「えー…、CHICOくん。ご苦労さま。お手柄でした。」

 

「殿下直々の御詞、恐悦に存じます!…」

 

 中央本部の謁見の間は、蔑称を「ジッグラト」と言う。まさに言い得て妙。大将の自室を兼ねる東方のそれとは比べものにならないほど巨大で、延々と続く階段の上にいるはずの元帥は、頭髪の端すら見えもしない。

 

 

「…他になにか?」

 

「いえ!」

 

「下がってよろしい…。」

 

「はっ!」

 

 軍人らしく颯爽と立ち上がりジッグラトを後にする。しかしその実、文句の1つも言えず姿の見えない相手に目を伏せる自分が、つくづく情けない。自分は東方特2の井伊軍曹であります、たったそれだけが言えなかった。元帥は知子をCHICOと呼んだ。世界聖戦が始まって以来、当の本人ですらその「浮ついた名」を口にしていない。

 ここへの道中、何度も耳にした言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 

『騎士団は腐っている。』

 

 

 知子は中央本部まで捕虜を連れてきた。この場合は、マルセーラを連れてきた、と言った方が分かりやすいか。

 知子とルサールカを救った後、マルセーラは自ら騎士団の捕虜となった。警備がめっちゃ厳重な中央本部に入れてもらうため、なのだとか。確かに彼女は、精霊の契約は要求したものの、味方になれ、とは一言も言わなかった。つまり、敵味方の関係でいえば、知子とマルセーラは、ずっと敵同士なのである。

 得心した知子は、最上級の捕虜を大いに活用する。お陰で敵母船からの脱出はスムーズに進み、不安だった上陸後も、すぐに中央の保護を得られた。

 

 マルセーラの処刑は、中央本部に到着する前から、ずっとトップニュースだった。処刑されると知っていながら、彼女は鼻歌混じりに悠悠と来たわけだ。二階堂姉妹が、レジスタンスの可能性を秘めたミュータントだと知ってなお、姉妹に助けを求めたコレオスを救出するため。

 

 

「井伊軍曹!謁見ご苦労。わしが処刑会場まで案内しよう。」

 

 謁見の間を出てすぐ、名も知らぬ老いた少将が知子の肩を叩いた。将の道案内など、一介の雑兵が簡単に受けられるものではない。

 彼のエスコートは滑らかで、とても手慣れていた。危うく踏み出しそうになる足を止め、知子は軍の慣例に則り、その場で敬礼を返した。

 

 

「そうかしこまるな。

 それにしても、よくあのウィッチを捕まえたものだ!さすがはリヒトの部下だな。」

 

 反射的に答礼で応じた少将であったが、すぐに手を下ろし、進行方向へと掌を向けた。もう片方の手は腰の後ろにある。

 なるほど。軍人ではなく、ただの女性としてエスコートするつもりらしい。しかし知子は、無礼を承知で最初の一歩を踏み出さなかった。

 

 

「大将をご存知で?」

 

 踏み出す代わりに、知子は整った眉をしかめる。いくら中央の将とはいえ、上役であるアウエンミュラー大将の呼び捨てはありえないこと。世界一緩いと噂の東方のルールですら、全身の毛を抜かれるレベルだ。

 

 

「ははは。そう怒るな。あいつとは同郷同期で家も隣り。いわゆる幼馴染だ。わしは宿主ではないからな。わしが年相応!」

 

 そう言って豪快に笑う少将へ、知子はできる限りの謝意を示し、半歩遅れるよう足を進めた。

 

 

「気にするな。君が優れた軍人である証だ。

 …ここにも君のような人材が居れば…。」

 

「自分はウィッチを捕まえていません。奴は自ら捕虜になりました。」

 

 知子が最初の言葉に応えたのは、彼が付け加えた言葉をあえて流すことで、畏敬の念を表すためだ。

 

 

「つくづく、東方は良い教育をしている。

 …ウィッチはなぜ、君を選んだのか。心当たりは?」

 

「あります。短い間でしたが、自分は奴の上官でした。居所のわかる元上官が自分だけだったのだと思います。自分はゲームの餌として、人間に拉致されていましたから。

 

「そうか。あの狩りの…、それは難儀だった。」

 

