★【テレビ】そもそも、どうして日本は「食事をする姿」を大写しにするのであろうか。あれは、品性が無い。ひな壇で待機をしている芸人は、「うわー、おいしそー」というリアクションをしなければ小窓に出してもらえない。観覧席の一般人も、「うわぁぁぁ」とお決まりの反応が求められる。気持ちが悪い。

★ワタミには危機感を覚えるのでしつこい私。情報が無い人は、CMで老嬢が食べる姿を見て「ワー、おーいしそー! ギャル曽根ちゃんみたいな食べ方ー」とか思うだろう。「ワー」という反応は、いつもバラエティーで脊髄反応慣れさせられている。危険だ。http://www.watami-takushoku.co.jp

★私の70代の両親はそれぞれが(!)PCを持っている。しかし私が居る位置には入って来ようとしない。以前、チャンネル桜の大晦日の紅白デモを説明しようとしたら逃げられてしまった。長年留まっている居心地が良い「朝日新聞&NHK」から出ようとしない。こういう層がワタミのCMを笑顔で見てる。

★食事とは、何を食べるかよりも誰と食べるかだと私は考える。ワタミの宅食が栄養士さんの気合の賜物でも、仮に美味しくても、一人で食べるのは寂しい。単身でも大丈夫、ではなく家族をつくることの素晴らしさを・・・自民には訴えて欲しかったのだが今回の決断は一体? 頭からワタミの歌が消えない。

★鬱状態になると、私は一日中テレビをぼんやり見ている。モーニングバードに始まり、加山雄三の散歩、ひるおび、午後の2サスそして相棒、ニュースワイドショー、ドラマ。大量のCMを知る。中でも「ワタミの宅食」は歌からして頭にしつこく残る。老嬢が一人で寒々しく食べる「宅食」。全然魅力は無い。

★【駅前一等地】パチンコ屋で溢れかえっている駅というのは、訪ねて来てくれる友達に対して恥ずかしい。「何処に住んでいるの?」の問いに私が答えると、「ああ、あそこか・・・」となる。実際に住んでいるのがパチ屋の隣で無くても、印象として玉入れ屋と共に生きているようなイメージを与えてしまう。

★新大久保に沢山のカウンターの人達が集まった時、在日側はその夜「私達の声が大きかった」との喜びのツイートをしていた。「声が大きい闘い」は彼らにとって勝利なのである。一方在特会は数は気にしない。たとえ20人足らずであっても迎撃デモを行ったということに意味があり、後に「続いていく」。

★「真面目にやっていれば、世界は解ってくれる」・・・これは有りませんから。解ってもらうために、「私はこれをやった! あれをやった! これが結果です!!」とやらないと、関心を引くことすらないのだ。ここはお隣の国の方がずっと巧妙。あのしつこさも、情熱と解される。

★パチンコCMの無かった時代に戻したい。あの頃はPは駅前一等地に存在はしたが市民権は無かった。成りすまして軍艦マーチをかけていたが人々は冷たかった。今は様変わりして、若者が「憧れる」場所となった。CMも子供向けで溢れかえる。彼らの儲けはミサイルに変わる。それが日本を狙う。馬鹿らしい

★女優の沢口靖子さんがパチンコのテレビCMに出ていて、すごくガッカリした。『科捜研の女』を観るのもイヤになった。彼女にとってパチンコとは、健全な遊戯なのだろうか。。。



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