1月20日 日曜日に参加した
名鉄ウィンターハイキング
学問の神様にあやかる!
北野天神社筆まつりコース
の続きです
生駒家の守護神の外宮である
南山神明社から東方向に歩いていきます
蝋梅です
花が蝋のような色、なおかつ旧暦の12月にあたる臘月(ろうげつ)に
咲くことから、その名がついたそうです
「水と酵母にこだわる酒蔵」で
仕込水は、地下百米を流れる木曽川伏流水を、一切加工せず
自然のまま使用
酵母は、控えめな奥行きのある香りと、深い味わいを醸し出す
十号酵母のみを使用しています
先ほどの道に戻って、
東方向に少し歩いたあと右に曲がっていきます。
再び東方向に歩いていきます
左前方には、
先ほど立ち寄った勲碧酒造の高い煙突が見えてきました
ここから、この五条川に沿って歩いていきます。
川沿いの道は、
歩行者用に整備されていて、尾北自然歩道と名づけられていました
また、この五条川は、桜の名所として知られていて
川にそって、桜の木がずらりと立並んでいる景色は、この時期でも
しばらく歩いていくと、国道155号線が見えてきました。
この辺りで、江南市から、大口町に入りました。
去年、平成24年(2012)に、町制50周年を迎えた大口町は、
丹羽郡になります
河原アート
アンパンマン?のような丸い顔
さらに歩いていくと、川沿いの公園に入ってきました
四季桜が咲いていました
この公園は、
安土・桃山時代の武士 堀尾金助と、その母の「裁断橋物語」を
テーマに子を想う母の心を後世に伝える歴史公園です
その裁断橋を渡っていきます
かつて名古屋市の熱田宮宿の外れを流れていた精進川に架かって
いた橋をモデルとしています
天正18年(1590)、豊臣秀吉が天下統一を目前とした小田原討伐
その戦いに参戦するため堀尾金助(18歳)を、この橋で母が最後に
見送ったと伝えられています
金助氏は、6月に陣中にて戦死、病死という説が有力とされています
ちなみに、この橋にある手前の建物は、姥堂の山門で、
昭和20年(1945)3月の名古屋大空襲の時まで、現存していたようです
この拝殿は、文久3年(1863)に再築されたもので
さて、ここから再び五条川に架かる橋を渡っていきますが
続きは明日です