〜〜おわび〜〜

 ブログ終了の都合上、途中をダイジェスト化しています。

 加えて今回は3話分くらいのボリュームがあります。

 なお、突然「最終話」になる可能性も否めません。

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「ドラキュラを率らばよかったの…」

 

「ござるなぁ…」

 

 おそらく最奧部であろう部屋の前を覗いたコレオスとマルセーラは、ツイン突起が邪魔すぎて見つかる、との理由で覗かせてもらえなかった知子に向き直って、ポリポリと頭を掻いた。

 

 

 マルセーラたちがアメリカ軍の海底施設を捕捉したのは、ホノルルから北西に2000kmの地点、ちょうど日付変更線付近。本当はもっと前に捕捉していたのだが、海底施設と呼ぶにはあまりにも大きく見逃していた。その施設は、数万年前に神が残した遺構を改修したもので、またの名を「アトランティス」と言えばお分かりいただけるだろうか。

 現在のアトランティスは最大直径200kmの円盤型水中移動要塞であり、直径18kmの円盤を中心にドーナツ状の5重外郭を持つ。本来は言わずもがな飛翔していた。かなり特徴的な構造物であるにも関わらず見逃したのは、前述の通りその巨大さ故だ。100kmを日本の地理に置き換えるなら、おおよそ東京駅から富士山までの直線距離となり、同周円上の東南側は千葉県のほぼ全域に当たる。

 目的は不明だが、アトランティスが水深400m付近まで上昇して来なければ、捕捉はとうてい無理だったであろう。捜索開始から捕捉まで、実に5日を要してしまった。レジスタンスはこの5日間をただ寝て過ごしていたわけではない。まず、コレオスの「巫女の力」によって1年間昏睡していた琴美が目覚めを得た。コレオスによると、エルサレムで匣を間近にしたことで琴美はすでに覚醒していたのだという。巫女であることを十分に理解していなかった琴美は、精神が力に追いつかず昏睡状態に陥った。

 目覚めた琴美が、巨大な体育座り姿を指差して…

 

「あの人、なんで光ってるの?」

 

 と開口一番に発したことからも、コレオスの話は事実なのだろう。コレオスは他に、レメディオスと琴美へ「記憶継承の儀」も行った。儀などと仰々しく行っているが、要は2人の額にコレオスがキスするだけ。これだけでコレオスの持つ巫女の記憶が2人に継承されるとか。コレオス曰く、みどもは始まりのドラキュラのオシメを変えた、らしいので、言葉通りならば全てを知る人物である。

 儀を終えた2人は、顔を見合わせて口を揃えた。

 

「あれが…神?」

 

 

 またコレオスは、ことあるごとにこう言って背中まで伸びる煤竹色の艶髪を揺らして笑う。

 

「みどもは、かか様の御力を半らあづかっておる。奉れ。」

 

 年齢不詳に意味不明も加わったコレオスだが、常に伏せ目がちな切れ長の瞳は十分に大きく、銀朱色の控えめな唇と白百合のような肌もあってか、西洋的な外見ながら笑う仕草は日本人形を思わせる。もっともこの印象は、知子が用意した菖蒲色の振袖アレンジドレスのせい、と言えなくもないか。

 余談だが、ドレスに合わせて前髪をパッツンにしよう、と盛り上がる知子に髪を梳かれるうち眠くなったコレオスは、切る瞬間にうっかりコックリ頭が動いてしまい前髪をほぼ失った。その後、世界の命運を握る巫女の力を、前髪の毛根に全力注入する、という壮大な無駄遣いをした結果、「気合い」でなんとか眉まで伸ばしたのはココだけの秘密にしておいて欲しい。

 

 

 海底施設に侵入したマルセーラたちは、4班に分かれて行動を開始した。中心部を目指す1班は、マルセーラ、コレオス、知子の3人。変身能力を失った知子は船内待機させる予定だったが、コレオスが激しく駄々をこねたため同行となった。別ルートで侵入した2〜4班の役割は陽動。レイナとマリナがそれぞれ2班と3班のリーダーを勤め、モリノ組の猛者5名を引き連れる。4班はドラキュラ単騎だ。

