秋のシルバーウィーク4日目
今日9月22日 火曜日祝日は、名鉄の歩け歩け大会
「清須めぐりと尾張四観音の筆頭!甚目寺観音コース 」に参加しました。
場所は、愛知県清洲市になります。
津島線の乗換駅、あるいは新川車庫の隣接駅として、知られています。
後半は、甚目寺町に入り、甚目寺観音を目指します。
今日の天候は、曇りで、雨が降ったりやんだり、涼しい気温です。
前方に見えてきた交差点を、右に曲がりますが
左側、少し進んだところに立ち寄る場所がありました。
コンパクトな造りの赤い山門が、とても印象的です。
江戸末の天保3年(1832)に僧 誓阿によって再建されました。
川原石積みの基壇k上に建てられています。
この多宝塔は、
天保5年(1834)に、尾張藩主 徳川斉朝が寄進し完成しました。
この塔には愛染明王が安置されています。
複雑な構造の屋根の木組みも美しいです。
しばらく歩いていくと、名鉄津島線の線路が見えてきました。
そして、少し行って、左へ曲がっていきます。
しばらく、この道を歩いていきます
その下をくぐります。
まずは、この先を右に曲がります
前方遠くのほうで、新幹線が走っているのが見えました。
戦国時代に、豊臣秀吉の生母が、この神社に子授け祈願し
その後、秀吉を生んだと伝えられています。
この日吉神社からとったといわれています。
少し進んだところで左へ曲がります。
織田信長公の天下不武への足がかりとなった城として有名です。
旧清洲町 町制100周年として、平成元年に建てられたものです。
東海道新幹線、JR東海道本線からも見えて、
現在、清洲市のシンボルともなっています。
鼓を打つ濃姫、そして森蘭丸の姿も見られます。
桶狭間の戦いを前に、決死の覚悟を秘めていたそうで、
信長は、この戦いで勝利し、天下不武のきっかけとなりました。
このあとコースは、この橋を渡り、
東海道新幹線、JR東海道本線を、ふたたび、くぐりぬけいきます。
尾張の都、名古屋が完成すると、役目を終えます。
「清洲越し」という言葉が生まれたのも、このときでした。
ラッキーカードは、ここで配られていました。
ここの交差点から、右へ曲がり少し歩きます。
とても、落ち着いた雰囲気のあるお寺です。
ところが、この山門をくぐると
トラが、勢いよく飛びかかろうとしていました。
ご本尊は、子安観音、奥本尊が地蔵菩薩となっています。
コースは、もう少し、この道をまっすぐ進んでいきます。
新清洲駅のホームが近くにありました。
目の前は、海部郡甚目寺町になります。
ここを、右へと曲がって行きます。
人家が少なくなり、田んぼの広がる風景へと変わっていきました。
遠く見える高架橋は、東名阪自動車道です。
この先、青い看板のある交差点を左へ曲がります。
前方に変わった形の大きな建物が見えてきました。
とても、楽しい道でした。
そして、すぐに左へ曲がっていきます。
この門は東門と呼ばれる門で、お寺の脇から入る門です。
寛永11年(1634)建造です
こちらは、鎌倉時代建久7年(1196)に造られたものです。
歴史の大きさを感じます。
寛永4年(1623)に、名古屋の両替商 吉田半十郎政の寄進により
造られました
甚目寺は、真言宗智山派のお寺で、尾張四観音として知られています。
いきなりですが
ゴールですヽ(゚◇゚ )ノ
今日のゴールは、この甚目寺観音の本堂でした。
雨も、そんなに降らなくて良かったです
さあ、明日は、シルバーウィーク最終日
お天気がどうかな~うーん:( ̄∀ ̄)