1月29日 土曜日に参加した
名鉄ウィンターハイキング
徐福伝説の地!
白うさぎ鎮座の兎足神社と豊橋公園 コース
の続きです
国道1号線 吉田大橋の西側からです。
豊城中学校の横を通っていきます。
ここは、豊橋市の中心地で、
少し歩いていくと、左側に市役所の建物が見えてきました
やがて、前方に西八町の交差点が見えてきました。
この交差点は、豊橋鉄道市内線が大きくカーブして走っています。
路面電車が走る町、いいですねー(・∀・)
路面電車を右側に見ながら歩いていきます。
この建物は、豊橋市制25周年を記念して、昭和6年(1931)に建て
られた鉄筋コンクリート3階建ての建物です。
頂上には二つのドームがあり、近くには、鷲が羽ばたいています。
傍らには、そのドーム近くに飾られていた建設当時の鷲があって
その大きさと、迫力に驚かされました。
一般に知られているのは、豊橋公園は、吉田城の城跡を公園に
した場所ということですが、その吉田城と豊橋公園の間に、
ある施設として、使用されていたという歴史があります。
それは、この公園の入口が、その歴史の一部を物語っています。
この門は、
明治31年(1898)に造られた、豊橋歩兵第18連隊の営門です。
門のそばには、哨舎とよばれる哨兵の小屋があり
歩兵第18連隊に出入する人たちを24時間チェックしていました。
この営門からは、延べ6万人ともいわれる将兵が、次々と戦場に
向かって出兵して行き、シベリア、満州、サイパン、ガダルカナル
などに転戦して、この地に帰る人は少なかったと思われます。
豊橋歩兵第18連隊の建物で、唯一残されているもので、
隣には、火薬庫があったそうです。
その軽油庫のそばに、猫がいました。
少し警戒していましたが、近づいても逃げませんでした。
まるで、軽油庫の見張り番のようです。
レンガ積みの小さな建造物がありました。
灰捨て場といわれるもので、
厳しい訓練の一日が終わり、点呼のラッパが鳴るころ、
新兵が、タバコの吸殻と暖炉の灰をかき集め、ここに捨てにきた
そうです。
この豊橋歩兵第18連隊の施設は終戦まで続いて、
戦後は、現在見る公園として、市民の憩いの場となりました。
歴史の証人として、今も、ひっそりと残る豊橋歩兵第18連隊の跡、
戦争の悲惨さと命の大切さを、伝えようとしているようにも見えました。
その奥に、再建された吉田城の鉄櫓(くろがねやぐら)がありました
入口には、見覚えのある、ゆるキャラがいました。
去年の豊川稲荷の「ゆるキャラ大行進」でお会いしてから
久しぶりです。
豊橋の「豊」の文字と、
毎年2月に行なわれる、豊橋の代表的なお祭り、「鬼まつり」に
登場する、赤鬼をイメージしています。
今回は、特別開放されていました。
往時の吉田城を再現した模型は、特に注目です。
ここから眺める、豊川の流れは、とても雄大でした。
吉田城の鉄櫓は、
最近、瓦を改修したそうで、とても美しくよみがえりました。
とても、緑が豊かな公園です。
やがて、前方に赤レンガ造りの建物が見えてきました。
とても、落ち着いた雰囲気の美術館で、
常設展示室では、収蔵品の絵画や焼物が展示されていて、
特に、今年の干支であるウサギの張子の数々は、
とても心が和むものばかりで、思わず見入ってしまいました。
約8km 約2時間歩きました。
ラッキーナンバーは、83番なので、ラッキー賞が当りました。
「干支のせっけん」でした、
紹介は、最後のほうで、お伝えします。
13階には、展望ロビーがあって、自由に行くことができました。
素晴らしい眺めは、さまざまな方向から楽しむことができました。
豊橋駅周辺と、奥には渥美半島が一望できました。
上空から見る、豊橋の街並み、とても素晴らしかったです。
豊橋は、まだまだ魅力がありそうな町で、
また機会があったら、訪れてみたい場所でした。
さて、今回、ラッキー賞として、もらえた「開運干支石けん」
なかを開けると、真っ白なウサギが出てきました。
石けんとなっていて、アクラフローラルの、とてもいい香りがします。
その石けんと同封して、
ウサギの耳、目、鼻口と羽子板のシールと、屏風がついていました。
楽しい組み立て式に、なっていたのです。
とても、可愛いですね。