龍泉洞&大津波語り部 | ヨハンソン

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今日も元気だ刺身が旨い♪

7:30 宮古に着きました。途中、事故のため一般道迂回はあったものの楽勝。
バスは3列シートの快適タイプだったんだけど、娘は「なかなか眠れなかった」そうで。音が気になったみたい。

8:00発の三陸鉄道で小本8:33着、さらに町営バスで日本三大鍾乳洞のひとつ、龍泉洞に9:20着。


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龍泉洞では水深98mにもおよぶ地底湖を見学。透き通った水をたたえた湖面を見ていると吸い込まれそう。。。

怖い…と言って洞窟を早々に飛び出した娘が食いついたのは、付近の清流で採れたアユとイワナ絵文字もうひとつ、ヤマメもあったな。
ふたりで半分ずつ食べて味比べしました。


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「全然違うね絵文字
「そうだね。パパもこんなに違うと思わなかった。」
「でも、ブリとカンパチも違うし当たり前か絵文字

帰りはちょうどいい時間にバスがなく、タクシーで小本へとんぼ返り。途中の道の駅で、運ちゃんにソフトクリームをおごってもらうというサプライズ。

次に小本から田野畑へ。この区間は三陸鉄道が大震災以来不通のままのため、険しい山道を代行バスで移動。

田野畑村ではNPO法人が中心となってツアーを企画しているんだけど、震災後は港が使えなかったり、装備が流されてしまったりと苦しい状況。そんな中、津波を間近に見た地元の人たちに「語り部」になってもらい、実際に被害が出たところを歩きながら話を聞く、というツアーをやってます。

今日の語り部Sさんは、60代くらいのおじさん。地震直後の様子から、25分後の第1波、直後の引き波、そして衝撃的な高さの第2波の姿を語ってくれました。ネットで目にする証言を見ると、津波は黒い壁だった、というのが多いのだけど、田野畑村のSさんが見たそれは美しい青だったとか。

そして、急斜面が迫るこの集落では、第2波が襲い、引いて行ったのはたった2~3分の出来事。遡上高さは明治のときとほぼ同じで、そのときの教訓にしたがった古い地区は被害なし。人々の意識が次第に風化し、海抜の低いところにできた新しい地区は壊滅。それでも180人の集落で亡くなった方は2家族7人のみで、それ以外はちゃんと避難できたということが逆に驚きだった。これが地域の絆の力ということだろうか。

ネットでは見慣れてしまって感覚が麻痺気味の津波情報だけど、直接話を聞くことはやっぱり有意義でした。

娘は興味半分、退屈半分って感じかなf(^^;)それでも、ガマンしておとなしくしていたのはよろしい♪

被災地区で写真を撮ることはやはり僕にはできなかったので、かわりにリフォームしてメルヘンチックになった田野畑駅を(^_^)/


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今夜はさらに北上して、久慈市で宿を取りました。
これから、海鮮料理のお店でも探しに行きます。