 陽動3班の破壊活動のおかげで、1班の3人は容易に中心部まで来ることができた。交戦らしい交戦といえば、中心部に入ってすぐの1回きり。戦い自体はコレオスがあっという間に終わらせたが、マルセーラの意思を尊重して眠らせただけらしい。それからこの最奧まで敵兵に遭遇していない。ほとんどがド派手な破壊活動が続く外郭の対応に向かっているのだろう。あるいは、部屋を護る人物に絶対的な自信があるのか。

 

 

「あれはヴァンパイアであろう?強いのかぇ?」

 

 仇なす人間に対してはそこはかとなく冷酷になるコレオスだが、敵であってもヴァンパイアとの戦闘は好まないのか、知的な眉の根をじわりと寄せた。

 

 

「拙者は戦ったことも、能力を見たこともない、でござる。おっぱいどのは?」

 

「え?誰?私の知ってる人?」

 

 覗いていない知子に答えを求めたのには訳がある。2人が見たのは銀色のヴァンパイア。氷のように冷たく秀麗なその姿は、こう呼ばれている。

 

 

「デモネス…。霧島リカ、でござるよ。」

 

「中尉が!?なんでよ?」

 

 予想だにしなかった名に激しく揺れるツイン知子を、動きすぎ!見つかる!、と鷲掴みに抑えてからマルセーラが語る。

 

 

「アゴが黒幕なら不思議ではない…、でござる。調べによると2人は縁者。名門北方一族の本家筋の端っこの末娘がリカ。その遠縁がアゴ。そして揃って、北方一族の"できそこない"、でござる。端役でも将ですらないのが証拠。年の近い不遇者同士で共感した、と言ったところか、にんにん。

 で?リカの能力は?強いでござるか?」

 

「私が知る限り、肉弾戦タイプ。…ねぇ、そろそろ離してよ。

 スピードは別として、うまく戦えばルサールカでも互角くらい。…だから、離せって。

 だけど、任務の成功率は異常に高かった。…おい、モニモニすな。」

 

「任務?」

 

 ニンマリと白い歯を見せたまま、手を止めようとしないマルセーラが問う。

 

 

「中尉の任務は要人の暗殺…。一度も失敗したことがないよ。…んんん…

 …クソ忍者!しつけぇ!感じんだろ!早く離せって!!…あ…、やば…。」

 

 猫目の少女の手を振りほどくも、時すでに遅し。あれだけの大声を出せば、耳の良い金毛種でなくとも気づく。

 

 

「侵入者と聞いて備えてみれば…、あいかわらず騒がしい。よくそれで潜伏訓練に合格したものだ。」

 

 3人が身を潜める角の向こうから、澄んだ声が不思議な足音を伴ってゆっくりと近づいてくる。その足音はまるで、池の水が徐々に凍っていくよう。知子が足音に示した怪訝な顔を見て、嬉しそうに猫目を細めたマルセーラの行動は早かった。

 コレオスに目配せしたマルセーラは、すぐさまルサールカを召喚し、通路に配した。間髪入れず、自身は知子を抱えて天井の梁へ。意図を理解したコレオスは何も言わず彼女に倣った。天井の梁が正しい表現なのか、実はマルセーラにも分からない。この海底要塞は、オリジナルの基本構造をそのままに現代風アレンジを加えており、一言で表すなら「とにかく巨大」なのである。加えて薄暗い。床も壁も天井も、全体にマヤ文明で見られるような装飾が施されていて、特に天井の装飾は派手だ。地球人に「装飾」と見えるだけで、実際は機械のパイプ類なのだろう。材質は金属でも石でもない何か、強いて挙げるなら骨や殻などの有機物に似る。

 御察しの通り、知子が大声を上げるよう仕向けたのはマルセーラの戦術だ。高い天井と暗さ、派手で装飾的な梁、ここに身を潜めればまず見つかるまい。それよりも、相手をあの場から引き離すことが重要だった。

 相手がトラップ型や特殊能力型だった場合、迂闊に出れば、相手の思う壺。ならば呼べば良い。呼んで来るようなら、相手は比較的接近戦が得意な型。しかしただ呼べば策を練られる。そこで知子を利用した。こちらが知子とマルセーラだと分かった途端、相手は動き出した。この2人なら倒せると確信してのこと。知子から得た情報と合わせれば、この時点で相手は8:2で接近戦型となる。だが知子は足音に怪訝な顔をした。

 霧島リカは、知子の知らない能力を持っている。これが得られただけでも大きな成果だ。待ち構えていた場所から、自慢のスピードで高速移動してこなかった。その理由は、能力の効果範囲を拡大するため、とマルセーラは推測する。つまり、知子の表情から導き出した答えは…

