7月14日 土曜日に参加した
天理駅長お薦めフリーハイキング
夏の郡山城跡・
奈良世界遺産をたずねて
の続きです
郡山城 追手門からです
この門も復元されたもので、
他の櫓に先駆けて昭和58年(1983)に完成しました。
その追手門と追手向櫓の間には、多聞櫓がありました
この郡山城は、天正8年(1580)に筒井順慶(つついじゅんけい)が
築城とされていますが、それ以前にも
10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録も残っています
天正13年(1585)に豊臣秀吉の弟、秀長が、大和国・和泉国・紀伊国
三ヵ国100万石余の領主として、郡山城に入り大増築を行ないました
少し高台に進んだところに、風格のある建物がありました。
大和郡山市民会館(城址会館)です
明治41年に奈良市登大路町の興福寺境内に、県立図書館として
建てられ、昭和45年、この地に移築されました
橿原線の車内から見ると、他の櫓と一体となって
まるで城郭の建物ように見えます。
郡山藩主であった柳沢家(1724-1871)の歴史的資料や地域資料を
保存し、企画展示を行い公開もしています
夏草におおわれた、お堀の風景です
とても大規模で、立派な城であったことがわかります
さらに進むと、柳澤神社がありました。
この奥には、天守台があり、5層6階の天守閣が建っていたそうです
続きは明日です