風は季節の匂いを届けてくれる。中庭の桜は今ごろ、誇らしげに満開の枝を揺らしているだろう。
白を基調としたこの色気のない部屋に、寝たきり。それが私の日常だ。最後に外の空気で肺を満たしたのは、もう何年も前。外界との繋がりは、こんな私を慕う幼いチャコと、彼が持ってくる「一握りの季節」だけ。もっとも私は匂いと音でしか季節を愛でられないのだけれど。
「おばばー。チャコ、きたよー。いきてるかー。」
噂をすれば、騒がしい「外界」がやってきた。遥か遠くから大騒ぎなのはいつものこと。叫ぼうが、走ろうが、彼を咎める者はいない。
ここは私を生かすため、それだけに作られたのだから。
「いらっしゃい。チャコは、今日も元気だねえ。」
「げんきー。チャコはうっさいから、ルイせんせにおこあれる。」
「元気なのは良いことよ。だけど、あまり先生を困らせちゃダメだよ。」
「わかたー。あした、しずかにするー。あ、これー。きょうは、さくあー。」
「いつもありがとう。きれいな桜だねえ。」
「おばば、みえるのー?」
「見えなくても、チャコがきれいなのを選んでくれたって、よく分かるわよ。
いい匂い。大きなお花がたくさん咲いてるねえ。お花を飾ってもらっても良い?」
「すげえ!あたてるー!
みどりのガビンでいいー?」
「うん。それでいいよ。ありがとう。」
言葉が達者になっても、チャコはこうして季節を届けてくれるだろうか。それ以前に私は、そんな未来まで…。やめよう。私は、自分の未来を知っている。
「おわたー。みどりとピンク、きれいー。
おばばー。おはなしのつづきー。」
「ありがとう。
そうね、お話の続きをしましょうか。えーと、どこまで話したかしら?」
「おおきいおふねのとこー。」
「そうだったわね。
…向こうから、とても大きなお船がやってきたの。」
「パパと、どっちがおおきいー?」
「ふふふ。お船のほうが、ずうっと大きいわよ。」
「くじあよりー?」
「うん。くじらより大きい。
それで、そのお船はね……」
チャコに聞かせているのは、私の物語。さて、どこまで話して良いのやら…。
ーーーーー
銀河連邦の超規模移民船団が宇宙を渡る。目指すは、天の川銀河の辺境にある母なる星、地球。
46万年の時を経て、滅びの直前にあった地球がついに再生を終える。地球由来人類の子孫達は、ここ天の川銀河で一時の隆盛を極め、銀河連邦を成すまでに至った。しかし資源の枯渇により有形の者達とその文明は今再び滅びに瀕している。大多数の人類種は、進化と銘打った「資源を必要としない超次元空間への避難」を開始した。それが約1万年前。
進化の「適用外」とされた数は、約260種で構成される30億強の人々。彼らはわずかに資源が残る星を転々としながら、それぞれが種の終焉を迎えつつあった。最後の希望である初期入植地「アスガルド・ワン」へ向かう途中、船団は地球再生装置「FRIGG8240」からの亜空間通信を受信する。
『再生フェーズ9…、コンプリート』
地球再生フェーズは全部で10。この通信はすなわち、全再生フェーズ完了間近、を意味する。送られてきた再生完了後の予測資源量は、例え10億人規模であっても「永久」を保証するに足る。アスガルド・ワンの予測値を遥かに凌ぐ、理想の星。まさに銀河の楽園である。船団に残る2億足らずの人類種達は、アスガルド・ワンを経て、一路、地球を目指す。
「提督、まもなく地球太陽系外郭の大デブリ帯に突入します。」
