主治医が妊娠のため、産休明けた前の主治医に
交代するそうだ。

どちらも女医さんで、細やかな配慮と程良い距離感で娘に接してくれる。

私も、娘も2人の医師に信頼を寄せてる。

今回の入院で…お母さん、お話をする時間ありますか?と声を掛けて頂き、申請をする手帳の事かと思いドアを開けると、女医さんが2人と社会福祉士の女性が座っていた。

病気、病名、治療について…

まだ本人に病名を言っていない。

当時、中学1年の娘には。理解して受け入れるにはまだ時間がかかると判断して
入院時の看護計画書には、病名を英語表記にしてもらっている。

病名ってなんなの?分かってるの?と
聞かれた時もあったけれど…
悪い部分と、分からない部分があって
治療しながら 経過をみていくしかないんだよ。
とは話した。

今後は、本人に話しながら進めていくのはどうか?
何故?入院しなきゃならないのか?
何故?これだけの薬を飲まなければならないのか?
理解して、納得していく必要があるのでは?
16歳になった今、もぅ1人大人として接して良いのではないか?

薬を飲まされている
入院させられている
という意識を変えないと
病気を抱えて生きていくのに、知る事は必要だと。

難病であること
治療と服用を長くしていかなければならない事
予後について 麻痺や寝たきりになる可能性がある事…

私は、まだ抱えきれないのではないか?
精神的負担になり、投げやりになるのではないか?
葛藤があります、と言った。

どこまでどぅ伝えるか?
今はネットでいくらでも調べれてしまう。

本人が聞きたいのは
治りますか?と言う事だと思う。
ある程度のスパンや終わりが分かっていたら
治療に前向きになれると思うけれど
医師も、症例の少ない病気のため、確実な事が言えないです。と
やはり娘が前向きになれない話。

予後については未知であるが
治療や服用で進行を抑えれているという話しをする方向。

いつかは話さなきゃならない。と思っていた。
今なのか…正解は分からないけど…
医師が寄り添いサポートしてくれる事が本当にありがたい。

今まで、話してない家庭での様子や本人が居たら話せない細かい話をする事ができた。
こうなってから、ずーっと感情を殺して冷静に話していた私も
今回は、話しながら涙を堪えきれなかった。
それは、寄り添いサポートしますという
医師の心を感じたから。

医師も、そこに居る全員泣いていた。

医師は、あまり感情移入せず、事務的にこなさなければ 患者を見続けられないものなんだろうと思い込んでいた。

皆、お母さん。
母の気持も含んで、聞いてくれたんだと思う。
本当に心強い。

病気になった本人も、支える家族も『孤独』
病気を話せる存在は限られる。

娘さんは病気の事を話せる友達は居ますか?
と聞かれて…
『いません。』
1人も居ない。
病気の話しをするのは家族だけ。

前のブログにも書いたように
仲良くなればなるほど病気は隠したい
絶対に言わない。と言う。

同じ病気でなくても、病気の事を話せて
愚痴が言える、励まし合える存在があったら…と
思う。
地域の難病コミュニティなど福祉課でチラシを貰ったけれど、なかなか足が向かない。

ネットで、これだけ繋がれるのに…
まずは気が合って、当人同士が仲良くなれるのが先だから、本人は病気という入り口に凄く抵抗がある。
アメブロ、インスタ、Twitter など…
検索してはみるものの…
検索止まり。
ママさんやパパさんがブログされてて、見る事はできても
子供同士が繋がるのは、とても難しい…。