 

 

「霧島リカのデモネスは…、トラップ型。そう思ってるでしょう?」

 

 向こうから姿を現した、美しいデモネスが言った。このときマルセーラは、本当にギクリと鳴るのを聞いた。どこから鳴ったのか、他人にも聞こえたのか、それは分からない。しかしマルセーラは確かに聞いた。

 改めてデモネスを見る。彼女の身体に触れる部分が金属のような輝きを帯びる。これが足音の理由か。マルセーラからのアイコンタクトに、知子は、知らない、と横に2度小さく首を振る。

 

 

「その通りよ、デモネスはトラップ型。もっと良いことを教えてあげるわ。」

 

 デモネスが手を挙げると、カラカラと音を立てて知子とマルセーラの周囲の色が変わった。すぐ隣りのコレオスの周囲に変化はないらしく、興味津々に2人を見つめている。

 

 

「私の能力はすでに発動済み。もう手遅れよ。…あら?あなた、知子じゃないわね?」

 

 無数の水弾を浮かせ、臨戦態勢をとる召喚ルサールカの周囲にも変化はない。

 

 

「騎士団の次は、ウィッチの下僕。つくづくあなたの宿主は…」

 

 そこまで言ったところでルサールカが動いた。放たれた水弾が次々とデモネスを捉える!

 しかし次の瞬間、悲鳴を上げたのはルサールカだった。水弾を悠々と躱したデモネスのトライデントに額をつら抜かれ、そのまま顔半分を薙ぎ取られた。怒りと苦悶の形相で一矢報いようと斬り下ろした水の刃も、ただデモネスを濡らすだけだった。

 

 

「巧い…」

 

 思わず声に出た。体術に優れるマルセーラだからこそ分かる。デモネスは一切の無駄なく水弾を躱し最短距離を詰めた。熟練の武術家が見せる「寸のみきり」。しかし驚愕するほどの俊敏さは感じなかった。マルセーラと同等か、あるいは少し速い程度。突出した俊敏さを持たないからこそ体得した「みきり」なのだろう。

 もう1つ、マルセーラは気づいたことがある。デモネスが距離を詰めたエリアの床に独特の変化は見られない。つまり、高速移動と接触面の変化は同時に発動しない、ということ。仮に接触面の変化が攻撃手段の一種であるとすれば、トラップ型発言はブラフか、トラップでも攻撃補助の可能性が高い。接近戦に優れるマルセーラを警戒したのか。

 トラップ型とは、ヴァンパイア能力の得意傾向を基にした基本分類の1つである。他に、ベルセルクなど自らの肉体や攻撃範囲の狭い武器での直接攻撃を得意とする接近型と、ルサールカなどリアライズした物質や広範囲武器での遠隔攻撃を得意とする特殊型がある。一方のトラップ型は、環境などを変化させる。相手の戦力低下や味方のサポートを得意とし、戦闘性能は他の2つに比べて劣る傾向にある。

 これまでの行動からデモネスを分類するならば、大分類は「接近型」となり、中分類で「トラップ併用型」と但し書きされるだろう。フィールドに張り巡らせたトラップで、接近戦を有利に進めるタイプだ。

 いずれにしろ相手が金属系ならば、炎を使うジャック・オー・ランタンに分がある。

 

 

「いみじうひらひらん銀毛じゃ。げに狐よ…。知子や、あれと見合うてはならぬ。」

 

 コレオスが何を言ってるのか、サッパリ分かっていない知子だったが、とりあえず神妙な顔を作って頷いておいた。

 

 

「2人はここにいてくれ。拙者に万が一のことがあれば、奴の排除はコレオスどのにお任せする。」

 

 ぶかぶかの船長服を翻してデモネスの前にふわりと降り立つ。上より少しだけ明るい床に降りて初めて分かった。周囲の色が変わったのではなく、身体に沿って透ける金属風の箱が、いや、棺が模られているのだと。仕掛けられたトラップと反応するスイッチだろう。

 

 

「ボスが最初に出てくるなんて、レジスタンスは人手不足なのかしら?」

 

「レジスタンスは仲間の命を第一に考える…、それだけのこと。」

 

 ほんの一瞬だけ、デモネスが奥歯を噛んだ。マルセーラの言葉に何を思うのか。

 