船団の現旗艦「アダモレアル」のラウンジで惰眠を貪る男、オキタの脳裏に女性の言葉が浮かんだ。この冷たい感じは、数十万年前に衝突した外銀河由来の種をルーツに持つ、主席オペレーターのタニキァか。そのクリアな通信品質に、また最新デヴァイスに変えたのか、とはだけたシャツの裾と右脚をソファから投げ出したまま思う。
「提督?また飲んでる?」
提督と呼ばれるオキタだが、このタイトルは名ばかり。実は前提督の急逝、ならびに前旗艦イグドラシルの轟沈を受け、ダーツと呼ばれる超古代の「くじ引き」によって数週間に選ばれた。提督就任前の連合軍階級は、少佐。頭脳派というより、見たままの「肉体派」である。アダモレアルも本来は1護衛艦にすぎない。
ブリッジオペレーターのタニキァは、オキタと同期入隊の元大尉で10年来の付き合い。美人だが、常に涼しげな目元の印象そのままに冷静沈着、かつ無表情。そのお堅いイメージと、希少な天然石が添えられたプロポーズを断った過去から、「ダイヤの女」と陰で呼ばれているとか。オキタの提督就任に際して、彼女の階級もなぜか少佐へスライド昇格した。
「各護衛艦にバリアフィールドを展開させろ。居住艦はフィールド内に避難。あぶれた居住艦はこっちに入れてやれ。…つうか、俺は飲んでねえからな!寝てただけだ!」
アダモレアルは、船団内最大のガーリア級護衛艦であり、そのフィールドは優に50隻を護れる範囲の展開が可能。もっともイグドラシルが残ってさえいれば、各護衛艦はフィールドを展開する必要すらないのだが。船団にとってのイグドラシルは、比喩なく「絶対的な盾」と呼べるものだった。
「フォーメーション13、各隊に通達完了しました。」
「ああ、そうか。はいはい、フォーメーション13ね。できるオペレーターが居てくれて助かったぜ。」
「いつまでもウジウジしない。
くじの結果でも提督は、提督。シャキッとしてもらわないと。」
圧倒的な防御力を誇る旗艦を失った船団の提督など、誰が成りたいものか。提督とは、船団の護衛を司る最高責任者であり、絶対権力者ではない。各居住艦は市民による自治が基本。ただ単に、市民の命を預かる重責と真っ先に狙われる権利、が与えられるだけだ。立候補もなく、推薦も憚られる状況で、平等に次を決めるための「貧乏くじ引き」だった。
「うるせえ。シャキッと横になってるから許せ。
ところでタニ、こっちのフィールドには何隻きた?」
「…まもなく合流する艦も含めて、2隻。アークトンとラバーニ。」
「アークトン?ガーリア級が何やってんだ?」
「アークトンは修復中…。」
「ああ、まだ直ってなかったのか。」
「あれだけの攻撃を受けて残っただけでも幸運よ。イグドラシルのバリアすら無効化されたから。」
「…奴らがまだ生き残ってたとはな。」
ソファに寝そべるオキタのデヴァイスからタニキァへ共有されたのは、人類史上、最大の敵「神族」の姿。個体数は少ないものの、強靭かつ巨大な身体と数万年の寿命を誇った、宇宙で最も強く、非道な知的生命体。その残虐性と利己主義により、搾取し尽くされた、あるいは奴隷化された惑星、種族は数知れず。サイズは別として、一部下級神族と地球人類が似ているせいで、他惑星への入植が活発だった時代は、原住種族から襲撃されるケースも多かったという。
地球と引き換えに、オキタ達の遠い祖先が神族を殲滅したはずだった。しかしアスガルド・ワンの属する環状恒星系に、生き残りが突如飛来。実に46万年ぶりに「人類と神の争い」へと発展したわけだが、結果は進化した人類の圧勝、とは言えず、たった2体の推定下級神相手に、船団は旗艦イグドラシルを含む半数を失った。
「私達は、本当に進化しているのかしら?」
「さあな。なにも強くなるだけが進化じゃねえよ、ゲームじゃあるまいし。
