ペタしてね


先週 5月28日 土曜日は、


JR東海 さわやかウォーキング


有松絞りと


桶狭間の戦いゆかりの史跡を巡る


に参加しました。


どこでも早起き、ウォーキング-1
スタートは、JR東海道本線 大高駅です。


久しぶりの愛知県で、名古屋市 緑区 大高町になります。


どこでも早起き、ウォーキング-2
改札口を出て、マップをもらいます。


どこでも早起き、ウォーキング-4

今日は、緑区の大高町、鳴海町、有松町を歩きます。


どこでも早起き、ウォーキング-3
スタートです。


駅舎を出て、右側(画面で言うと左側)に、少し進んで、

この高架下をくぐっていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-5
JR東海道本線の高架をくぐると、もう一つ高架橋が見えてきました。


東海道新幹線です。

この高架橋も、くぐっていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-6
今日の天気は、雨


東海地方は、

早くも梅雨入りしていて、この雨は、止みそうもありません。

ただ、強い降りではないのが幸いです。


この先の交差点を左へ曲がっていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-7
すぐに、ウィスキーの看板の先の道へ入っていきました。


どこでも早起き、ウォーキング-8
しばらく、この道をまっすぐ歩いていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-9

やがて、左に曲がると、信号のない交差点が見えてきました。


ここを、横断して右に曲がっていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-10
すぐに道が二手に分かれていました。


左側の細い道のほうへ、進んでいきます。


どこでも早起き、ウォーキング-11
その道を進んでいくと、前方に森が見えてきました。


どこでも早起き、ウォーキング-12
鳴海八幡宮です。


どこでも早起き、ウォーキング-13

境内に入っていくと、枝振りが大きく見事な、クスの木がありました。


樹齢1000年~1200年といわれ

室町時代には、すでに大木だったと伝えられているそうです。


どこでも早起き、ウォーキング-14
この神社の創建は、不明で

記録としては、貞永元年(1232年)、久野家初代が、社職になった

というのが残っています。


また本殿は、昭和34年(1959)の伊勢湾台風によって倒壊し

昭和43年(1968)に新築したものです。

どこでも早起き、ウォーキング-15
その鳴海八幡宮の横を通っていきます。

どこでも早起き、ウォーキング-16
やがて、右に曲がると信号交差点がありました。


ここを横断して、そのまま、まっすぐ進んでいきます。


どこでも早起き、ウォーキング-17
さらに歩いて、ここを左へと曲っていきました。


どこでも早起き、ウォーキング-18
しばらく、この道をまっすぐ歩いていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-19

やがて、前方に歩道橋が見えてきました。


どこでも早起き、ウォーキング-20
国道1号線です。


どこでも早起き、ウォーキング-21

その国道1号線を横断して、さらにまっすぐ歩いていきました。


どこでも早起き、ウォーキング-22

その先に見えてきたのは、名鉄名古屋本線です。


ハイキングの記事で、名鉄が登場するのは久しぶり

今月は、名鉄の歩け歩け大会は、一度も参加しておらず

意外な形で、名鉄を見ることができました。


どこでも早起き、ウォーキング-23
その高架橋の手前で、

右に曲がり、名鉄名古屋本線に沿って、歩いていきます、


奥には、鳴海駅が見えていて、

その手前の交差点を、左へ曲っていきます。


どこでも早起き、ウォーキング-24

名鉄名古屋本線の高架下をくぐっていくと、


その先に橋が見えてきました。

どこでも早起き、ウォーキング-25
扇川に架かる浅間橋です。


扇川の由来は、平安時代の貴族が、和歌を詠んで

それを扇に書き記し、川に流したことからと


地元の老人から聞いたことがあります(真偽は不明)。


どこでも早起き、ウォーキング-26
橋を渡って、ここから少し上り坂になりました。


どこでも早起き、ウォーキング-27
信号交差点の交差している道が、旧東海道です


この辺りは、40番目の宿場、鳴海宿があった場所で

ここには、かつて高札場が設置されていました。


どこでも早起き、ウォーキング-28
現在、復元された高札場が、


東海道から、少し離れた坂の途中にあります。


どこでも早起き、ウォーキング-29
さらに、その坂を歩いて、この先を右に曲がっていきますが、


正面には、神社がありました。


どこでも早起き、ウォーキング-30
天神社です


かつて、この場所には、鳴海城があり、

別名 根古屋城とも呼ばれていました。


この城は、天文年間には織田信秀の支配下にあり

配下である山口教継が今川義元の攻撃に備え、城主を務めていました

しかし織田信秀が急死すると、家督は、信長が引き継ぎ

その破天荒ぶりに、

山口教継は見切って、城ごと、今川義元のほうに、寝返りました。


どこでも早起き、ウォーキング-31
コースは、まだまだ見所いっぱいですが


続きは明日です。



ペタしてね