創造するとは、つなげることである。


イノベーションの理論で有名なシュンペーターは以下をイノベーションとして挙げている。


新しい財貨の生産

新しい生産方法の導入

新しい市場の開拓

新しい仕入先の獲得

新しい組織の実現


「新しい」とは何か?


個人的には、以下のように言い換えることができると思っている。


①これまでにない経営資源の組み合わせ

②経営資源の相互作用による一つのシステムによって生み出されるこれまでにない価値・サービス



システムとは、相互に影響を及ぼしあう要素から構成されるまとまりや仕組みと定義することができる。


たとえば、最近、テレビでみた情報だが、熊本大の河村能人教授は、マグネシウムにニッケル、イットリウムなどを配合し、燃えにくい、しかもジュラルミンよりも強度の高い合金を開発した


熊大マグネシウムと呼ばれる。


マグネシウム、ニッケル、イットリウムという経営資源において新しい組み合わせにより、それらの相互作用によって、燃えにくく、強度の高いシステムを作り上げた。


システム自体も「経営資源」とすれば、熊大マグネシウムを利用した新しい飛行機、新しい家電、新しい自動車部品、などが開発されれば、これも「新しい」財貨となる。


これらの新しい組み合わせによる新しいシステムをだれがつくるのかが注目される。


気を付けなければならないのは、熊大マグネシウムだけでは社会生活においては意味がないということである。


市場で利用されて初めて、人間の社会生活に影響を与えることで、はじめて価値創造ができたということがいえよう。


つまり、創造とは二つの段階があるといえる。


一つは、サブユニットとしての体系における創造である。ここでいえば熊大マグネシウムに相当する。


燃えない、軽い、強度の高い、素晴らしい素材を発明したことは、非常に評価される。


しかし、ただ、それがその辺にころがっていても、社会生活においては、なんの意味もない。


それをさらに既存の製品や新しい製品「つなげて」、量産することで、はじめて社会にとって意味のある「価値」を生み出すことになる。


さらに、もう一つハードルがある。その価値を生み出すために投入される財貨や、エネルギーが、生み出された新しい価値を下回っていることである。


このあたりは詳しくないので、素人のコメントとしてとっていただきたいが、仮に、熊大マグネシウムを生産するのに、莫大なエネルギーが必要であり、それを利用した自動車の価格が1億円、というものであれば、それは短期的には持続可能性のある生産を維持することは困難なので意味がない。


最初は当然高いかもしれないが、量産すれば、現状の自動車部品と比較して、十分に競争力のある価格で作る見込みがあるかどうか、ということが、最終的には重要になる。



そのためには新しい生産方法が必要になるかもしれない。


つまり、また新しい「経営資源の組み合わせ」が必要になるということかもしれない。


以上の一連の動きの根幹を考えると、まさにさまざまな経営資源を意味のある形で「つなげていく」ことが、創造活動だといえる。


一つ一つの経営資源はごくありふれたものでも、それを相違工夫でつなげれば、まったく新しい価値を生むようになる。


このつなげる作業の担い手は人間の努力である。人間の努力がなければ、そのようなつながりは生じない。


話が飛ぶが、つなげる作業は人間以外にも行っているものがある。


それは、自然エネルギーである。


生物など、人間がなにも手をくわえていないのに、かってに創造される。


そこに人間の努力はない。


何がそれを創造しているのか?


地球上でいえば、太陽エネルギー、地殻エネルギー、地球の自転エネルギー、磁気、といったものであろう。太陽エネルギーによる光合成によって、植物が育ち、それを起点に食物連鎖があり、人間もその恩恵を得ている。


また、石油は、太陽エネルギーによって植物が作り出した脂肪分等が、地殻エネルギーによって高温高圧にさらされて、化学変化して創造されたものである。


そもそも、宇宙の元素は最初は水素であったが、それらが、核エネルギーによってヘリウムに、超新星の爆発のエネルギーによって各種元素にうまれかわっていったので、元素自体も、より単純な素粒子の「新しい組み合わせ」であるといえる。



自然と人間の「新しい組み合わせ」による価値創造に共有するものは何か?


それは「エネルギー」が必要であることである。


エントロピー増大の法則によれば、あらゆるものは、放っておけば、より乱雑な状態(均等な状態)に変化していく。生物も死ねば、くさってばらばらになって、最後は土になる。会社も、常に社長や社員が努力して、ビジネスを展開しなければ、他社との競合にまけて、倒産する。エントロピー増大の法則は人間がつくったもの、組織にさえも当てはまるといえよう。


逆に、より、体系的な状態にするためには、エネルギーが必要となる。


自然では、太陽エネルギー、地殻エネルギー、地球の自転エネルギー、磁気といったものであり、人間では、人間の創意工夫や努力という「エネルギー」である。



ここでさらに話が飛ぶが、以上の考え方を学校で勉強する意義について当てはめてみよう。


学校で勉強するのはさまざまな知識、知恵であり、それらはまさに人類の英知が生み出した「経営資源」である。


しかし、熊大マグネシウムと同様に、その知識単独で、ほうっておかれても何の価値もうみださない。世の中とのつながりを理解することではじめてその価値が生み出されている意義がわかる。


問題なのは、熊大マグネシウムであれば、すぐにそれが世の中に役に立ちそうだ、ということがわかるが、学校の勉強はそれが、すぐに実感できないものが多いという点である。


たとえば、二次方程式や、微分積分など、なんでこんなことを学ばなければいけないのか、すぐに実感できる子供はあまりいないだろう。自分を苦しめるために数学など存在するのではないかと疑う子供もいるのではないか?


学校はまさに将来において社会で他の経営資源と結び付けることでさまざまな価値を創造する材料を与えてくれているところであるが、学校の勉強がつまらないと感じるのは、そういった価値創造の動きとのつながりが見えないからではないか?


そういった価値創造の動きについて、教える側も教えられる側もより努力することで、学校の勉強はより楽しくなるのではないかとおもう。


その努力こそまさに「価値創造」の源泉ということになるのではないか?


つまり、ある社会の価値創造力を強めるためには、学校において学ぶべきさまざまな知識、知恵という「経営資源」の実社会とのつながりについて、より実感のある形でしめしていく相違工夫を常に考えていくことが重要といえる。


ビジネス、自然、勉強、いずれにせよ、どう「つなげていく」のか、そしてつなげるためのエネルギーはどのように確保されるのか?



それらを考えて行動することで世の中のさまざまな「創造」活動に対する洞察力が増大する。