言えるのは、あの神の大群をほぼ殲滅したってんだから、戦うことに関しちゃ、ご先祖さまも神に劣らずだった…、ってことだな。」
「さすが提督。」
「うるせえ。もう一眠りするから、デブリ帯を抜けたら教えてくれ。」
「せめて艦長席に…、提督?オキタ提督?オキ…」
タニキァのデヴァイスが、文字通り、オキタの「スリープ」を告げる。程なくして突入したデブリ帯を進む振動がオキタにはちょうど心地良く、さらなるスリープの深みへとオキタを誘った……。
ずいぶん寝てしまったらしい、と目覚めて周囲を見渡したオキタは思う。明るかったラウンジの照明が弱められている。それはとうにシフト交代している時間ということ。大デブリ帯はもう抜けているだろう。ついに「優秀な」タニからも愛想を尽かされたか、と至極当然の起こされなかった理由が浮かぶ。目覚めの1杯を頼もうとデヴァイスをデスリープした瞬間、ゾッと総毛立つのを感じた。
「…ここは…。どこだ…?」
体内の生体デヴァイスは、亜空間経由で常に位置情報を更新している。例え天の川銀河を離れようとも、例え瞬間移動しようとも、各デヴァイスの座標は正確、精密に把握できるはずだ。頭の片隅に「ロスト」などと、浮かぶわけがない。
天井の一点を見つめたまま、眼球をぐるぐる動かし、脳内に散らばった情報を必死にかき集める。現在時刻はAシフトの深夜時間帯。周囲の生体数は43。これはアダモレアルの乗船人数に該当する。自艦のバリアフィールド内にいるはずのアークトンの乗組員も、ラバーニに住む200万を越す市民も、煙の如く消えてしまったことになる。少なからずデヴァイス間相互コネクトの無事に安堵しつつも、酷い目眩に襲われたオキタは、ほのかに自分の温もりが残るソファにもたれかかった。
「おい、タニ!
一体どうなってんだ!報告しろ!」
もたれかかったまま強く念じても、タニキァのシンボルに色彩は戻らず、ディープスリープ状態を維持したままだ。もう寝てしまったのか。いや、あのタニに限って、この事態を報告せず就寝するなどあり得ない、と自分ならやりかねない馬鹿な考えを改めた。残る可能性は、外的因子による強制シャットダウンか、あるいは生体昏睡。
「あ、頭が、痛え。ガンガンしやがる。くそったれ…!」
左手で頭を、右手でソファの肘掛けを抱えて、赤子よりも弱々しく、やっと起き上がったこの男が、2体の神のうち1体を討ち取った英雄、なのだから滑稽である。もう1体は護衛艦バルバザイールが道連れにした。英雄は、まるで初めてかのようなおぼつかない足取りで、タニキァが居るはずのメインコントロールを目指す。デヴァイスを経由できない以上、物理的にデスリープするしかない。
「まじかよ…。」
頭痛はだいぶ良くなってきた。それでもまだ「やっと」の思いでたどり着いたブリッジの光景に、オキタから昂揚に富む言葉が漏れる。むろん柔らかな寝息をかくタニキァの呑気ぶりはかなり心配だが、それ以上にメインビューに映る像がオキタの心を強く掴んだのだ。一歩、二歩と漫然と、しかし力強く歩を進めたオキタは、振り返ってタニキァの肩を掴む。
「タニ!タニ!起きろ!
おい!みんな!起きろ!あれを見ろ!」
タニキァの肩を揺すり、下層のオペレーター達を起こさんとするオキタの姿は、先ほどまでの「やっと」さ加減と比べれば、だいぶ英雄らしい。
「…オキタ?
私ったら…、いつの間に…。」
一際明るいディスプレイを背にした輪郭が、目覚めたばかりのタニキァの視野を埋め尽くしていた。耳に特徴のあるシルエットだけで、目前の人物が誰なのか分かる。
「なんだよ。優秀なタニ主席が寝オチなんて、俺のこと言えねえな!
