今日目にした『4月になれば彼女は』のお二人の映画評論

 

…それは“佐藤健表現”と呼ぶしかないものであり、俳優を画家に置き換えれば、もはや画法と呼んでいいほどの独自性がある。

 

相田 冬二さんは特別なセンサーを持っておられる方だと思う。

たけるさんがその外見のメジャー感(川村元気説)から、正当に評価されていないと言われていて、我々ファンからしたら強い味方を得たように思う。

 

設定だけを記せば、随分めそめそした自分勝手な男性の物語だと思うかもしれない。だが、こうした文学的な内省を目に見えるかたちで示し、しかし決して説明的にはしない。これが、俳優、佐藤健の真価である。

 

 

まばたきを微細に変化させ、瞳を潤ませ、人が途方に暮れる様にはこんなにも豊かなヴァリエーションがあることを深い領域で感じさせてくれる俳優は、他にいない。とりわけ、ハッと惹きつけられるのは、時に言いかけた言葉を呑み込み、本当の気持ちを仕舞い込み、しかし、沈黙することはせずに、ある程度の社会性を保ったまま、別な言葉を選び口にする、後ろ向きの思いやりが派生させる情感である。

 

映画を観て”佐藤健表現”をしかと感じてきたい

 

 

 

こちら中川 右介さんはまた相田さんとは真逆のような感想である。

 

見終わった直後は、ご都合主義のラブロマンスと思ったが、後から、森七菜こそが主人公で、彼女の命懸けの恋の物語だと考えると、けっこう深いのかなと思い直した。

 

この二つの案内を読むと、佐藤健の真価を問うために、きっと何度も映画館に足を運ぶのだろうなと思う。