの鈴木彩艶選手の控え選手についても言えることです。彼が不動の守護神として日本のゴールマウスにしてもらった安心感は計り知れないものがあります。

では、鈴木彩艶選手が離脱してしまったらどうか、同じ安心感で任せられるGKがもう一人現れて欲しいところです。

 

4年後の次の大会に、どの監督のもとで、どういう選手たちが揃い、また再挑戦するのか。ブラジルに屈した選手たちの悔しさに少しでも寄り添いたいと思うと同時に、気持ちは次に向いてしまうところがサッカーの怖いところです。
8大会連続の出場の中で、今回の代表チームほど「大丈夫だろうか」という不安感が少なく、そのとおりにグループリーグを勝ち抜けて、ブラジルと十分やっていけるチームになったと思いつつ大会を見させてもらった代表チームはありませんでした。
選手たちは立派な「史上最強チーム」でした。そのことには心から感謝したいと思います。
お疲れ様でした。このあと疲れを癒して、各自のまた次なる挑戦に向かってください。

 

サッカー日本代表は、ワールドカップ8大会連続出場にして、3大会連続グループリーグ突破を果たしました。
28年前、初めてワールドカップ出場を果たしてから、次の日韓大会は別にして、2006年と2010年大会あたりまでは、アジア予選が「負けられない戦い」でした。その4大会を経て2014年あたりからは「本大会出場は当たり前」と思われる時代に入ったように思います。
どの大会もアジア予選突破は難しいミッションであり、楽な予選などありませんでしたが、サッカー日本代表は、もうそれを許されない時代を乗り越えてきたのです。
連続出場記録を重ねていく中で、次はグループリーグ突破の回数を増やしていきます。2018年大会、辛くもクループリーグ突破を果たすと、2022年大会そして今回と、3大会連続グループリーグ突破を果たしました。
ここまで来ると、サッカー日本代表に対して、私たちは無意識に「グループリーグ突破」は当たり前、という気持ちを抱きます。


これからだって、アジア予選突破の厳しい戦いは何も変わっていないのに、突破して当たり前、本大会のグループリーグ突破も厳しいことに何も変わりないのに、突破して当たり前、そういう時代に入っていくのです。
「これは日本人の国民性だ」と現在執筆中の原稿の中で、ある学者さんが喝破した話を思い出します。
日本人は失敗を恐れる国民性なんだそうです。そのため常に成功し続けることを求めるというのです。人間のやることですから失敗なんていくらでもある、失敗したらまたやり直せばいいだけなのに、失敗そのものがあってはならないと考えてしまう性(たち)で、周囲も「失敗したら許されない」ような空気にあるので、もし失敗してしまったらやり直さず、なかったことにして取り繕うようなことをするというのです。小さな失敗のうちにやり直して、大きな問題ならないようにすればいいのに、取り繕って問題を放置してしまい、あとで取り返しのつかないことにしてしまう、こういう問題を抱えているというわけです。
いつも思うのは、サッカー日本代表のアジア予選突破の失敗がいつか来るのではないか、その時、日本社会は、その時の監督・選手たちにどういう目を向けるのだろうか? ということです。


ワールドカップ優秀4回の実績を誇る、世界の誰もが認めていたサッカー大国・イタリア代表などは、もう3大会も続けてヨーロッパ予選を突破できず、イタリア国民はテレビで他国の試合を羨ましく見ている状況です。
今回、韓国が本大会グループリーグ敗退となり、まるでアジア予選突破に失敗したかのような騒ぎです。11大会も連続して本大会出場を継続している国なんて、ブラジル(23大会)、ドイツ(18大会)、アルゼンチン(14大会)、スペイン(13大会)、つまり優勝経験国しかない、そういう中で11大会も連続出場している自分たちの国を誇らずして、どうするのでしょう。
おそらく韓国も日本より一足先に「本大会でもグループリーグ突破して当たり前」という風潮になっていたのでしょう。
そういう、何の根拠もない過大な期待が外れた時の国民の失望、批判の大きさを、今回、韓国のケースは私たちに見せてくれることになってしまいました。
いま、むしろ韓国には「11大会も連続出場し続けている強さはサッカー大国並みでしょう、それを誇りに思い、また捲土重来、連続出場を続けグループリーグ突破を果たして新しい風景を見に行くことに挑戦してください」と言ってあげたいです。


さぁ、日本が挑戦している「新しい風景を見に行く旅」は、いよいよ正念場です。サッカーの神様は、それにふさわしい相手を用意してくれました。
つまり「あなたがた日本よ『新しい風景を見に行く』と気合が入っているのはわかるけど、世の中、そう甘いもんじゃないのよ、新しい風景を見たいというなら、ここを破ってからにしなさい。ここを突破できなければ、まだまだということですからね。ここを突破できたら『うむ、本物だな』と認めましょう。」
サッカーの神様がそう言って用意した相手ですから破るしかないのです。
明日未明、午前2時キックオフです。起きているのが正直厳しい時間帯です。
 

昨日のチュニジア戦、前後半、申し分ない点の入れ方で圧勝、完勝。

始まるまでは、やれ第2戦が鬼門だの、相手の監督交代が不気味だの、勝てなかったらグループステージ危うしだの、長年のワールドカップで刷り込まれた心配性が抜けないままでした。

終わってみれば、過去最多の4ゴール、上田綺世選手も初の2ゴールと、日本代表としての記録を塗り替える強さでした。

もはや試合前に、大丈夫かなとか、楽観は禁物とか、ネガティブなことばかり考える観戦マインドとはそろそろお別れして、今日のヒーローは誰だろうとか、どんな凄いゴールが見られるだろうかといったポジティブ観戦に変わろう、そんな気にさせてくれる試合でした。

上田綺世選手は、もう60年間も待望された「釜本選手を超える選手」の予感がします。