シルバーウィーク3日目
9月21日月曜日祝日は、JR東海のさわやかウォーキング
「紀勢本線全通50周年記念 東海道五十三次 亀山宿を訪ねて」
に参加しました。
約1週間前に参加した近鉄の歩け歩け大会
「県名由来の「杖衝坂」と佐佐木信綱生誕地 」で訪れた
旧東海道石薬師宿、その端の一里塚跡です。
今日は、この先の旧東海道亀山宿へ向かいます。
場所は、三重県亀山市井田川町になります
善吉丸、初めての三重県でのさわやかウォーキングです
途中、日本武尊終焉の地、能褒野(のぼの)に立ち寄る一般コースと
立ち寄らないファミリーコースが設定されています。
今日の天候は、雲が多いものの、いい天気となりました。
気温も、心地よい風が吹いて、ちょうどいい感じです。
左へ曲がり、坂を登っていきます。
とても、車の交通量が多い道路です。
やがて、下り坂になり、この先で国道1号線の下をくぐっていきます。
下流では、津市の中心部を流れています。
川の流れは、堤防からは、まったく見えませんでした。
能褒野橋です。
車の通行量が多く、JRの職員さんに安全を確認してもらいました。
古事記によると、日本武尊が東征の帰途、
伊吹山の神との戦いで病に倒れ弱った身体で、大和帰還を目指して
剣を杖代わりにして、今の采女にある急坂を登り「我足如三重勾面甚疲」
(我足は、三重の曲がりのごとくして、はなはだ疲れたり)といったそうです
それが、「杖衝坂」と「三重」の名前の由来となったということを
先週のハイキングで紹介しましたが、
その後、日本武尊は、この地に到って亡くなったといわれています。
そこを進んでいきます。
この能褒野神社は、日本武尊を主祭神とする神社です。
記紀の記述に基づき
三重県北部最大の前方後円墳が、明治12年に内務省により
「日本武尊御墓」と定められ、現在も宮内庁により管理されています。
今度は、そのまままっすぐ進んでいきます。
道路を横断して、左側のカーブをしている道へ進んでいきます。
三重県に展開しているスーパーで、根強い人気のスーパーです。
ちなみに、二号館、三号館はなく、三重県にあるどの店も一号館です。
このスーパーから、少しいったところから下り坂になります。
ファミリーコースとの合流点です。
ここを右に曲がっていきます。
参加費している人の姿が、ここから増えて賑やかになりました。
この先下り坂になります。
そして、その向こうには昔からの家並みが見えています。
その手前で右に曲がります。
その下をくぐっていきます。
延暦15年(796)、大和の国布留郷(奈良県天理市)の住人
「紀真龍」により勧請された「新熊野三社」の神宮寺として
開創されたといわれています。
有名な、カメヤマローソクの工場がありました。
この鳥居は、
先ほど訪れた日本武尊の能褒野神社の「弐の鳥居」です。
ちなみに壱の鳥居は、亀山駅前にあり、ずいぶん広範囲に鳥居があります。
また、
当時のお店の名前を記した札が、現在の建物にもつけられていて
それを見ながら歩いていくも、楽しいものです。
亀山城ではありません、お店の建物でした。
子供の頃、ワクワクしたおもちゃ屋さんの雰囲気が残っていました。
そんな、タイムスリップした雰囲気を感じながら歩いていきます。
亀山西小学校です。
その市役所を過ぎると、見えてきました。
とても高さのある石垣の上に建つのは、本丸東南隅の多門櫓です
亀山城でも、
これ以外建物はすべて、明治6年の廃城令により取り壊されました。
C58359です。
とても、美しい状態に整備されています。
詳細は不明ですが、
子供の頃、よくプラモデルで作った形のセスナ機です。
城の雰囲気を色濃く残しています。
ちなみに、亀山市の花は、花しょうぶです。
突き当りを右に曲がります。
ここは、亀山城の西乃丸付近でもあります。
大きな扉から、はち丸くんが出てきそうな雰囲気です。
亀山駅前を会場とする
「亀山゛エキ"サイティングまつり」が開催中でした。
さまざまなイベントで賑っていました。
国鉄時代、さまざまな優等列車で賑った亀山駅の写真や資料が
展示してあり、見応えがありました。
今日は、約10.8キロメートル 約2時間30分歩きました。
JR東海の213系の並びも珍しいです。
パンタグラフを装備している、第1編成です
明日も、参加予定です。