名鉄の歩け歩け大会
「笠松秘仏めぐりと笠松刑務所矯正展コース 」に参加しました。
スタートは、名鉄竹鼻線 柳津駅です。
名鉄の歩け歩け大会、今期初めての岐阜県です。
笠松町の見所をめぐりながら歩いていきます。
竹鼻線が近くを走っていて、電車が通ると、
近くの踏み切りの警報音が周囲に鳴り、電車が走り去る音が聞こえ
再び、静けさが戻る感じの所です。
風もなく、気温は、この時期としては高め暑いくらいの陽気です。
少し首が傾いて穏やかな表情のお地蔵さんは、
「北門間のお地蔵様」です。
江戸時代中頃の天明元年(1781)9月に作られました。
当時は、災害が多く、その災害や病気から、
身を守りたいという人々の願いがこめられていたと思われます。
スタートしてから、約1.6㎞地点です。
毘沙門天像と不動明王像の二体の、円空仏が祀られていました。
円空仏の素晴らしさを、とても間近で見ることができました。
その先は、笠松町運動公園です。
運動公園に入る手前で、ラッキーカードが配られていました。
しばらく、この道を歩いていきます。
樹木の向こう側の道を右へ曲がります。
織田信長と対面をしました。
道三の娘、帰蝶(濃姫)を織田信長に嫁入りさせたため
自分の目で、信長がどんな人物か確かめたかったということです。
会見を終え、信長は、道三をたてて、
この地、田代城(白鬚神社)まで来て、別れの宴を開いたそうです
田代の交差点から、少し歩いていくと、「割烹 松廣」が見えてきました。
辻康食品からの寒天と、「割烹 松廣」の鮎寿司の試食がありました。
その下をくぐっていきます。
ここから、通りへ出ます
この山門の左側には、水子を供養した千躰地蔵が安置されています。
右側にも、お地蔵様が祀られていました。
このお地蔵様は、関ヶ原の戦場付近に、無残に放置されていたそうで
戦後その姿に同情した兵士が、帰郷する際に持ち帰り、このお寺に預けました。
商店街も、コースもまっすぐですが、
この先の所で右へと曲がっていきます。
すぐに堤防が見えてきました。
木曽川です。
かつての笠松湊のあとにある、みなと公園に到着しました。
江戸時代から明治期
川湊として対岸の渡船の他、桑名、四日市へなどの船で、大いに賑った所です。
荷物を積んだ大八車が、地面に食い込まないように、
大きな石を敷いて固くした「石畳」が今でも残っていました。
後方に見える橋は、木曽川橋です。
そして、上流の方向には、名鉄名古屋線の鉄橋が見えています。
当時の生活ぶりをうかがい知ることができました。
お庭も、とてもいい感じでした。
杉山邸から、少し歩くと、小さなビルが目立ってきました。
館内は、笠松町の歴史や伝統、商工業など、豊富な資料で紹介されていました。
どこか懐かしい雰囲気の商店を見ながら歩いていきます。
ちょうど、スタンプラリーもあって、商店街の人たちと触れ合いながら
コースを進んでいきます。
八幡神社です。
その神社に入る手前で、右へ曲がっていきます。
美濃と尾張の国境に、
交通軍事の要所として陣屋が置かれたのが始まりといわれています。
廃藩置県により、慶応4年(1868)に笠松県が誕生し、
約200年続いた笠松陣屋は、笠松県庁と名前を変えました。
明治4年(1871)に、岐阜県が誕生
明治6年(1873)、県庁が岐阜市に移るまで、笠松は岐阜県の中心地でした。
創建時期は、不明ですが、
社宝の一つの釈迦如来像を表した懸仏の裏には、
土岐氏が奉納した様子が墨書きされていることから、
室町時代には存在したと推測されています。
この踏切の手前には、笠松小学校
踏み切りの先には、笠松中学校がありました。
笠松刑務所に到着しました
なかでも、七宝焼きは人気があるようです。
また、外のテントでも、各刑務所から刑務作業製品が販売されていました。
笠松刑務所で、受刑者が食べているのと同じパンが売られていました。
刑務所では、毎週土曜日がパン食となっているそうです。
岐阜工業高校のブラスバンド部による演奏が行われていました。
渡されたのは、証明書、マスク、ビニール袋、アンケート用紙です
もちろん撮影は禁止ですので、画像はありません
収容時委員は388人
覚せい剤犯罪者がもっとも多く収容されているといわれています。
ここの小さな扉から、刑務所内に入りました。
外のお祭騒ぎとは、裏腹に刑務所内は、ピーンと張り詰めた空気に包まれ、
ところどころ配置された職員のきびしい目が収支監視していました。
まず、案内されたのは、運動場です
毎日の運動の他、盆踊り、運動会なども行なわれているそうです。
つづいて
刑務作業を行なう矯正工場です
七宝焼きの製作のほか、プラスチック製品、洋裁
職業訓練として、美容、ボイラー運転、介護サービスもあります。
さらに進んでいくと、大浴場がありました。
一度に100人入れる、とても大きな大浴場です
週に二回の入浴、夏場は、もっと多くあるそうです
次に案内されたのは、講堂です
ここでは、受刑者の生活ぶりを再現したコーナーがありました。
最後に面会室と、美容室を見てまわりました。
美容室では、資格を取った優良受刑者が、地元の住民をお客様として
サービスを行なう場所でした。
ピーンと張り詰めた空気から、開放され、おもわず大きく、深呼吸しました。
この先、左へ曲がっていきます。
朱塗りの山門がとても印象的です。
伊勢湾台風のときに、倒壊しそのまま廃寺となり、この寺に安置されました。
この観音像は、織田信長が京都で見つけ、持ち帰り
陣中で一心に信仰してから、戦いに出ると敵に勝ったことから
「敵一倍観音菩薩像」といわれています。
今日のゴールです。
今日も、マイペース、
刑務所の見学もあったので4時間かけて歩きました。
予報どおり午後からだといいですね(^-^)/