数ヶ月前。

 ここは南米エクアドルのとある港町。この街の栄華は遠い過去のもの。今はいくつもの寂れたバーがメイン通りに軒を連ねる。その中でも特にボロい1軒の片隅で、5人の男女が円卓を囲っていた。

 男女は、オンボロ店の店主ですら勘定の心配が顔に出るほど、揃いも揃ってみすぼらしい。それでも、リーダー格と思しき男の真っ直ぐな背筋を見て、店主の不安は随分と和らいだ。男女は、リーダー格の男を0時に、残りは時計回りに男女男男の順で座る。

 

 

「ベア、もう大丈夫なのか?」

 

「ばっちり人間です。ほら!」

 

 そう言って女は、手にした真鍮製のグラスを両手で力一杯握りしめる。女の細腕でふるふると力を込めたところで、硬いグラスに変化があるわけもなく、ラム酒に浸る氷が、カラン、と鳴るだけだった。

 

 

「これで少しは動きやすくなるな。」

 

「それで、私が休んでる間、どこまで進みました?」

 

「…約95%だ。」

 

 女の向かいに座る太眉の男が言葉少なに言うと、その右隣りの細身の男が、羽織ったボロ布からごそごそと折り畳まれた小さな板を取り出して、円卓に広げた。広げた途端に折り目が消える「板の材質」は別として、それはボードゲームのようである。

 

 

「ほとんどがホセしょ…、ホセさんのおかげです。」

 

 讃えられた太眉の男は、喜ぶでも照れるでもなく、自分を讃える細身の男にギリギリと刺すような視線を向けた。

 

 

「さっそく続きをやろう!」

 

 女の言葉に、少し気まずくなりかけた卓の空気が和む。仕切り直しを得た一同は、その後なぜか各々が黙ってボードゲームの四隅に手を置いた。

 小1時間ほど経っただろうか。リーダー格の男が指を鳴らして6杯目のテキーラを要求したちょうどそのとき、細身の男が手を挙げた。

 

 

「しょ…!しょうっ!…さ、クリアしました…。」

 

 細身の男に続いて、残りの3人の男女も疲れ切った面持ちで手を挙げた。4人の顔に、ただ黙って座っていただけとは思えない疲労が浮かぶ。

 

 

「!!そ、それで?最後は何だった?」

 

 小声で早口にまくし立てたリーダー格の男の顔が赤いのは、テキーラのせいか、それとも興奮のせいか。彼は努めて声を低くしたように見える。

 

 

「淵源のゆりかご…」

 

 細身の男が言葉を発した後、5人は静かに歓喜した、と店主はこのときの彼らの様子を語った。また、彼らが口々に呪文を唱え始め気味が悪かった、とも。

 男女が興じていたのは、世界中を巡って集めたフェアリーテイルの欠片をつなぎ合わせたもの。既成概念にとらわれないよう、集めた欠片を画像解析に掛け、破断面のマッチングのみでつないだ。1万個以上の欠片を合わせてほぼ完成したフェアリーテイル。それは歌を書いた石碑などではなく、巨大なボードゲームだった。ほぼ完成としたのは、ほんの僅かに欠損部分があるからだ。全員が子供の玩具なのだと思った。しかし四隅の紋様が状況を変える。ボードの四隅には「命」を示す古代ヴァンパイア語の紋様が描かれており、男女4人が何気なく紋様に触れた瞬間、原理は不明だが彼ら4人の意識はどこか違う次元へと飛んだ。飛んだ先は巨大な迷宮。それは、あたかも体験しているような臨場感なのだという。

 迷宮は細かなセクションに分かれており、各セクションには難解な暗号文が用意されていた。暗号を解くと次のセクションへの扉が開く仕組みだ。ただし間違えると入口に戻されるらしい。このゲームを作った誰かが意図的にクリアしづらくしている、と踏んだ5人は、このゲームのクリアを目指し、ついに達成した。

 クリアまでに解いた暗号のうち、重要と思われるナンバリングのあるものは全部で44個。本当は45個なのだが、残念なことに39番目がちょうど欠落していた。

 
 
「淵源のゆりかご…、意味が分からんな。」
 
「これは意外でしたね。」
 
「ナンバリングはいくつだった?」
 
「10です。」
 
「ってことは…、金色の娘と舞い歌うの間か。」
 
 リーダー格の男が、人間界に一般流通するタブレットを確認しながら言った。御察しの通り、彼らは元々人間界の者ではない。南方騎士団にこの人あり、と言われたモントリーヴォ少佐、通称ベオウルフとその部下達だ。彼らの中で唯一のヴァンパイアだった衛生兵のベアトリスは、識別を回避するためVマイクロムを切り離し「人間」になった。
 
