先週 5月28日 土曜日は、
JR東海 さわやかウォーキング
有松絞りと
桶狭間の戦いゆかりの史跡を巡る
に参加しました。
久しぶりの愛知県で、名古屋市 緑区 大高町になります。
今日は、緑区の大高町、鳴海町、有松町を歩きます。
駅舎を出て、右側(画面で言うと左側)に、少し進んで、
この高架下をくぐっていきます。
JR東海道本線の高架をくぐると、もう一つ高架橋が見えてきました。
この高架橋も、くぐっていきます。
東海地方は、
早くも梅雨入りしていて、この雨は、止みそうもありません。
ただ、強い降りではないのが幸いです。
この先の交差点を左へ曲がっていきます。
やがて、左に曲がると、信号のない交差点が見えてきました。
ここを、横断して右に曲がっていきます。
左側の細い道のほうへ、進んでいきます。
境内に入っていくと、枝振りが大きく見事な、クスの木がありました。
樹齢1000年~1200年といわれ
室町時代には、すでに大木だったと伝えられているそうです。
記録としては、貞永元年(1232年)、久野家初代が、社職になった
というのが残っています。
また本殿は、昭和34年(1959)の伊勢湾台風によって倒壊し
昭和43年(1968)に新築したものです。
その鳴海八幡宮の横を通っていきます。
やがて、右に曲がると信号交差点がありました。
ここを横断して、そのまま、まっすぐ進んでいきます。
やがて、前方に歩道橋が見えてきました。
その国道1号線を横断して、さらにまっすぐ歩いていきました。
その先に見えてきたのは、名鉄名古屋本線です。
ハイキングの記事で、名鉄が登場するのは久しぶり
今月は、名鉄の歩け歩け大会は、一度も参加しておらず
意外な形で、名鉄を見ることができました。
右に曲がり、名鉄名古屋本線に沿って、歩いていきます、
奥には、鳴海駅が見えていて、
その手前の交差点を、左へ曲っていきます。
名鉄名古屋本線の高架下をくぐっていくと、
扇川の由来は、平安時代の貴族が、和歌を詠んで
それを扇に書き記し、川に流したことからと
地元の老人から聞いたことがあります(真偽は不明)。
この辺りは、40番目の宿場、鳴海宿があった場所で
ここには、かつて高札場が設置されていました。
東海道から、少し離れた坂の途中にあります。
正面には、神社がありました。
かつて、この場所には、鳴海城があり、
別名 根古屋城とも呼ばれていました。
この城は、天文年間には織田信秀の支配下にあり
配下である山口教継が今川義元の攻撃に備え、城主を務めていました
しかし織田信秀が急死すると、家督は、信長が引き継ぎ
その破天荒ぶりに、
山口教継は見切って、城ごと、今川義元のほうに、寝返りました。
続きは明日です。