そして車に乗ったら、こんなことになってたのでした。重ね重ね・・・パーフェクト
最悪ホテルの名にふさわしいね![]()
最初に向かったのは、舞鶴引揚記念館。
ずっと行きたいと思いながら、舞鶴には行く機会がなくてのびのびになっていた場所でした。
終戦時に満州島からソ連にさらわれた人たちがたくさんいたのは知っていたけど・・・ 強制労働でたくさんの方が亡くなったことは知っていたけど・・・
この記念館で、実際に置かれた環境を詳しく知ったり、日本で帰りを待ち望んでいた家族の人たちのこと、実際に交わされたやり取り(ソ連の検閲のため、カタカナしか許可されていなかったハガキ等)、帰還に向けたたくさんの人の努力・・・
戦争は終わっているのに、不当にさらわれた人たちが日本に返してもらえない。その間にも過酷な環境の中で亡くなっていく。60万人もの人がさらわれて、引き揚げが終わるまで13年もかかったなんて、なんでひどいことが起きたんだろうと思いました。
でも、考えてみれば、戦争でも何でもないときに日本国内からさらわれて、40年も経っているのにいまだ帰還できていない人たちがいる。
北朝鮮の拉致のひどさもまた、同時に身にしみました。
シベリアの強制労働の展示で、丸太を持ち上げられるコーナーがあったけど、私とるかと2人がかりでも持ち上がらないくらい重かった。シベリアの-30℃の中、食料もない状況で、たくさんの方が最初の冬を超えられず亡くなっていったそうです。戦争はもう終わっているし、ソ連にさらわれる理由なんてどこにもなかったのに。
隣で寝ている人が亡くなると、すぐに分かるんだそうです。なんでかというと、その人についていたノミやシラミが一気に引っ越してくるから。
余談ですが、ウズベキスタンで強制労働させられた日本人たちがとても立派だったので、ウズベキスタンの人たちはいまもとても親日的で、「日本人のようになりなさい」と子供を育てたのだそうです。「奇跡体験!アンビリバボー:異国の地で咲く桜に宿る日本人の心」
(本当は「捕虜」ではないですよね・・・)
それから、ソ連は労働力にならない病人やけが人、女子供を北朝鮮に送り、北朝鮮でも過酷な労働でたくさんの日本人が亡くなったのだそうです。北朝鮮は、その方たちの御遺骨でもお金をゆすろうとしているのだとか・・・。日本が不当な暴力に立ち向かえるようになる日が待ち望まれます。
舞鶴引揚記念館はそんなに大きな施設ではありませんが、ほんの数十年前に起きた、ごく身近なできごとを知るために、ぜひ行ってみてほしいです。
ちなみに私の祖父母も中国からの引き揚げでひどい目にあっていて、祖母はずっと語ることができず、後に本に書いてくれたおかげで知ることができました。
この引き揚げのときにお腹にいた子が私の父で、父が病気になったとき、祖母は「あの引き揚げのときに守りきれなかったせいだ」と自分を責めていたそうです。
自分が歳を重ねてきて、ようやくわかってきた。
これは全部、「つい最近の話」なんですよね。
舞鶴引揚記念館のあとは、天橋立に向かいました。
つづく。

