5月25日 土曜日に参加した
JR東海 さわやかウォーキング
近代化産業遺産『大桑発電所』と
野尻鉄橋を巡る
の続きです
関西電力 大桑発電所からです
通用口を出て、この先を左に曲っていきました
ぐるりと回って、発電所の建物の裏にある坂道を上っていきます
草の香りがしたので、数日前に草刈を行なったものと思われます
この場所は開閉設備と呼ばれる場所で、発電機で作られた6600Vの
電圧を77000Vに昇圧しています
電力は、電流×電圧で表され、送電中の電力損失は電流の2乗に
比例するといわれ、送電線の電圧を、できるだけ高くして、なおかつ
少ない電流で送電すると、低い電圧のまま大きな電流を用いて送電
する場合にくらべて、送電中の電力損失を減らすことができます
特に長野県にある、この発電所から、遠く関西方面に電力を送電して
坂道を上っていくと水圧鉄管が見えてきました
上部にある水槽から、この鉄管を水が通って、発電所の水車を回して
その水圧鉄管がある場所から、折り返すように坂を上っていきます
再び折り返すように坂を上っていくと、舗装された道に出てきました
これが、その水槽です
建設当時は、
フランスの政治家で、ジャーナリストのジョルジュ・クレマソーの言葉
「私は、日本のすばらしい活力に対する、心からの賞賛者である」
と、肖像が掛けられていました。
ナンジャモンジャの木という呼び名があるヒトツバタゴです
とても大きなヒトツバタゴで、
振り返れば、中央アルプスと木曽川の、とても美しい景色です
注目は、謎の飛行物体ではなく
木曽川に残る、つり橋の跡です
先ほどの大桑発電所の近くにあったもので、下手橋と呼ばれていた
そうで、大桑発電所建設の際、野尻駅から資材運搬のため架設され
ました。
ちなみに、橋の名前の由来は、名古屋電灯の当時 副社長であった
そして下流に目を移すと、野尻鉄橋が見えてきました
坂を下ると、長通川に架かる長通川橋を渡りました
この先を左に曲がっていきますが
ふと、左を見ると貴重な遺構がありました
森林鉄道の橋脚跡だと思われます
ここも、前後は草木に深くおおわれて、詳しく知ることができません
左に曲っていくと、今度は木曽川に架かる橋が見えてきました
野尻向橋です
上流部に、野尻鉄橋がありました
大きなトラス橋を中心に、
左側にプレートガーター橋、右側にデッキトラス橋が備わっています
推測ですが、今渡っている野尻向橋の初代の橋と、二代目の橋
の跡のようです
もしharubonさんが、
ここに来てたら、きっと狂喜乱舞していたことでしょう (o*゜∇゜)o~♪
コースは、この先坂道を上っていきますが…
鉄橋が、目の前に見えてきました
大正10年(1921)に造られた野尻森林鉄道の鉄橋で、
野尻駅近くの貯木場から、木曽川を渡り対岸で3路線が枝分かれ
していたそうです
昭和40年代初めに廃線となったようですが、
現在でも、枕木が橋の上に残っていて、確かに森林鉄道が、ここを
走っていたことを物語っています
トラス橋の左側にはプレートがあって
デッキガーター橋も、美しく鉄骨が組み込まれています
とても時代を感じさせる造り
すばらしいの一言です
対岸にかかる
プレートガーター橋は、左に大きくカーブしているがわかります
その先は草木が深く茂っていて、対岸では近づけないようです
しかし、こうして眺めていると、
向こう側から木材を満載した貨車を引張る、小さな蒸気機関車が
もくもくと煙あげながら
ピーッという甲高い汽笛を鳴らして、ゆっくりと走ってきそうです
この道も、森林鉄道の廃線跡だと思われます
コースに戻って、上り坂を歩いていきます
右側には、木曽川の流れと、先ほどの野尻鉄橋が見えていました
右に曲って、軽く坂を上がっていきます
その先に、ゴールの駅が見えてきました
JR中央本線 野尻駅です
ゴールです
この列車は、臨時快速 中津川行
途中坂下駅で、特急の通過待ちの運転停車がある以外は
停車駅がない便利な列車です
さて、明日のブログは
6月1日 土曜日に参加したハイキングをお伝えします