オードリー若林さんの本。
帯の文に惹かれて買ってみた。
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ぼくはずっと毎日を楽しんで生きてる人に憧れてきた。ずっと、周りの目を気にしないで貫ける人に憧れてきた。
(中略)
なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。
だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。
それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。
この本にはその軌跡が描かれています。
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第1章は3年弱にわたる連載をまとめたもので、第2章は書き下ろし。
第1章は、帯の内容にズバリ触れているというよりは、連載らしくさまざまな話題が出てくる感じで、敏感すぎて繊細すぎて苦しむ若林さんに共感したり、「大変そうだな」と思ったり。
思いがけずゴルフにハマった話から、ちょこっと抜粋。
また別の日は、テレビを見ていて他の芸人の凄まじい才能を見せつけられて劣等感を刺激されそうな所でリビングにパターマットを出し、ボールを打ってみる。
2メートルちょっとの穴に何回かに一回入るささやかな快感が、劣等感に苛まれるという人生でも超無駄な時間を何かをしている時間に変えてくれる。(p.108)
繊細で苦しかった若林さんのこの言い切り、転換が爽やかで心地よかった
第2章は、すごくおもしろくて、買ってよかった、読んでよかったと何度も思った。
書き留めておきたいとこはいっぱいあったけど、まずは心療内科の先生との会話の部分。
(今の仕事を続けたいという若林さんに)
「そんな、他人の顔色気にして頭痛になってまでやるもんじゃないじゃない」
「うーん。でも……」
「なんで気にするのよ。外のジャッジを」
「なんで? ……やっぱり受け入れられたいからですかね?」
先生はぐっと身を乗り出してきた。目が黒でも茶色でもない不思議な色をしている。
「外のジャッジが間違っているとしても?」
「外のジャッジが間違っている? ……間違っているんですか?」
そんなこと考えたことなかった。
「間違っているよ。だって、ワイドショーやインターネットなんかよくわかんないことばっか言ってるじゃない」
「……」
(p.185)
そして後日、再度診察を受けたあとに。
今も相変わらず偏頭痛は頻繁に出る。
でも、よく思われようと緊張することはだいぶ軽減された。
だって、外のジャッジが正しいとは限らないから。
「そんな風に思っちゃってもいいんだ」
先生がそう思わせてくれた日、ぼくはとても爽快な気分だった。
外のジャッジに気を取られすぎると、自分のジャッジを蔑ろにしてしまう。
私、この夏から数ヶ月、気持ちがすごく不安定な時期を過ごしてた。不安が発作のように襲いかかってきて、どうやって生きていけばいいかわからない暗闇の中、細い板から落ちないように必死でバランスを取っているような日々だった。
でも、いま抜け出すことができて振り返ると、まさに外のジャッジに打ちのめされて自分のジャッジが見えなくなってもがいていたんだなぁと感じる。
それを、こんな風に的確に簡潔に文章にしている若林さんに、共感&感謝でした。
後ろの方のページから、またちょっと抜粋。
前作を読んだ先輩が「お前は苦労してるつもりかもしれないけど、みんな同じ苦労を努力して乗り越えてるんだよ」と言っていた。
もう本当に溜息が出る。
早く、脳波や脳内物質のバランスが体温計で熱を測るように、簡単に視覚化できるモノが発明されればいいと思う。
(中略)
だから要約すると「気にするな」なんてクソみたいなメッセージが堂々と書かれている。こっちは気にしすぎなくなる薬がもしあるなら、常用したいくらいにはもう生まれた時から気にしすぎてしまうのだ。
知りたいのは「読んだだけで死ぬまで気にしすぎなくなる方法」だ。
きっと、人の生き辛さの正体はこれからもっと医学や科学で解明されていくと思う。
でも、今の時代は発展途上なのである。
だから、身体能力などと違って心の有り様は「努力すれば何とかなる」なんて無茶苦茶な文脈が根強く残っているのである。
もーーほんと共感。
生まれつきの性質、体質が違うんだよね。
いまは「HSP(ハイパーセンシティブパーソン)」って概念が提唱されるようになったりして、その体質を持つ人独特の大変さ、苦しさ、対処法が見つかるようになってきたことに、ホッとする。
繊細で苦しかったり、劣等感に苛まれたりという共通点があったとしても、それが現れるポイントは人によってバラバラで、
若林さんとかピースの又吉さんとか、いろいろ抱えていても表舞台に立って外に表現していく人がいてくれることは、ほんとにありがたいことだと思う。
読んでよかった一冊でした