「いえ。自分の不注意でご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。」

 

「こちらこそ、すまなかった。すると、君を助けたのはウィッチで間違いないな?それにしても、捕まってまで侵入する目的が分からんな。」

 

「自分はウィッチの率いるレジスタンスに救出されました。自分に尋問権がないので、目的は聞き出していません。」

 

 知子は真面目な嘘が下手だ。嘘をついてもすぐバレる。だからこそ言葉巧みに真実を話した。しかしそれは、コレオスの救出以外、把握されている事実と大差はないはず。命を救ってくれたマルセーラへの、せめてもの恩返しである。

 

 

「隠し事が下手なのも指揮官に似るか…。」

 

 さすがは将を務める男。僅かな心の揺らぎを見抜いた。あるいは、ただ単に知子が青いだけか。

 

 

「申し訳ありません。意識を取り戻してすぐのことだったため、お伝えしませんでした。奴らの会話にコレオス様のお名前が…。」

 

 これは賭けだった。もしコレオスと接触した人数が少なければ、いずれ二階堂姉妹にも足がつくだろう。だが、この状況では誤魔化すより良策といえる。

 

 

「はっはっは!そうか、コレオスか!

 あの金毛は素性を隠し、人間の男と暮らしていたらしい。例の事件後、男に捨てられ、心を病んでしまったそうだ。今は占い師の真似事をしておる。女子団員に人気でな、コレオスの房は連日大盛況よ。」

 

 並ぶ者なし、と称されるほどの人物が、男に捨てられたくらいで簡単に壊れるとは思えないが、少将の言葉もまた、嘘とは思えない。二階堂姉妹がすぐに特定されることはないのだと分かり、儚い人間と千代を生きる金毛種の同棲を素直に驚きつつ、知子は愁眉を開いた。

 

 

「さて、着いたぞ。ウィッチの処刑とあって、今日は人が多い。」

 

 通されたバルコニーは、人、人、人で埋め尽くされていた。それでも、バルコニー先頭に置かれた5脚の椅子が見えるのだから、人口密度は眼下に見える一般観覧席の半分未満なのだろう。

 

 

「井伊軍曹が参った!道を開けい!」

 

 少将が叫ぶと、1つだけ空いている真ん中の椅子まで、一直線に道が拓けた。不謹慎ではあるが、この様は敵方の海が割れた逸話を彷彿させる。堂々と歩く彼に続いて動き出してすぐ、知子は自分の両隣りに座るであろうメンツを想像して、思わず先を行く少将の肩を掴んでしまった。

 

 

「心配するな。わしが後ろにいよう。」

 

 彼は知子の無礼極まる振る舞いを叱るでもなく、優しく手を重ねてポツリと言った。ここは中央本部。バルコニーの真ん中が知子の席ならば、元帥は居ないとしても恐らく大将達が並ぶ。

 

 知子の到着を見計らったように、中央騎士団の短いファンファーレが鳴り響き、「まもなく」を告げた。両隣りを見てはならない。そう心の中で唱えながら、背もたれに手をかけた知子が思わず止まる。しかしこの場で当時を懐かしむ事などできるはずもなく、会釈だけをしてそっと腰を下ろす。

 両隣りは直属の上官、霧島リカと神河リオンだった。この2人の顔を見るのは1年ぶりだ。リオンは北方に異動し、リカは特務遂行とやらでずっと不在にしていた。さすがの2人も、場の雰囲気に気圧されているとみえ、会釈に対し微笑むのが精一杯のようだ。

 

 

 あくびが出るほど長いファンファーレが定刻を告げた。ウィッチ姿のマルセーラが拘束具なしで現れたため、場内は一時騒然となったが、本人が変身を解いたことで一応の落ち着きを取り戻した。彼女は、罵声の嵐が降り注ぐ中を、何にも縛られず、堂々と、自らの足で処刑台へと向かう。

 

 

「これより、マルセーラ・モリノの刑を執り行う!主な罪状は王国への重反逆罪!それ以外にも、この者はレジスタンスを率いて軽重数々の罪を犯した!