それより『あれ』だ!見てみろ!」
頭を右に傾けて、邪魔なオキタの背後を覗き込んだタニキァが、まさか、と呟く。タニキァの瞳は、青々しく明るいメインビューの光を受けて、まるで子供のよう。オキタから発せられる強力なシグナルを受けて、オペレーター達も次々とアクティブになったが、下層は不気味なほど静まり返っていた。眩い光景を前に茫然自失か。しかし彼らの瞳は、おそらく一様にタニキァと同じである。
「まさかじゃねえ。
あれは『地球』だよ。」
まるでオキタのその言葉が合図と決められていたかのように、オペレーター達が一斉に歓喜を爆発させた。泣く、笑う、叫ぶ、踊る、などなど、彼らは思いつく限りの喜びを表現するつもりだろう。
あのダイヤの女が、オキタを見上げて、ふわりと笑った。しまい込んだはずの感情がオキタの胸に込み上がる。思わず抱きしめそうになるのを堪え、再び地球に視線を移したオキタは、彼女の肩を2度、優しく叩いた。
「どうやら量子断層の影響で、俺たちだけ転送されちまったみたいだな。
見ろよ。もう地球引力圏に入ってるぜ!早くFRIGGにコネクトしてくれ。」
「了解。
…通信できないわ…。私もロストしてる…?」
「お前もか。理由は分からなねえけど、俺もだ。たぶんこの艦の全員が迷子だろうぜ。
早いとこ復旧させないとな。おい、どこかでデヴァイスに影響が出そうな障害は発生してないか?」
タニキァと共有していたC(コネクション)スペースに、下層にいる通信士が加わった。生体デヴァイスが言葉の意図を理解すれば、意識せずとも適任者へ自動伝達される。実に便利な世の中になった、などと、まだ笑顔の解けない通信士を前にして言えるほど、オキタは図太くない。
「よう、ガープ。もう目は覚めたか?」
「提督と一緒にしないでください。僕は目覚めの1杯なんて要りませんので。…それでは、障害を調べます。」
片笑いの通信士、ガープがCスペースの片隅で忙しく眼球を動かし始める。原種の遺伝子を多く持つ「リビルド系」が通信士を務めるのはかなり珍しい。ビッグデータを処理する際のデヴァイス性能は、内蔵される側、つまり個人の能力により大きく変化する。オキタやガープが組みするリビルド系は、再組成の容易さが特徴の「凡庸人類」であり、言うまでもなく肉体に優れる。
「…障害記録はありません。」
「それなら、量子断層の影響か?」
「後方600、上下右左180、前方60ブロックの球体空間に、断層の痕跡はありません。」
ガープが示した空間は、デブリ帯突入直後に転送されたと仮定しても「眠っていた」時間内に進める領域以上に広い。それなのにタニキァは、眉を寄せ、自分のログを2人に共有した。余談だが、現代の単位だと約300万キロメートル、が「1ブロック」に相当する。
「私は提督の説を支持するわ。
見て、3ブロック先で初期の次元収束を確認していたの。直後に私達は寝てしまった。」
「てことは、でかくならなかったのか?」
「それだと転送の説明がつかないじゃない。」
「なら形状は?」
「すぐにはキャプチャできなくて…。」
「つまり複雑だった、てことだろ。
じゃあ、なんで痕跡がねえんだ!俺たちはどっから出てきたんだよ。」
ガープが終始無表情なのは、どちらかに同意すれば損、と判断してのことだろう。意見を求められない限り、上官同士の会話に口を挟んでも、ろくなことがない。
次元収束とは、大昔の銀河大衝突以来、天の川銀河で頻発するようになった、より高い次元に起因する、短時間かつ、極小の空間変化のこと。表面上は小さな事象だが、内包するエネルギーは莫大で、「量子断層」と呼ばれる空間の歪みを発生させる。原因が高次元であるほど、形状が複雑化し、生じるエネルギーと、その結果である量子断層の影響範囲も大きくなる。オキタ達は次元レベルを「大小」で区別しているが、本来は「高低」が正しい。オキタが率いる艦クラスになると、4次元を超えなければ影響を受けない。
「まだ量子断層を抜けていないのだった…、なんてね。へへへ。」
ガープが、あっ、と口を抑える。ただ独り妄想だったのに、思わず言葉にしてしまった。ご丁寧に最後の「へへへ」まで。上官同士の会話に口を挟んでも…、である。
「んなわけあるか!目の前に地球があんだろ。それじゃあ地球まで断層に飲み込まれてんじゃねえか。
ふざけたこと言ってねえで、さっさとネットを復旧しやがれ!
