10月13日 土曜日に参加した
JR東海 さわやかウォーキング
円空の歴史と
関の刃物まつりを訪ねて
の続きです
関市文化会館から、関川を渡ったところからです
関川は、桜の名所として有名で、毎年4月上旬頃に満開となるそう
です
さらに進んで、緑ヶ丘中学校の横を通ってきます
前方に見えてきた鉄塔は、気になりませんか?
普通の人は気にしませんが
この鉄塔は、関西電力です。
近くを流れる長良川には、電力ダムがないので、
遠く木曽川水系のダムで発電した電力を関西地方へ送電している
その先に見えてきたのが、東海北陸自動車道です
やがて前方に見えてきた信号交差点の
前方には、小高い山があって、
再び、西方向へ歩いていきました
コースは、先ほど曲がったところから往復コースとなっていて
やがて右側には、
右側が先ほどの松尾山 永昌寺
鮎之瀬橋です
昭和43年(1968)に完成した赤いトラス橋ですが
塗装の塗り替えか補強工事中なのか、橋全体にカバーか付けられ
ていました。
橋本体が見えないのは残念ですが、このような風景も、とても珍しく
橋好きにはたまらないものです
下を流れるのは、清流として知られる長良川
この橋の上流で行われる小瀬鵜飼(おぜうかい)は
岐阜市の長良川鵜飼と同じ、皇室御用の鵜飼です。
規模としては、小さいものの昔ながらの漁法としての鵜飼が色濃く
円空入定塚です
晩年、円空が自坊としていた弥勒寺の南に位置していて
元禄8年(1695)に、死期を悟った円空が入定(にゅうじょう)したと
伝えられています
その先に見えてきたのは、現在の弥勒寺で
元々弥勒寺は、飛鳥時代7世紀後半から存在した古代寺院で
隣接して、律令制下の武儀郡衙(郡の役所)の遺構、
弥勒寺官衙遺跡があります。
文献に見られる郡衙の施設【郡庁院、正倉院、館(たち)、厨家(くり
や)など】が把握できる全国で例のない遺跡で、飛鳥・白鳳時代
奈良時代から平安時代中頃、さらに中世の遺構が重なり合う
複合遺跡です
少し入った森の中に、弥勒寺跡がありました
正面に講堂跡があり、法起寺式伽藍配置となっています
円空が再興したときには、園城寺(三井寺)の末寺となったことが
記録に残されています
関市円空館です
館内には、関市域の神社・寺・個人などが所蔵する円空仏が展示
されている他、
弥勒寺跡や弥勒寺官衙遺跡、この場所で発掘された奈良時代の
祭祀・工房跡の弥勒寺西遺跡の出土品が展示されています
館内は撮影禁止だったので、近くの看板でイメージ
通称、円空館と呼ばれています
ここから南方向へ歩いていきました
やがて左に曲ると、長良川にかかる鮎之瀬橋が見えてきました
ちょうどぐるりと一周してきた感じになります
再び、この橋を渡っていきました
前方から参加者が、こちらに向かって歩いてきいます
この日のさわやかウォーキングは、他に3ヶ所開催していたのが
いつもより参加者が少ないようです
橋を渡って、この先を左に曲がっていきます
やがて、往復コースの分岐点が見えてきました
行きは、右側の道から来ましたが
帰りは、そのまま、まっすぐ歩いていきます
さらに歩いて、この先を右に曲がっていきますが
八幡神社です
反り増しが美しい、朱塗りの両部鳥居の後方に、二つの鳥居があり
田畑が広がる場所を歩いていきます
この道は、国道156号線で
とても車の通行量が多い道路です
東海北陸自動車道の下をくぐっていきました
その先の信号交差点を、右に曲がっていきます
しばらく東方向へ歩いていきます
その先は、街路樹が美しく続いています
しばらく歩いて、この信号交差点を右に曲っていきました
そして橋の名前は、茄子比(なすび)橋です
名前の由来は不明ですが、気になりますね
続きは、週末のハイキング情報のあとです