 本来ならば極刑を免れないが、寛大な元帥殿下の恩赦により、追放に処す!」

 

 処刑台の下でマルセーラを一度制止した執行人が、演技めいた身振りにのせて声高く宣言すると、一般観覧席のボルテージは最高潮に達した。本来なら略式でも裁判に当たる審議会が行われるはずだが、本件はすでに処罰が確定していたことと、対象がレジスタンスのボスであることから、異例の超略式としたのだろう。

 なお、この場合の追放は「次元追放」を意味する。次元追放。それは、生きたままこの世から追放すること。強制発生させた「出口のない」EAXゲートを使って…。転送経験者と開発者曰く、この刑は極刑よりもむごい、とか。追放される者が人間ならば極刑とほぼ同意だが、ヴァンパイアだった場合、身の千切れる転送を何度も何度も繰り返す。そしてそれは、永久に続き、Vマイクロムの継承機会も失われる。とはいえ、この刑が実際に執行されたのは一度だけである。対象者が皆、恐怖のあまり慈悲を懇願するからだ。騎士団にとっても、貴重なVマイクロムを消失するのは避けたい。とどのつまり、主に騎士団側の都合により、慈悲を受け入れる。これが追放の実態だ。1人だけ存在する追放者は、とある元老院の寵愛を拒否した美しい少女だったという。

 
 
「罪人よ、慈悲を望むか?」
 

 憐れむ執行人の声を受け、一般観客席が慈悲は不要、とブーイングに沸いた。地に向かって開いたEAXゲートは、雷鳴のような聴衆の罵声をも飲み込み、処刑台の上で轟々と罪人を待つ。

 
 
「拙者を殺して、誰にウィッチを継がせるつもりか?」
 
 ブーイングを背にニヤリと笑ったマルセーラは、周囲を注意深く見渡してから、最後に視線をバルコニー席の中央へ向けた。小さなドクロの描かれたしなやかな指先が、ゆっくりと知子の左隣りを指差す。
 
 
「霧島リカ!お前のその瞳!なぜ拙者に輝く!」
 

 この発言が意味するのは、リカにウィッチを継承する素質がある、ということ。リカはデモネスとウィッチ、2つの素質を持つと言うのか。

 
 
「そ、そんなはず!!」
 

 椅子を倒すほどの勢いで立ち上がったリカの声が、マルセーラの発言で静まり返っていた場に行き渡る。

 
 
「拙者には分かる。同族でござるな?」
 

 仔猫の鋭い爪が獲物を捕らえた。

 実際のところ、リカの瞳は光ってなどいない。これも作戦のうち。Vマイクロムの継承素質は、Vマイクロム本体であるドッペルゲンガーと現宿主にしか識別できない。つまり、マルセーラ以外に彼女の発言の立証は不可能なのだ。

 二階堂姉妹は言った、黒幕はヤノーシュだと。ヤノーシュは北欧の流れをくむ名家の出。おそらく霧島リカの遠い縁者だ。リカにウィッチの嫌疑が掛かれば、縁者全てに調査が入ると踏んだ。その中にヤノーシュが含まれるなら、黒幕の動きを制限できる。

 
 
「違う!私はウィッチではない!」
 
「一族への偽りは家訓に反するでごさるよ、お姉様♪」
 
「貴様っ!まだ愚弄するか!」
 

 当のリカよりも怒りを露わにしたのは、知子の右隣りに座っていた神河リオンだった。ベルセルクに姿を変えた彼女の輝きを間近に浴び、知子の身が意図せず固まる。リオンの放つ輝きが1年前の比ではない。その辺に屯ろする銀毛種を、一まとめに黒く染め上げるほどの漆黒、とでも例えれば良いか。ここまでの輝きを放った黒毛種は、未だ嘗ていまい。

 
 
「リオン!ダメだ!私刑は重罪!奴の策に踊らされるな!」
「し、しかし…っ!なにごとだ!?」
 

 突如、処刑台が大きく縦に揺れた。その後聞こえてきた地鳴りは、すぐ近くのようで遠い。いや、あちこちで起こっているのか。

 やがて地鳴りが止んだとき、場内は呼吸音すら聞こえないほど、しんとしていた。誰もが固唾を飲んでいたのだろう。次の瞬間…。

 
 