ああ、やっぱネットは後でいい。
FRIGGへのダイレクトコネクトが先だ。地球の亜空間通信を使う。」
タニキァとガープ、2人に向けたはずの指示は、意外にもガープだけに伝達された。と同時にガープがスペースから消える。やはり、ろくなことがない。オキタとタニキァは、もっと2人で話し合うべき、と言ったところか。全てはデヴァイスの判断だ。気の利くデヴァイスには分かるまいが、お膳立てしたところで2人の会話は、転送の原因、もしくは、着陸後の作戦会議、に終始するだろう。
「アクセスできなきゃ、乗り込んで直接操作するか。」
「さすが提督ね。古代の戦艦が操作できるなんて。」
「まさか。『当時の人』にやってもらうさ。」
「それにしても何万年も再生を続けてたなんて、本当に奇跡よね。」
「古代の機械だからな。根っから忠実なのさ。」
「創造と自己再生を繰り返す、たった1つしかない、永久に壊れない装置か…。」
「落ち着いたら、俺たちの、人類の馬鹿すぎる歴史をFRIGGに聞かせてやろうぜ。」
「学習しない奴ら、って怒られたりして。」
「ありえるな!『他の惑星も再生してきます!』ってか?」
「ふふふ。おもしろい。」
タニキァが今度は楽しげに笑った。彼女が表情を見せるたび、オキタは名も知らぬ年増の娼婦にくれてやった天然石を思い出す。誰が言い出したのか、あの石は確かに「ダイヤモンド」だった。
「なあ、タニ…
全てが終わったら…」
「オキタさーん!あ、ちがった…、ていとく!緊急通信を失礼しまーす!」
絶妙のタイミングで割り込んできたのは、中域警戒担当の新人、JPだ。彼女の本名は誰も知らない。むろんオキタも例に漏れず。彼女はニックネームで補充人員に応募してきた大バカ者である。しかし名前以外は非常に優秀。名前だけで不合格にするのは惜しい人材だったことと、バカさ加減を気に入ってしまったオキタが、地球到着までは試用期間、との条件付きでアダモレアルに迎え入れた。噂によると彼女の名前は「恐ろしく不吉」なのだとか。あくまでも噂だが、ダイヤの件もあるので噂も侮れない。
上官同士の会話に口を挟むな。これは、新兵が先輩から最初に教わる、銀河統合軍の裏ルールである。理由は、ろくなことがないから。部下視点の理由に思われがちだが、ろくなことがないのは上官も同じこと。ガープのようなマヌケでない限り、あえてルールを破るのだから、何用か知れている。
「地表から飛翔体射出を確認しましたー!」
「詳細を報告しろ。」
「320の物理熱源体でーす。引力圏脱出速度を超過していまーす。」
「熱源!?…アンティークミサイルか!
予測進路と射出ポイントを。射出はFRIGGか!?」
「違いまーす。起点は、旧アフリカ大陸北部でーす。
予測進路…、本艦が含まれまーす!え!まじー!?撃墜されるー?」
「コネクトできないせいで侵略者だと思われてるのか…。バリアフィールド展開!」
「バリアは……、間に合いませーん。」
「関係がこじれるのは避けたいが、やむをえない。迎撃しろ。
…それとJP、次から語尾は伸ばすな。」
「はーい。」
飛翔体を次々とロックオンするJPのヴィジョンが、全員のデヴァイスに共有された。JPの単独対処ながら、実戦経験の浅い者が複数名で対処するよりも、遥かに確実で速い。間延びした返事が終わる前に、20体以上をロックオンしている。
「迎撃中止!あれはミサイルじゃない!」
およそ70パーセントを超えたあたりだっただろうか。ロックオン率が順調に伸びる中、JPのロックオンサイトが強制フリップアウトをくらい、全てのロックオンを失った。上官権限でロックオンを弾いたのは、タニキァである。
「提督!飛翔体群が進路を変えました!」
まるでロックオン解除を「待っていた」かのようなタイミングで起きた飛翔体の進路変更に、タニキァを除く全員のシンボルが「?」を浮かべた。
「軌道修正…、したのか?」
「正しくは、回避ね。」
「回避…、だと…?」
慌ててデヴァイスを確認するも、FRIGGとの通信はいまだ確立されていない。寸前でFRIGGの認証が得られたのかと思ったが、真相は異なるようだ。俺も最新型に機種変するか、とオキタが自分の「性能」を棚上げした結論に至ったとき、タニキァが今では誰も見ない、旧式の計測機器を指差した。
