さて本記事から「泡盛学習シリーズ」に戻りたい。

第6回目の今回は、泡盛の歴史について。

 

(菊乃露・古酒7年)

 

(1)起源

15世紀初頭に沖縄(琉球王朝)で製造が始まったとされる。したがって、日本最古の蒸留酒ということになる。

 

(2)伝達ルート(諸説あり)

東南アジアルート(南ルート):シャムの蒸留酒「ラオ・ロン」が中国を介さずに輸入された。(琉球王朝はシャムとは1420年に貿易を正式に開始した。)

福建ルート(北ルート):中国の露酒(ルーチュウ)が、久米三十六姓によって伝えられた。

 

(3)琉球王朝時代の扱い

・琉球王府の庇護のもと焼酎職という特別の職人によって造られ、御物奉行によって厳しく管理されていた。また王府の行事や交易品としても使用され、将軍家へも献上されたいわば「琉球王の酒」であった。

首里三箇(赤田・崎山・鳥堀)の指定酒造所に限って泡盛の生産が認められた。

 

(4)「泡盛」以前の名前

もともと「サキ(サケ)」、「シゲチ」、「ミキ」、「ゼニ」、「シマー」など呼び方がいくつかあった。

特に神酒として用いるときは、「グシ」(五水)、「ウグシイ」(御五水)と呼ばれていた。

 

(5)「泡盛」という名前の由来

確かな史料のなかで「泡盛」が出てくるのは17世紀後半。以下の5説ある。

①泡説:強い酒を注ぐときに泡立つことが由来。

②泡説(その2):蒸留の際に泡が盛り上がることが由来。

③原料説(粟説):もともと粟を原料にしていたことが由来。

④梵語説:古代インド語のサンスクリット語(梵語)で酒のことをアワムリということが由来。

⑤薩摩説:薩摩藩が九州の焼酎と区別し、商品価値を高めるために別名をつけたとする説。

 

(東恩納寛淳は「泡盛雑考」で「泡盛という名称は原料が粟だったからというよりも、泡の形状から出た名称であるとする説のほうが穏当だ」と述べている。)