「マリナーーっ!!!」
 

 空を焦がす叫びを吐きながら、10本の怒れる羊の角を生やした紅蓮色の竜が地を割って現れた!夜空に輝く月の輪郭をなぞって身を翻した竜は、嵐の羽ばたきを伴なって場内へと降り立ち、その巨大な影をマルセーラに落とす。

 
 
「やっときたか。全く世話の焼ける銀河最強だ。」
 
 背中に竜の威圧を受けたマルセーラが、白い歯を見せてニヤリと笑う。
 
 
「マリナ嬢とのツーショットフリートーク60分。…小鼠よ、それが我の条件だ。」
 
「承知!…え!?あれ?コレオスは?」
 
 親指を立てて振り返ったマルセーラの顔がアホを極めた。余談だが、このとき遠い地にいた二階堂マリナは謎の悪寒を感じたと言う。
 
 
「うるさいから食った。」
 
 竜は、コウモリに似た羽の生える右腕で腹を差し、ボボフン!と笑うように炎を吐いた。なるほど、耳を澄ますと微かに聞こえる。
 
 
「こら!ドラキュラ!みどもを食らうとは何ごとじゃ!早う出さぬか!うわっ!衣がぁ!衣がぁぁぁ!」
 
 大きな腹をつんつんとつつき、首を傾げるマルセーラに竜は、あいつ不死身だから、と豪快に炎を吹いた。それから頭を地面に垂れた竜は、顎をクイと後ろへ1つ、マルセーラへ背中に乗るよう促した。
 
 
「竜を駆る忍者!超強そう!にんにん♪」
 
「いや、お前、忍者感ゼロだし。小鼠だし…。」
 
 ご満悦のマルセーラに、二番煎じのツッコミを入れた竜は、捕まれ、の一言もなく羽ばたき、瞬く間に上空へと昇った。再び猛烈な嵐が場内を襲う。
 
 
「あ、待った!でござる!」
 
「小鼠、今度はなんだ!」
 
「あと1人連れて行く!もう一度あそこへ!というか、バルコニーへ!」
 
「くっ!我を足代わりにするか!…2ショットホロビデオ撮影券を追加。」
 
「うーん…、無事に連れて行けたら考える!でござる。」
 
「くっ!!悪知恵の働く小鼠め!」
 
 
 3度目の嵐が場内に吹き荒れた。目を開けるのすら困難な風が吹き付ける中、バルコニーの前に停まった竜の背から、数分前まで処刑されるはずだった猫目の少女が元気に手を伸ばす。
 
 
「井伊どの!一緒に行こう!でござる!
 姉妹もここにはもう戻らない。拙者達と一緒に神を討とう!」
 
 その声は知子に全く届いていなかった。それでも手を差し出す少女が何を言わんとしているのか、仕草を見れば分かる。この状況で少女の手を掴めば、裏切り。手を掴まずとも、尋問は免れない。とても長い一瞬の間が、知子を包む。
 このとき、知子の隣りにいたリオンは、自分の未熟さを痛感した、と後に語っている。ベルセルクに変身していたリオンにとって、混乱した状況で訪れたこの瞬間こそ、マルセーラを討つ絶好のチャンスだった。にも関わらず彼女は、マルセーラを乗せた竜に睨まれただけで、膝が震え、呼吸すらまともにできなかったのだ。
 
 
「井伊どの!早く!時間がない!」
 
 マルセーラがまた自分を呼んでいる。分かっていても、どうすることが正解なのか、そればかりが頭を巡る。拒否か賛同か、いずれにしても意思を示すべき肝心の手が、胸の前でぎゅっと握られたまま固まってしまった。
 
 
 とん…。
 
 誰かが知子の背中を押した。表現ではなく、物理的に。
 
 
「え?」
 
 咄嗟に知子の手が前に伸びる。倒れるのを堪えるためではない。ぐんと前へ、その手はニヤリと笑う少女にもう届く。ここに彼女を連れてきたときから、知子の心はとうに決まっていたのだ。
 
 少女と手を取り合い竜に跨った知子は、すぐさまバルコニーに向かって敬礼した。
 ほんの僅かな時間だったのに、答礼を返すはずの「彼」は、ついに見つからなかった。