「ほら見て。あれは生体エネルギーよ。反応が322あるわ。」
「飛翔体群、先頭がまもなく本艦上部を通過します。群最後尾の通過予測はカウント2。」
「まさか!地球生物なのか!?」
オキタの叫びと同時に、馬鹿げた熱を放出するたくさんの飛翔体が、艦体ギリギリを縫うように通り過ぎていく。大きさも形状も様々な飛翔体の1つ1つが、まるで自分達をわざと見せつけているよう。
そしてオキタは見た。いくつかの飛翔体、いや、もはや有翼機と呼ぶべきであろう。それらの中に「人」がいたことを。それから、機体に施された色鮮やかな「シンボル」を。
斜めに交差する漆黒の槍と純白の戦槍に護られた、青い地球のシンボル…。意識せずとも少年時代に心躍らせた、青い海原とドクロの海賊旗が頭をよぎる。
「おい…、タニ…。
今の見たか…?人が乗ってたぜ…。」
「飛翔体に?あの物理速度に耐えられないわ。
思念波で操作する有機組成マシンに決まってるじゃない。」
「あれは、そんな大層な代物じゃねえって!」
オキタ達の時代における「速度」は、大きく「次元速度」と「物理速度」の2つに分けられる。このうち物理速度が、いわゆる現代の「速度」にあたるのだが、どう足掻いても消費エネルギーと得られる速度のバランスが非効率なため重要視されていない。物理速度という言葉が頻出するのは、子供向けの伝記『ドクター・ガルシア3世 〜光を追い越した臭い〜』くらいではなかろうか。一方の次元速度は、ごく簡単に説明するなら「基準質量相当のワープフィールドを展開する速さ」となる。
速度の話はさておき、はなから飛翔体群など見ず、旧式計測機器のデータばかりを追跡していたタニキァに、今度はオキタがメインビューを指差す。
「なら、あいつらは?アバターじゃねえの?」
エキスパンションアバター、通称アバターとは、各個人の「精神イメージ」をデヴァイスが実体化した客観的存在のこと。多くは何かしらの生き物、または複数の生き物の合成体に似る。アバターと融合できるリビルド系の最新戦闘タイプ「エクスゲノム種」を除き、基本的に発動者本体からの離脱距離が近いほどアバターは強靭になり、逆に離れるほど脆弱になる。
オキタがメインビューを指し示したのは、有翼機部隊を先頭で率いてきた2つが、部隊と共に先へ行かず、アダモレアルの前方に留まっていたからだ。特筆すべきはその姿。この2つは、有翼機どころかスーツすらなく、生身。形はとても「生物然」としている。
1体は、翼のような腕を持つ、赤く大きな獣。もう1体は、輝く翼を生やした、青く小さな人。オキタ達の常識で判断するならば、まさに「アバター」と呼ぶべきであろう。もしアバターだった場合、今度は別の問題が発生する。
「アバター?…なのかしら?本体はどこ?」
アバターの絶対法則、離脱距離と強靭性の関係だ。
2体の周囲は宇宙空間である。宇宙空間での戦闘や活動に推奨される離脱距離は、本体とアバターがお互いに手を伸ばして触れられる程度と言われる。しかし2体はどうだろう。推奨距離は愚か、少し離れた周囲にすら、本体を思わせる人影、機影の類いが見当たらない。考えられる可能性は3つ。
1つ目は、アダモレアル由来の可能性。これはすぐに否定できる。艦内から2体の位置まで離脱させる途中で、アバターは強度を失い確実に崩壊する。そもそも2体は「未知のアバター」。アダモレアルとは無関係、と考えるのが自然だ。また仮に地球由来のアバターだったとして、地表や地球衛星圏からここまで離脱させるのは到底不可能である。
2つ目は、エクスゲノム種の可能性。アバターと本体が融合できるエクスゲノム種なら離脱距離は無関係。オキタ達より先に到着していた個体の子孫が、地球環境に適応変異した、と考えれば、未知のアバターにも説明がつく。しかしながら、エクスゲノム種は3世代前の時代にこの船団内で生まれた新しい種であり、実用化されたのは前世代の中期以降だ。エクスゲノム種を先発隊として出発させた記録もない。可能性を否定できないものの、エクスゲノム種の到着経緯と有翼機内の生体反応を十分に説明できないため弱い論と言える。