 
「とりあえず、これまで集めた分の解釈に当て込んでみるか。」
 
「やってみましょう。」
 
 モントリーヴォは目頭をぎゅっと抑えてから、鬼の形相でタブレットを睨む。本人は認めたがらないが、どうやら老眼が始まったらしい。
 
 

「えー、どれどれ…。

 神々の戯れに破れ、開闢の翼を失った女神は、闇夜の葦原を追われ、原始の星に舞い落ちた。

 金色の娘を産み、淵源のゆりかごを揺らす?女神は、露の光る暁の原で、愛しい子らと宴を開いた。

 赤馬の智者に賭け、真理の秤を築いた女神は、野原でまどろみ、溢れ出る魂の営みを紡いだ。

 黒虎の烈士に求め、閨房の護を得た女神は、薄暮れの河原で、愛しの君と夜伽を過ごした。

 銀狐の狩人に欺かれ、原罪の楔を許した女神は、虫の鳴く宵の原で、曼珠沙華の無常を嗤った。

 無識の蛮族に滅ぼされ、星々の謬錯を知った女神は、月のない海原で、折れた翼と君を想った。

 鎖が千切れ、39番目、病んだ星と子らに訣別を告げた。

 還りたいと願っても還れない。遠くの地で、ただ君を永遠に愛するだろう。」

 

 

「女神様の日記?のような気がします。」

 

「俺にはさっぱり理解できん。それは女子の直感か?」

 

「何々の原っていうのが、女神様の世界で言う、年月日な感じがしません?」

 

 ベアトリスの次の言葉を聞きながら、7杯目を乾かしたモントリーヴォはこう続けた。

 

 

「葦原年の闇夜月日。神々の戯れに破れた私は、開闢の翼を失い原始の星に落とされた…、思ったよりしっくり来るな!お手柄だ、ベア!

 いいか、念のため繰り返すが、このことは誰にも言うな。たとえ元帥殿下に問われようとも!」

 

 こうして一気に活気づいた彼らを、その後見た者はいない。

 

 

 

 時は現在に戻る。

 行きよりも日数を掛けて帰還したマルセーラは、モリノ組の幹部達へ新たに加わったメンバーを紹介していた。

 

 

「じゃじゃーん♪最後はとっておき!ドラキュラどの!でござる。どう?拙者の人徳すごい?」

 

「気色悪い服を着たあそこのデカイ白もやしが、ドラキュラだってのかい?」

 

「いかにも!ああ見えて、たぶん銀河最強!ただし夜に限る!にんにん。」

 

 マルセーラの紹介が聞こえないのか、あるいは、端から聞く気がないのか、規格外の体躯と銀河最強を誇るドラキュラは、床を見つめたまま部屋の隅で膝を抱える。まもなく正午、お天道様は空の高いところを渡る。

 ドラキュラの体内時計はかなり正確らしく、日の出から日没まで、こうやっていじいじと自分の世界に引き篭もる。ドラキュラは夜しか活動しない。つまりは、往路以上に復路が掛かった理由である。過度な紫外線アレルギーのせいで、ドラキュラは「銀河最強の夜型人間」になってしまったようだ。もっとも、夜になっても人間サイズの船の中では、立つことすらままならないのだが…。

 

 

「ラーニャや、みどもの衣はまだかえ?」

 

「あ!いた!コレオスちゃん!服はいま用意してるから!あっちで待ってよう、ね?」

 

 毛布を羽織ったまま徘徊するコレオスをパタパタと追いかけてきたのは、レジスタンスに下った元ルサールカの井伊知子だ。無駄に掛かった旅路のおかげか、コレオスと知子の間には謎の絆が生まれていた。

 

 

「おい、ババア!私はレメディオスだって言ってんだろ!ラーニャは私の婆さんだ!つぎ言ったら承知しないよ!!」

「ママさん、落ち着いて!こっちは本当におばあちゃんだから。ちょっと…、どころか、けっこう呆けてるから。怒ったらいじけちゃう!」

 

「ラ、ラーニャが…、やさぐれてしもぅた…。知子や、ラーニャに飴をくれておやり。この子は昔から飴が好きでのぅ…」

「わかった、わかったから。私が飴ちゃんをたくさんあげとくから。あっち行こうね。」

「ババア!てめぇ!また言ったな!」

 

  握った拳を下ろしかけたレメディオスが、再び拳を振り上げる。おそろしやおそろしや、と知子に肩を抱かれてその場を後にしたコレオスは、ババアと呼ばれるほど老けてはいない。外見は20歳か、少し上。あくまでも外見は、と但し書きを入れよう。通説では200歳と言われるが、実年齢は不詳。ドラキュラ曰く、出会ったときも今と同じ、らしい。

 これはコレオスの持つ巫女の力に由来する。コレオスは「秘めた力をひき出す」と言われる西の巫女であり、金毛種の不死性が極限まで高められた結果、数十年かけて人の1日分だけ老いるのだという。並ぶ者なし、と称されるのは、不老不死ゆえに「始祖」の可能性があるためだ。

