昨日、病院へ行ってきた。


イライラがとまらないことと、悪い夢をみて朝かなりの疲労感があること、食事があまり取れないことを説明。


医師「薬やめた禁断症状が強いですねー、何とか弱い薬で乗り切りましょう」だって。


かんたんにゆうなやー!


こっちはかなりまいってんだー!


でも医師の言うことは絶対。無視して一回失敗してるし・・・


医師「食事が取れてないということなので、採血しましょうか」


採血中・・・・・・


医師「あ、このままだと腎不全になりかねないなー」


あっさり恐ろしいことをはく医師!?


まあ水分余分に取ってれば大丈夫らしいけど。


そうそう、料理を始めてみた。(料理と呼べるものじゃないほど簡単なもんだけど)


やってみると以外に面白い、また奥が深い。


うまく出来たときはうれしいし。


レシピは無視して常に自分の好みにするけど・・・


そんなこんなやって一つ決めたことがある。


ゆっくり生きよう。


今ままで全て急ぎすぎた。


時の流れを身近に感じながら、ゆっくりと。


いまさらおそいかな~。

今、薬が順調に減っているにですが、ついにこの時がやってきました!


禁断症状!!!


来るころだとは思っていたが、きついなー。


興奮、怒りが抑えきれない、些細なことでも怒りMAXだ。


人が見てないない所でものにあたる、これも手加減一切なし、手足が怪我だらけだ。


怪我で一番ひどいのは、足の小指のつめが消えたことだ・・・。


こんなことばかりしていることは出来ないので、不穏時用の薬を飲みまくり、副作用でまくり。


白髪が一目でわかるくらい一気に増殖(まだそんな歳ではないのに)。


土曜、病院にいって先生と相談してこようこれ以上ひどくなる前に。


ふと思うと麻薬とかの禁断症状もこんなかんじなんだろうな・・・。



追伸


 私のブログにいつも来てぺたくださる方、大変ありがとうございます。

 

 なんていうか私を知っていてくれるというだけで救われています。


 これからもつまらん事かいてますが、よろしくお願いします。


 





今日は午前中バイクに乗り、午後にばっちゃんの用事につきあった。


用事とは、ばっちゃんの兄弟が2人入院してしまったのでお見舞いに連れて行くことだった。


うちのばっちゃんも80歳、なんら病気してもおかしくない歳だ、もしかしたら死んでしまうかもしれない。


そんなことを考えているとばっちゃんが、


「もう今会っておかないと、今生の別れになってしまうからね」と、


なんか目頭があつくなった。


ばっちゃんと、ばっちゃんの義理の姉(今後あねさんと呼ぶ)を乗せてびょういんへ。


一人目はばっちゃんの実の姉、俺はこの人とは結構面識があるのだが半年振りに会ったら、小さかった体が


さらに小さくなっていた。しかももう俺のことはわからんらしい、「この人はだあれ」という感じだった。


この時、老いとはなんと早く、寂しい物だと感じた。しかたないことだけどね・・・


次にばっちゃの実の兄、あねさんの旦那さんにあいにいった。


この人とは大学生時代にあったきりだったが、覚えていてくれたのでうれしかった。


手術後とは思えないくらい元気で、順調に回復していた。


別れる際、なんて言葉をいっていいのかわからず、


「ゆっくり静養してください。」なんてありきたりの言葉しかでてこないじぶんが情けなかった。


見舞いの後、あねさんの家で茶をのむことになった。


茶を飲みながら、ダイトウワ戦争(第二次世界大戦)の時の話しをてくれた。


この時衝撃事実が、実は今の旦那さん(ばっちゃんの兄)は2人目の人で、一人目の旦那さんはその上の


兄だったそうだ。昔では戦争があった為、兄のお嫁さんが弟と再婚すること(戦死してしまった為)は珍しくなかっ


たらしい俗にエンコウというらしい。


そのとき、満州国の話や硫黄島玉砕の話をしてくれた。詳しく聞いたのは初めてだったので、いろいろと勉強?に


なった。なんだかんだで二時間ははなしたかな。


家に帰ったらじっちゃんが、「ありがとう」といってきた、私は「他人じゃないんだからなんのこともないよ」といった。


そしたらじっちゃんが「もうそろそろ俺もjとはお別れしなきゃらないな」と、そのときは笑い飛ばしたが、少し後涙を


ながした。


死とは誰にも平等に訪れるもの、自分が一番わかっているのに、自分が死ぬことよりじっちゃん、ばっちゃんが


死ぬことのがとても悲しかった。


いや~長々とgdgdで下手な日記でスマン。


今度の休みにたい焼きでもかってじっちゃん、ばっちゃんと茶でもシバクか!