3つ目は、タニキァの主張通り、有機組成マシンの可能性。操縦者がどこか別の安全な場所から有機マシンを操っているケースだ。有機マシンであれば、2体の存在にも有翼機内の生体反応にも一応の説明はつく。一方で、有翼機の説明が弱くなる。有機マシンの開発に要する科学技術と、先ほど見た有翼機の科学技術に、雲泥の差があったからだ。有翼機は飛行する際、膨大な熱を放出していた。なんと言うべきか、実に「古めかしい」…。複雑な人型の有機マシンを作り、わざわざ性能の劣る古めかしい有翼機を操縦するなど、よほどのバカでなければ思いつかない。有機マシン説もまた、可能性を秘めるに留まる。
「あの2体、羽ばたいてるわ。」
「宇宙空間だぜ?」
「オキタもアバターを出してみたら?」
「あそこまでは無理だ。いいとこ、やっと艦外に行けるくらいだな。」
「それでも向こうの反応は見られるし、羽ばたきも検証できるわよ。」
「俺のアバターに翼なんてねえよ。
誰か他に戦闘タイプのやつ……、んだよ、俺だけか。わぁった。偉い偉い提督様が、人柱になってやらあ。」
Aシフトのメンバーを瞬時に確認したオキタが淡い光を帯びると、傍らに、ぬるりとした肌の、しかし筋骨逞しい真っ黒な生き物が姿を現した。これがオキタの「アバター」である。
アバターは尾を器用に揺らしてバランスを取りながら、やや前傾の姿勢で立つ。床に着くほど長い腕をだらりと下げ、無数の突起が環状に生えた頭部をしきりに動かす仕草は、まるで辺りを探っているかのよう。突起以外つるりとした頭部には目も鼻も耳もなく、ただ1つあるのは粘り気のある体液を垂らす「口」だけ。その唯一の表情器官すら、なぜか刺の生えた紐で縫い合わされて役に立たない。
タニキァから、何度見ても芸術だわ、と素直な感想がもれる。自慢のアバターに向けられた言葉ながら、オキタも満更ではない様子。ご機嫌なオキタが、攻撃されたらすぐ戻ってこい、とアバターに顎で指示を出す。刹那、アバターは消え、間をおかず艦外に姿を現した。離脱距離が遠すぎたのだろう、アバターを通して感じる宇宙空間の圧に、オキタが奥歯を噛んだ。羽ばたくどころか、指1本すら動かすのもままならない。
宇宙空間で対峙する、赤、青、黒の3体。かなり離れているが、2体はオキタのアバターを認識したようだ。僅かに緊張を帯びた赤い獣を、青い人が制する。赤い獣がアバターに飛びかかろうとしたのだろう。通常のアバターなら、赤い獣の本体は凄まじい精神力の持ち主である。それから2体は、お互いに顔を突き合わせて身振り手振り、何らかの意見交換を始めた。
「あいつら、ありゃまるで…」
「音声交換してるみたい。」
「だから、宇宙空間だぜ?」
有機マシンの可能性が消えた。有機マシンは音声交換などしない。と言うより、できない。そもそも操縦者は別のところにいるのだから、マシン経由で意見交換を行う理由がない。
2体がアバターに示した反応と、アバター同士の意見交換を受けて、オキタのデヴァイスが1つのイメージを構築し始めた。そのイメージは、こう結論づけている。
生体反応は全て「プロトタイプ、エクスゲノム種」の末裔。
現在の地球には、プロトタイプ、エクスゲノム種の末裔が繁栄していて、アバターを持たない大多数の子孫とアバターを持つオリジナルがいる、と。開発時期に航行していたエリアが長距離転送の起こりやすい宙域だったこと。エクスゲノム種が宇宙空間に強く、長寿命型であること。そして、性差がないこと。これらが主な理由である。
デヴァイスの試算によると、実用化前に施設から脱走、または、投棄があった場合、約1/25000の原始個体が地球に漂着していた、かも知れない。公式記録に脱走や投棄などありはしないのだが、オキタの深層心理をデヴァイスが読み取ったのだろう。プロトタイプの末裔達は、約千年の時を経て「古めかしい科学水準」にまで至ったのか。
「プロトタイプなら、あのダサいアバターが登録外なのも納得だな。」
「バカね。その結論が正しいのなら、地球は彼らの星。地球資源も彼らの物よ。」
「地球を目の前にして、先住民がいました、で市民が納得すると思うか?