 コレオス以外の巫女の力は、南の巫女が「未来を見通す」、東の巫女が「3位を1つにする」とされる。現在は、南をレメディオスが、東を未覚醒のまま眠る琴美が、それぞれ司る。そして残った北を司るは、ヴァンパイアの王、ドラキュラだ。すなわち、3方位のうち南と西の2方位の力を、依り代となる北に集約するのが東の役割なのである。言い換えると、琴美が目覚めなければ、ドラキュラは超強いけど神の軍勢未満の引き篭もり竜でしかない。

 

 

「ドーニャ、私からも報告がある。」

 

 コレオス達の退出に合わせ人払いしたレメディオスが改まって言った。言葉の代わりに鋭い視線で応えたマルセーラに、レメディオスは娘の成長を思う。つい最近まで、仔猫のようだったのに今はどうだろう。折々に見せる視線は、獰猛な肉食獣に近くなってきた。奇しくもそれは、自分の瞳とも重なる。

 

 

「マリナとレイナにかけた、未来視の結果…」

「!ママママママ、マ…マリナ!…ママママママ…」

「ドラキュラどの、うるさい。でござる。」

「…マリ…」

 

 自分の世界に引き篭っていても、マリナ、という単語にだけはちゃっかり反応するドラキュラを、ドーニャことマルセーラがピシャリと諌めた。

 

 

「おほん…。姉妹への未来視は、成功した。分かったことは、大きく分けて2つ。

 まず、アゴ野郎の狙いについて。アゴはレイナ推しだったのかい?パワハラ全開のボディタッチのおかげで、レイナの素粒子にだけやたらと情報がくっついてたよ。」

 

 ケラケラと笑うレメディオスに、マルセーラは母の変化を思う。1年前まで、怒りしか他人に見せなかったのに今はどうだろう。喜怒哀楽を実に活き活きと表現する。意識せずとも、動画で見た母と重なる。

 

 

「ほとんどが姉妹の読み通り。アゴは人間と繋がってて、テクノロジーと情報を人間側に流してる。見返りは、"さくら"ってお友達。この子は、例の女神ちゃんだろう?

 アゴと人間が繋がった大元の原因は、神。繋がりは人間より神が先。アゴは全人類を提供する代わりに、ヴァンパイアの保護を神に約束させたってわけ。その提供方法ってのが、女神の歌を使った洗脳さ。まったくバカなアゴだよ。神が約束を守るような奴なら、世界はずっと平和だったろうに…。

 ドーニャ、未来視で見えた"結末の1つ"を伝えていいかい?」

 

 マルセーラが、うんうんと2度頷く。

 

 

「…アゴは間もなく女神を手にいれる。そして約束通り、全人類を神に渡す。…最後は、ヴァンパイアが神に滅ぼされて、ヴィジョンが終わった。…あのデカイもやし野郎なんて、これっぽっちも出てこなかった!!」

 

 未来視の結果を伝える際、レメディオスは必ず最後にこう付け加える。

 

 

「未来は変わる。」

 

 彼女が見るヴィジョンの多くは、1つの可能性であり、確定未来ではない。素粒子から取得できる対象情報が、そもそも最新ではないからだ。

 

 

「2つ目は、マ…、姉妹とおっぱいちゃんが東京で戦った相手のこと。

 あれは女神ちゃんの娘…、えー、あー、認めたくないけど…、私の孫のララだね。」

 

 その名を聞いた瞬間、マルセーラの瞳孔が開いた。脳裏に娘とさくらを探し続けた日々が巡る。

 

 

「ああ、そうさ。ララだよ!私は会ったことないけど、あれは間違いなくララだ!ヴィーストと互角だなんて、強い孫だねぇ。」

 

「ど、どこにいる!ララはどこだ!さくらどのも一緒か?」

 

「私たちと同じ場所にいる…。女神ちゃんも一緒に。」

 

 迫るマルセーラを言葉のやりとりだけで止めた。

 

 

「…同じ場所?

 ……海の中か!」

 

 迎えに行く、と駆け出すマルセーラの背中へ、レメディオスが慌てて声をかける。

 

 

「ララの未来!"結末"は聞かなくていいのかい!?」

 

 

「変わる未来なら"明日"と同じ!拙者には不要でござる!」

 

 白い歯を見せてニヤリと笑ったマルセーラは、大きなドラキュラを引きずり駆けて行く。その瞳はまるで、希望に満ちた未来を信じてやまない、仔猫のようだった。
 
 
「ララのヴィジョンは…、真っ黒な闇に砕かれ終わった…。
 マルセーラ、あんたの未来は…、私が変えてみせる。」
 
 いつか見たヴィジョンの日は近い。