 

「そう…。仲良しごっこで世界が救えたらいいわね。」

 

「救ってみせる。ヴァンパイアも人間も。だから、そこをどけ。」

 

「私がここにいるのは、ヴァンパイアのため。だから、あなたを倒す。」

 

「自分のため、だろ?誰が頼んだ?誰もお前になんか頼んでない。拙者も、知子も、マリナも、レイナも、さくら殿も!」

 

「…黙れ!あなたに何が分かる!」

 

 完璧な瞳を紅く焦がしデモネスが高速で迫る。1秒を遥か先に感じるほどの間に、マルセーラめがけてトライデントが1つ、2つ、3つと、閃く。しかし獲ったと確信した3つ目は、惜しくもクナイに阻まれていた。受けたクナイの向こうから猫目が睨む。

 

 

「…これだけは分かった。お前は弱い。拙者はまだ人間。ウィッチになれば…」

「ふふふふ…。そうね、確かに私は弱い。ウィッチになれば…、ジャックの炎で焼くのは簡単?そうなんでしょう?」

 

 マルセーラの言葉をデモネスが続けた。

 

 

「そうだ。そこまで分かっ………がはっ……な、なに?」

 

 前触れなく硬直したマルセーラが、今度は糸が切れたように膝をつく。そのまま前に倒れこんだ船長服から大量の血が滲む。

 

 

「言ったでしょう?私の能力は"発動済み"だって。」

 

「マルセーラー!!!!」

 

 知子は、コレオスが動くよりも早く飛び降りていた。着地が不恰好なことなど、どうでもよかった。

 マルセーラが血を流して倒れている。知子にとってそれだけが真実だ。

 

 

「マルセーラ?マルセーラ?ねえ!しっかりして!なんで?なんでいきなりやられたの!?」

 

「…か、隠し、トラップ…だ。に…、逃げろ…」

 

「まったく、見合うてはならんと言うたであろう。知子や、ぼすとお逃げ。あれはみどもに任せ。」

 

 知子に半拍遅れたコレオスは、ひらひらと華のように降りてデモネスと2人を遮る。

 

 

「あら?もう1人いたのね。あなたは…確か…」


 デモネスが言ったのとほぼ同時に、カラカラと、透明な棺がコレオスを囲った。当の彼女は、自分も囲われて嬉しそうである。

 

 

「逃げない!」

 

 今度は知子がコレオスを押しのけて前へ、デモネスと2人を遮る。

 

 

「ならぬ。」

「いやだ!私が戦う!コレオスちゃんは、マルセーラの手当てをお願い。」

 

 再び前へ出ようと振袖を躍らせたコレオスを知子が右手で制す。知子に背中から再度懇願されたコレオスは、ほとほとしからばみどもがくらう、と背中に言い残して引き下がった。もちろん真顔で頷く知子はサッパリ分かっていない。

 

 

「2人同時でも私は構わないけれど…?」

 

「私だけで十分!」

 

 正論を言うデモネスに対し、知子は中指を立てて応じる。

 

 

「そう…。分かったわ。なら、本気で行くわよ!」

 

 高速で懐に飛び込んだデモネスが、間合いの直前で止まった。何かを気にした様子で、ひらりと再び距離を取る。

 

 

「姑息なマネを…。ヴァンパイアらしく変身なさい!」

 

 知子の体内に残ったVで出来ることは限られる。戦闘に使えるのは、少量の水を操作することくらいだ。

 このとき知子は、召喚ルサールカが残した水で唾液を仕込んだ極細の針を20本作り、自分の前に配置していた。これが今の知子に扱える最も殺傷能力の高い技だ。所詮はただの毒針、とバカにすることなかれ。針は猫の舌ですら刺されたことに気づかないほど繊細で、濃縮した唾液はアフリカ象を一針で死に至らしめる。薄暗い中をまっすぐ向かってくればまず見えない。はずだった。

 

 

「…知子…?あなた…、ルサールカを失ったわね?」

 

 いつまでも変身しない知子にデモネスが冷酷な笑みを浮かべ、言葉を続ける。

 

 

「だから、准尉を救出に来た?そうなんでしょう?」

 