あいつらは連邦に入ってねえわけだ。超空間にいるお偉いさんも数千年前から俺らに関与してこねえ。実質、この船団が連邦そのもの。つまりだな…」
「だからって侵略は許されないわ。それをしてしまったら、神族や信徒と同じよ。」
タニキァはオキタに皆まで言わせなかった。
地球の歴史は、神と信徒人類による「侵略と略奪」で埋め尽くされる。自ら悟るべき「愛」や「許し」を神に求め、誕生から最期の瞬間まで、大地と海を血で染め続けた、人類史上、もっとも恥ずべき時代。繰り返せば、地球を犠牲にしてまで取り戻した「人類らしさ」を失うことになる。
「だな。まずは対話あるのみ。俺のアバターであいつらにコネクトしてみるさ。」
オキタは下層へ飛び降り、オペレーター達の間を縫うように前へ前へと進む。アバターにかかる圧を少しでも軽減するためだ。アバターを自分の方へ動かしても同じことだが、いたずらに動かせば2体を刺激しかねない。そうして、どうにか動けそうなレベルに達したのは、下層フロアの先端を超え、安全柵の向こう側でも足りず、メインビュー下のケーブルスペースに頭を突っ込んだ時だった。英雄は部下達に尻を見守られながら、青い人へコネクトシグナルを送信する。青い方を選んだのは、他意なく赤い方より「温厚そう」だったから。アバターに当たり前の指示を送るだけで、激痛がオキタの脳を襲い、アバターも無数のノイズを帯びる。
アバターのノイズに何かを感じたのか、赤い獣がけたたましく吠える。艦内のオキタ達にも聴こえるほどに。聴こえるどころか、衝撃波はビリビリと、艦全体を物理的に震わせた。
「おい…、だから、宇宙空間…だぜ?」
これは提督の尻の言葉。
アバター経由で衝撃波を直に受けてしまったオキタは、頭を突っ込んだ姿勢のまま後ろへ吹き飛んだ。すぐにアバターを呼び戻し、大惨事を回避したオキタだったが、アバターに受け止められた格好は正面から見ると、ちょうど尻だった。尻であれ、顔であれ、瞬時にアバターをコントロールした反応は、さすが「英雄」である。
「提督、衝撃波は拡散型量子エネルギー波です。」
「声じゃねえ…のか?
試しに言語化してみてくれ。」
「ライブラリ未収録、特定不可。言語化できません。類似波形検索に切り替えます。
……見つけました。シンクロ率80、古代ヴェルル語。同東北A地区亜種なら95です。」
「よし、その亜種で言語化だ!」
尻ではなく、正真正銘の英雄、オキタから颯爽と指示が飛ぶ。全員が固唾を飲んで見守る中、言語化された文字列を指差し、何度も確認したオペレーターが力強く頷き、満を持して振り返った。
「アド、ハラツエ、シデ、カエネエ」
極めて完成度の高い言語化に、あちこちから「?」が湧き上がる。しかし、したり顔で言語化した当人の「?」が、一番大きかった。
つづく