5月3日 金曜日/祝日に参加した


JR東海 さわやかウォーキング


廃駅(新垂井駅)と

新緑の明神湖ダム、

子供歌舞伎の垂井曳やま祭りを訪ねて


の続きです


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岩手川に架かる太郎前橋から、南方向に歩いていくと

お寺が見えてきました

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普賢山 禅幢寺(ぜんどうじ)です


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明応3年(1494)薩摩金幢寺の僧 盛庵正碩和尚が開基したと伝え

られています


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竹中氏菩提寺として知られ

天正15年(1587)、半兵衛の長男重門公が、父の菩提を弔うため

播州三木からお墓を移葬しました


そのお墓は、境内の南側にあります

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お寺から、少し歩いていくと、JR東海道本線下り線が見えてきました


その下をくぐっていきます


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その先には、藤の花が、とてもきれいに咲いていました

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その先、右側にも道があり、

さらに、曲がり角には案内板も設置してありますが、

コースは、まっすぐ南に進んでいきます

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やがて前方に石垣が見えてきました

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竹中氏陣屋跡です


半兵衛の長男重門公が、天正16年(1588)に築いたもので

陣屋と呼ばれていますが、小型の城のような感じで、

安土桃山時代には、岩手城と呼ばれていました


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現在は、櫓門と石垣の一部分、水掘の一部分が残っています

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近くには、半兵衛の像(竹中重治像)がありました。


一見すると、半兵衛の城という感じに見えますが

実際は、半兵衛の死後、播州三木にあった墓を、重門公がこの地に

移し、さらにその一年後に完成した居城ということになります。

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さらに進んでいくと、特徴的な建物が見えてきました


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菁莪記念館(せいがきねんかん)です


天保年間に、旗本竹中氏は、道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導

明治になって、菁莪義校、菁莪学校として発展しました

この記念館は、昭和54年(1979)に開設、竹中家に関係する資料など

が保存、展示されています

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記念館の前には、岩手橋と書かれた親柱がありました


近くには、相棒の親柱も置いてあります

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引き続いて、南方向に歩いていきます


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しばらく歩いて、この信号交差点を左に曲っていきました

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東方向に歩いていきます


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その先、斜めに伸びている道に入っていきました

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住宅地の中を歩いていきます

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突当りを右に曲がっていきました

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さらに歩いて、この先を左に曲っていきます

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この辺りは、くねくねと曲がりながら、歩いていきました

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やがて、少し広い道に出ると、道がまっすぐ続いています


左側に、気になるものがありました

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橋の親柱です

「昭和六年三月架設」と書かれています

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文字が達筆で、パッと見ただけでは、さっと読めませんが

「いわてはし」と読めます


先ほど、菁莪記念館にあった親柱の対岸側のものであると思われ

ます

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緩やかに、左にカーブしたあと、この先を右に曲がっていきます


時刻はちょうどお昼を過ぎた後ですが

近くで飼われている、ニワトリが「コケコッコー」と鳴いていました

今から思えば、何かを伝えようとしていたのかもしれません

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すぐに見えてきた信号交差点を左に曲っていきました


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広大な田園の中を歩いていきます

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しばらく歩いていくと、前方に赤い橋が見えてきました

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相川に架かる、岩手橋です


先ほどの、親柱があった橋は、この場所の橋でした

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橋を渡って、垂井町の町中に入ってきましたが


続きは明日です