先週、4月7日 土曜日は


JR東海 さわやかウォーキング


多治見を彩る陶器 春まつりを訪ねて


に参加しました。


どこでも早起き、ウォーキング-1

スタートは、JR中央本線 多治見駅です。

どこでも早起き、ウォーキング-2

岐阜県 多治見市 音羽町になります


久しぶりの多治見駅です

どこでも早起き、ウォーキング-3
マップをもらいます。


今回は、改札内で配っていて、それを知らず改札を出てしまい

駅員に事情を話して、また改札内に戻る参加者の姿もありました。


実は、善吉丸も、その一人です


どこでも早起き、ウォーキング-4

今日は、

多治見市内を歩いて、「たじみ陶器まつり」を尋ねるコースで、

途中、旧笠原鉄道の廃線跡が含まれる、とても楽しみにしていた

コースです

どこでも早起き、ウォーキング-5
スタートです、


南口から、南方向へ歩いていきます


どこでも早起き、ウォーキング-6

今日の天気は、晴れ、気温も、この時期らしい春の暖かさ


最近の土曜日にしては、珍しいハイキング日和です


しばらく歩いて、前方に橋が見えてきました。

どこでも早起き、ウォーキング-7

土岐川に架かる陶都大橋です


多治見市が陶磁器(美濃焼)の生産が盛んであることから

陶磁器の都という意味をこめて、この橋の名前が付けられました。

どこでも早起き、ウォーキング-8

恵那市の夕立山を源流とする

土岐川は、岐阜県内の川の呼ばれかたで、

愛知県内では、庄内川と呼ばれている川の上流です。


どこでも早起き、ウォーキング-9

陶都大橋を渡って、右に曲るとすぐに、別の川が流れていました


その先に見えている橋を渡っていきます.。


どこでも早起き、ウォーキング-11
笠原川に架かる昭和歩道橋です。


桜が、ようやく咲き始めました。


どこでも早起き、ウォーキング-10

この橋を渡って、右側に笠原鉄道の遺構が残っていました。


どこでも早起き、ウォーキング-12

土岐川を渡って、すぐの位置にある道路を跨ぐ橋の橋脚です。


これから歩く、笠原鉄道の廃線跡は、「陶彩の道」という遊歩道と

して整備されて、こういった遺構の大部分はなくなっているので

当時の面影を伝える貴重なものです。


笠原鉄道

昭和3年(1928) 新多治見駅~笠原駅が開業

昭和19年(1944) 駄知鉄道等と合併し、東濃鉄道の笠原線となる

昭和46年(1971) 乗客数減少により旅客営業休止、貨物のみ営業

昭和53年(1978) 全線廃止


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左に曲って、笠原鉄道の廃線跡を歩いていきます。

どこでも早起き、ウォーキング-14
すぐ近くには、このような看板がありました。


笠原鉄道の本多治見駅跡です。

新多治見駅を出発した列車が、

土岐川を渡って、最初に、たどり着く駅です。


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看板のある場所と、

実際に駅があったと思われる場所が少しずれているようで

ちょうど、この辺りでしょうか?


どこでも早起き、ウォーキング-16
やがて

前方に見えてきた山に沿うように、緩やかに曲がっていきます。


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さらに、右方向に曲っていきました。

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ここから、しばらく直線が続きます。


この日は、名古屋市内では、桜が八分咲きでしたが

夏が日本一暑い多治見とはいえ、岐阜県の山間部、

桜の花は、咲き始めたばかりです。


どこでも早起き、ウォーキング-19

さらに進んでいくと、道路が交差してるところがありました。


ここを跨ぐ橋は

列車が走っていた当時にあったものかは不明ですが

ちょうど列車が通れる高さと幅です。

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笠原鉄道は、東濃鉄道笠原線になってからも電化されず

蒸気機関車、ガソリン動車を経て、ディーゼルカー・機関車が走って

いました。


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やがて前方に、大洞川にかかる新大洞橋が見えてきました。


二年前に歩いたときには、右に曲がり大洞川に沿って歩いていき

ましたが、今回は廃線跡を、そのまま歩いていきます。


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その橋を渡った先には、京町休憩所がありました。


このさわやかウォーキングのために設置してくれた休憩所で

地元住民の温かさが伝わってきます。


東濃地方は、このような「おもてなし」が特に多く、

いつもこの土地を訪れるを、楽しみにしています。


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すぐ近くには、笠原川が流れていました。


ここに架かる東新橋も、いい雰囲気の橋です


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ここから、笠原鉄道は、川のすぐそばを走っていました。


ちょうど、ここが新多治見駅から、3つ目の駅 市之倉口駅です


隣に見える工場は、東京窯業、現在の社名はTYK

この工場に専用線があり、陶磁器や耐火レンガなどの貨物を、

取り扱っていました。


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当時の様子がわかる貴重な写真も、看板にありました。


広い構内に、立派な駅舎、積み込まれる数多くの貨物


この貨物が、

トラックに切り替わったことが、笠原線の廃止につながったようです。


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さて、笠原鉄道廃線跡は、まだまだ続きますか


この続き木は明日です。