 このとき霧島リカは勝ちを確信していた。リカのVマイクロムは本来の名を「フォーク」と言う。デモネスは後からリカがつけた名だ。フォークは姿こそ悪魔的だが、その能力は「契約により願いを叶える」だけ。当然ながら契約と願いは等価である。お風呂を洗ったら50円貰えるレベル、と言えばお分かりいただけるだろうか。戦闘能力で言えばハズレ枠だった。

 一族に虐げられ強さを求めたリカは、自らのVに契約を申し出る。

 

 望んだのは「相手の真意を見抜ければ相手に死を、見抜けなければ自らに死を」与える力…。

 

 契約は果たされた。その結果、新たな力「アイアンメイデン」を手に入れる。アイアンメイデンは、認識した相手を取り囲む金属製の棺、かつ絶対的な裁判官であり、リカの問いかけにより対象の真意を判定する。リカの問いが対象の真意を見抜いていれば、アイアンメイデンから絶命必死の槍が飛び出し死を与える。例え対象が言葉を偽っても、問いが真意を見抜いていれば発動する。しかし、逆にリカの問いが真意を見抜いていなければ、死はリカ自身に牙を剥く。高い任務成功率のカラクリである。リカはその美貌を武器に要人に接触。性的なアプローチの最中にこう問う。

 

「私が欲しい?そうなんでしょう?」

 

 それまでの会話に疑問系を多用するのも、相手に急な問いかけを警戒させないため。

 先ほどのマルセーラの負傷は、アイアンメイデンの発動を食らった結果である。リカが賭けた相手の真意は、ジャックの炎。いざとなれば炎で焼くつもり、とマルセーラが考えていればリカの勝ちだった。

 そして知子に対してはこう賭けた。

 

「田中准尉の救出し、パッシブキュアで元の力を取り戻す」

 

 果たして知子の真意は…

 

 

「…ふざけんな!私はさくらを迎えに来た!

 私は…、私は、さくらにあやまりたい!元は全部私のせいだから!今の私がどうかなんて、さくらには関係ない!」

 

 リカの背後でカラカラと音が鳴った。振り返らなくても分かる、アイアンメイデンが自らに発動したのだと…。不意にリカが微笑む。

 

 

「泣き虫の知子が強くなったわね。准尉はこの先で眠っているわ。迎えに行ってあげて。あなたならきっと起こせる。」

 

 聖戦が始まる前、リカは仲間と一緒によく笑っていた。背後から現れた金属の棺がその姿を包みきるまで、リカは優しい微笑みを絶やさなかった。知子の脳裏に懐かしい過日が巡る。

 

 

「霧島…中尉?」

 

 棺は閑かに佇む。

 

 

「知子…先へ…、先へ進もう…。さくらどのとララが待ってる…」

 

「なに言ってんの!マルセーラは手当てが先でしょ!?レイナを呼ぶからここで休んでて!」

 

 コレオスの肩を借りて弱々しく立ち上がったマルセーラの出血は酷い。自慢の船長服に空いた穴から、動くたびに血がどうどうと流れる。

 

 

「コレオスちゃん!治癒が間に合ってない!早く血を飲ませないと!このままじゃマルセーラが死ん…」

 

 慌てて腕を捲る知子の手を抑え、コレオスが静かに口を開く。

 

 

「知子や?ぼすは変種…、みゅうたんとえ?変種は血を飲めぬぞ…。」

 

「なにそれ?」

 

「やはり知らぬか…。変種は、かか様の、命の鎖を持たぬ。」

 

 

 女神は、神々の享楽の道具として創られた。真の姿は、女神とは名ばかりの、穢れた偽りの命。何度壊れようと元の美しい姿に戻るよう、不死性だけを与えられた。

 ある日、1人の神が女神の元を訪れる。その神は、自らを「草木に花を咲かせる芽吹きの神」だと名乗った。芽吹きの神は女神を穢すことなく、ただ時を過ごして去っていった。次の日も、その次の日も、芽吹きの神は決して女神を穢さなかった。

 やがて2人は恋に落ち、ついに互いの愛を分かち合う日を迎える。芽吹きの神の愛を受けた女神は、偽りの命の殻を破り、真の命と黄金の翼を得る。しかし他の神々は、女神の変化を決して許さず、怒り、変化の引き金となった芽吹きの神を八つ裂きにした。そして、女神の翼を1つもぎ取ると、他の神々が2度とその美しさに惑わされぬよう、灼熱の炎で全身が黒くなるまで焼き尽くし、最後に「最果ての星」へと落とした。

