名古屋市 千種区

 

を訪れた続きです


覚王山 日泰寺の東側にある

揚輝荘 北園を出発します

 

南方向に歩いていきました

 

左側は、かつて

揚輝荘の敷地と思われますが、

住宅地やマンションが建ち並んでいました

 

この先を、左に曲がっていきます

 

突き当たりまで歩いていきましょう

 

その突当たりが、揚輝荘 南園です

 

奥へ進むと、赤い建物が見えてきました

 

聴松閣です

 

昭和12年(1937)に造られた建物で

山荘風の外観をした迎賓館になります

 

皇族や政界、財界、官界など、

多く要人が集った場所だそうです

 

中に入って、見学できました

写真撮影も、許可をいただいています

 

玄関から入って、左側にあるのが

居間とサンルームです

 

往時の揚輝荘を再現したジオラマや、

揚輝荘、伊藤次郎左衛門について

紹介した展示がありました

 

サンルームは、

突き出した部分が、

南側にあって、優雅な雰囲気です

 

サンルームの隣は、食堂になります

 

飾り棚の上部には、

”いとう”の文字がありました

 

暖炉には、古瓦がはめ込まれています

 

二階への階段と、

この裏側、今、人が出てきた部分に

地下への階段がありました

 

先に、二階を見学しましょう

 

階段周りも、広い空間となっています

 

玄関の真上、

突き出した部分の部屋は、

英国調の書斎です

 

奥の書棚には、

アービン銃が置かれていた跡が

残っていました

 

昭和20年から7年間、

GHQ将校の寄宿舎として、

使われていた名残といわれています

 

各部屋や廊下の照明も、

とても素晴らしく、見所のひとつです

 

この部屋は、応接室として

使われていました

 

英国山荘風の造りで、

マントルピースが特徴です

 

オウムが描かれたクロスも

素敵でした

 

その隣は、寝室です

 

天井、床、マントルピースなどの装飾が

中国をイメージした造りとなっていました

 

南側には、和室もあって

更衣室として、使われていたそうです

 

二階のサンルーム

南側の寝室は、ギャラリーとして

使われています

 

廊下には、吹き抜けがあって

天井から、光が差し込んでいました

 

非公開の、3階の一部も見えます

使用人の部屋として、使われていたそうです

 

さて、気になる地下へ進んでいきましょう

 

その地下には、

とても、興味深いものがありました

 

続きは、明日お伝えします