 女神は堕ちた。このとき女神は、芽吹きの神の子を宿していた。10万回の冬が過ぎ、産まれたのは金色に輝く小さな3つ子の娘達だった。1人目は幸福を、2人目は虚無を、3人目は絶望を、それぞれが女神から受け継ぎ、1人目は強く、2人目は弱く、3人目はとても弱く産まれた。娘達が側を離れぬよう鎖で繋いだ。一番弱い3人目は冬を迎える毎に死と再生を繰り返し、一番強い1人目でも2万回目の冬を超えることはなかった。

 3人の娘達を哀れんだ女神は、娘達の依り代を創ろうと考えた。初めに女神は、赤く焼けた水と交わった。交わる度、とても小さな赤毛の子が産まれた。赤毛の子は知恵に優れていたが、依り代には小さすぎた。広い星で迷子にならぬよう鎖で繋いだ。やがて赤毛の子らが大きくなると星に命が溢れた。

 次に女神は、獣と交わった。交わる度、大きな黒毛の子が産まれた。黒毛の子は膂力に優れていたが、依り代には大きすぎた。星を壊さぬよう、今度も鎖で繋いだ。やがて黒毛の子らが大きくなると星は夜も暖かくなった。

 最後に女神は、冬を越すと花をつける木々と交わった。すると、芽吹きの神に似た、色のない子が産まれた。色のない子は知恵もなく、膂力もなく、ただ愛らしかった。依り代にはなれど、儚すぎた。いくつかの冬が過ぎると星に色のない子らが溢れ、鎖で繋ぐのをやめた。

 やがて女神は、色のない子らとの伽に溺れた。交わる度、小さな銀毛の子が産まれた。銀毛の子は他の子らとは遊ばず、いつも遠くを見ていた。やがて銀毛の子らが大きくなると星から赤毛の子らが消えた。他の子らまで消えてしまわぬよう鎖で繋いだ。

 

 

「それって…」

 

「人もヴァンパイアも、始まりはかか様じゃ。」

 

「ちょっと待って!かか様、かか様って、コレオスちゃんは最初の子?」

 

「この依り代はいくつ目であったか?忘れてしもうた。みどもは他の子らよりもかか様に近い。みどもは依り代を食ろうて代わる。なに1つ忘れてはおらぬよ。」

 

「やっぱ意味わかんねぇ。それよりもマルセーラ!何で血を吸えないの!」

 

「ミュータントは……、自ら鎖を解き…人を選んだ。ヴァンパイアであり…、ヴァンパイアではない…でござる。」

 

 血を飲めば力を失う。そう付け加えて立ち上がったマルセーラが、ふらふらと最奥の部屋を目指す。マルセーラがゆっくりと歩む道は真紅にせせらぐ。

 

 

「行こう…。あと少し…、あと少しで会える…」

 

 最奥の扉は開かれた。

 中の様子はこれまでと全く異なっていた。全面を覆う金属と奥に見える大きな筒が近未来を演出する。筒の上でEAXと似た「未知のゲート」が光を放つ。その下に立つ、2つの人影。

 

 

「デモネスを退けるとは…。君たちを見くびっていたよ。

 だが、もう遅い。"神のプロトコル"はアクティブになり、ゲートは起動した!」

 

 逆光の中で、大柄の男がアゴを摩る。

 

 

「白衣の子よ!女神の娘を解き放ち、奴らを始末しろ!

 

「…天使様、それは無理です。先日の戦闘で追い続けた母が幻だったと、アワンは知ってしまった。あの子は賢い。いま放てば、私たちも襲われます。」

 

 傅いた白衣らしき人物は、アゴを摩る大柄なシルエットを、天使、と呼んだ。足元に傅く塊を蹴り上げた大柄なシルエットの手が、アゴから筒に移る。

 

 

「ならば奴らと共に死ねぇえ!」

 

 2つの筒の中心が、同時に音もなく割れた。割れ目はゆっくりと大きくなり、やがて前面全てを開け放つ。向かって左の筒にはライトブルーのノースリーブドレスを着た少女が横たわり、右の筒には…

 

 漆黒の歪な物体。

 

 漆黒を占めるほとんどが黒々とした翼であることは辛うじて分かるものの、左の筒と同じく人ならば、明らかに部位が足りない。腰から下、あるいはもっと上から不足している可能性もある。それなのに、物体から醸し出る威圧はドラキュラに勝るとも劣らない。

 

 

「おぉぉ、リリス…なんと美しい…」

 

 蹴り飛ばされて伏せていた白衣が、部屋の中央で這ったまま愛おしそうに手を伸ばす。歪な物は、漆黒の中から紅い瞳を1つ覗かせると、蠍の尾に似た長いなにかを白衣の元へ送った。

 

 

「おごごごごごご…!!」

 

 始め白衣の様子を窺っていたが、蠍の尾が手に触れたのをキッカケに急転、脳天へと突き立てた!そのまま白衣を頭から飲み干し、今度は白衣越しに血塗れのマルセーラを物欲しそうに窺う。

 

 

「さ…、さくら?」

 

「ふはははは!神のプロトコルは完璧だ!

 ヴァンパイアの血は不味いぞ!さあ、歌え!バケモノ!人類を約束の地へ導くのだ!!」

 

 知子の声は大柄なシルエットの爆発的な笑い声にかき消された。その後の呼びかけにスルスルと尾を戻した物体は、まるで繭のように固く結んでいた黒い翼を広げ姿を露わにする。

 

 翼の中は、ほとんど空っぽだった。

 胸部までしかないブリュンヒルドが宙に浮かぶ。紅い瞳を爛々と光らせ、大きく息を吸った…

 

 

「かか様!なりませぬ!

 いま歌わば鎖がっ!子らが、かか様のお力を失う!」

 

「…コ、レ、オ、スゥ?」

 

「かか様!」

 

 一歩踏み出したコレオスに銀色の一閃が走る!すんでのところでマルセーラがコレオスを掴んでいなければ、彼女の首は飛んでいた。

 

 

「黙れ!

 バケモノォォ!歌えぇぇえ!」

 

「させぬ!」

 

 コレオスが金色に光る鷲へと下半身を変化させ床を蹴ったとき、歌声が響き渡る。歌詞のない旋律だけの歌だった。しかしその澄んだ声は、海底から伸び伸びと広がり、遥か星の裏側まで及んだ。地球全体が歌声に抱かれる。

 

 そして、世界から人々の声が消えた…。

 産声も、喧騒もなく、ただ自然の奏でる音だけが残る世界。

 

 

 パキン…

 

 とても静かな世界で、知子とコレオスは自分の中の何かにヒビが入ったのを聞いた。空中で変化の解けたコレオスが人の姿でヒラヒラと落ちる。

 

 

「神よぉぉ!私は約束を果たしたぁぁあ!約束の地で逢おうぞぉぉお!」

 

 男が離去るのを察し、一矢報いようと顔を上げたコレオスは見た。男と連れ立ってゲートをくぐる、黒く美しい母の姿を。その姿は、手も足も記憶にあるのと寸分違わなかった。

 

 

「…ママ?」

 

 静な世界に鈴の音が鳴った。折れそうなほど華奢な腕で身体を支え、鈴の音の君は辺りを見渡す。

 

 

「ララ!…拙者を…拙者を覚えているか?」

 

「ママ?」

 

 血反吐を撒きながら這い出したマルセーラを、鈴の音の君は「母」と呼んだ。

 

 

「ああ、そうだ。…お母さんだ。

 …ごめんな。迎えに来る…の…遅くなって…」

 

 マルセーラが抱きしめれば抱きしめるほど、娘は紅に染まる。

 

 

「おかあさん?」

 

「あぁ…お母さんだ…。ママとは違う…。だけど、ママと…同じだ…。」

 

「おかあさん!」

 

 嬉々として叫んだ娘は、金色の光に包まれ幼子へと姿を変える。それは、あの日向こうのドアへ見送った、愛おしいマルセーラの娘。

 

 

「おかあさん、けがしてる?」

 

「大丈夫だ。…お母さんは…

 強い…大丈夫…すぐに…

 すぐに……よく…なる…

 今度は…ママを

 …迎えに……

 …いこ………

 う…一緒に…

 おう…ち…

 かえ…

 ろ……

 …ぅ」

 

「おかあさん?」

 

「………」

 

「おかあさん?」

 

「……」

 

「おかあさん?」

 

 いつまで待っても、娘の求める返事はない。母はきつく、きつく娘を抱きしめる。

 

 

「マルセーラーーッ!」

 

 駆け出した知子をコレオスは止めなかった。