1つ上の男スタイルで、少女はハンドポケットのまま影に向かって言った。


「単刀直入に言う。仲間になれ、でござる。」

 アイライン不要の大きな天然猫目の見据える先、真っ赤な革ソファに深々と腰掛ける長身の女性が、ほぅ、と眉をしかめた。
 部屋の奥に置かれたソファは、中東の強い日差しすら拒み、暗い影の中にある。艶かしく組まれた、スラリと伸びる女性の脚だけが、陽を浴びて真珠のような輝きを放つ。女性が赤いハイヒールをブラブラさせる度、ルビーがそうするように、ヒールが陽を反射して部屋と少女の顔に、赤い閃光を走らせる。


「ウィッチの後継者、マルセーラ様は随分と冗談がお上手だねえ。」

 ソファから立ち上がった女性は、ダイヤが散りばめられたフェイクネイルで少女の顎をクイッと持ち上げると、言葉とは裏腹に、殺意の篭った視線を向けた。
 陽光を受けて露わになった女性は美しいかった。長い睫毛に縁取られたジャガーを思わせる捕食者の瞳を持つ女性は、絵画から抜け出したよう。歳は30前後と言ったところか、まさに女盛りである。
 細かくウェーブする金髪をアップにまとめ、ベールのような薄布を身に纏うだけの装いから、煩わしさを嫌う彼女の性格が窺える。大多数の異性を刺激するであろう、完璧なボディを惜しげもなく晒す女性に、意図せずとも「娼婦」を思う。仮に女性が娼婦だとして、身につける宝飾品が、彼女の「相場」を物語る。


「…あなたには、本当に申し訳ない事をしたと思っている。だが、あなたのやり方は間違っていた。その点に微塵も疑念はない。」

 殺意に臆する事なく言葉を返してきた小さな少女に、女性は乾いた笑いを投げつけてから、ソファサイドの飲み物に興味を移した。


「いつからだろうね?あんたがママと呼ばなくなったのは?」

「…レメディオス、聞いてくれ…」

「レメディオス!?まさか娘にその名で呼ばれる日が来ようとはね!全てはあんたが仕組んだことだろう?今の私は、ウィッチを失った、ただの女だ。」

 女性の身振りは下手な舞台役者のように大袈裟だった。台詞に合わせてグラスを踊らせた結果、締めくくりのポーズで豊かな胸に寄せたグラスはすっかり乾いていた。


「…。」

 台詞を忘れた新人役者の如く黙って立ち尽くす少女を見て、レメディオスと呼ばれた女性の瞳に、より一層、濃い殺意が灯る。
 レメディオスの足がマルセーラに一歩近づく。


「…女神が子を産んだ。あなたの予言通り。」

「ほぅ。」

 短い言葉だが、女性の歩を押し止めるにはそれで十分だった。


「私は、あなたが狂ったと思った…、女同士が子を成すなどあり得ないと。しかし、事実として私の娘が産まれた。
 …私が間違っていた。申し訳ない。」

 少女が続けた言葉は、女性のそれとは対照的に静の中で語られた。少女は、最後に深々と頭を下げた以外、身動きを一切することなく、淡々と事実を伝えるに終始した。


「…っ!」

「で?申し訳ないって頭を下げて、それで終いかい?」

 横で1つにまとめられた髪を掴み、髪ごと少女を持ち上げた女性の膂力は、人間の規格を遥かに超える。


「先ほども言った通りだ。力と恐怖で支配するあなたのやり方は間違っている。モリノ組を返す気は毛頭ない。欲しければ、あなたの得意な方法で奪うが良い!」

「…。」

 今度は女性が台詞を忘れて押し黙った。


「東の末裔を見つけた。この街に来た真の目的は、彼女の覚醒。」

「…。」

 黙るレメディオスの手を掴み返したマルセーラが力強く言葉を続ける。


「もう一度言う。仲間になれ。運命は動き始めた!
 あなたの力が必要だ。未来を見通す、南の巫女の力がっ!」

 ミコ、という音に反応して、女性の瞳に灯る殺意が沸点を超えた。



 ドガッ!ゴン…ドガガッ…

 天井からパラパラと落ちる木屑に、パンを袋詰めする女性店員の手が止まった。レジカウンターの向こうで商品を待つ馴染み客と目が合い、彼女は作り笑いで応える。


「今日のお客さんはずいぶんと…。」

「ははは。そうみたいですね…。」

 この店の2階が「別店舗」になっていることは、馴染み客なら誰もが周知のこと。それを咎める者などこの界隈に居ない。よそ者がこの地で生きていくには術が必要だ。


「あとでよく効く軟膏を持って来てあげるわ。」

「お、お構いなく~。ありがとうございましたー。」

 ドアまで客を見送った女性店員は、はぁ、と1つ、深い溜息をついてからハタキでパンに落ちた屑を払い始める。



「気は済んだ?人間だった頃から、どんなに殴られても私は屈しなかった。それが今やヴァンパイア。あなたの力がいくら人間離れしていようと、私は傷1つ負わない。まだ足りないなら気が済むまで殴れば良い…。」

 真っ二つに割れたソファに埋もれる少女が、口に着いた女性の血を左手で拭いながら、しかし、平然と言った。
 少女に跨って肩で息をする女性は、乱れた薄布を正しながら、ふん、と鼻で息を吐いて立ち上がり、それから諦めたように口を開いた。


「泣き虫娘が偉そうに言いやがって……、いいだろう、あんたに命を預ける。好きに使っておくれ!…ドーニャ。」


「レメディオス…。ありが…」
「ふんっ!調子に乗るんじゃない。支度するからさっさと出て行きなっ!」

 少女は最後まで言えずに部屋から押し出され、女性は拒絶するように素早くドアを閉めた。
 いま2人を隔てるドアは、お互いの心の壁と同じく重い。女性と少女は、閉じたドアに向かって同時に呟いた。


「マルセーラ…、あんたにはこんな世界を生きて欲しくなかった。…不器用なママで、ゴメン。」
「レメディオス…、私はまだ、あなたを許せない。…可愛くない娘で、ゴメン。」

 2人の呟きがドアを越えることはない。





ーーーーーーーーーー
 ずっと違和感が拭えない。

 何かが頭の片隅に引っかかる。
 薄汚れた路地裏の幼女が、娘と手を取って遊んでいるから?ううん、違う。そんなのちっとも気にならないし、子供同士が楽しそうに笑い、遊ぶ光景を、捻じ曲がったフィルター越しに見るほど、私は大人じゃない。


"次は新曲です。ニューイヤーシーズンにピッタリのバラード…。あなたの大切な人を想って聴いてください。"

 普段の霧島中尉を知っていると、アイドルモードの彼女はちょっとオモシロイ。
 大切な人を想って聴いて、なんて絶対言わないでしょ。大切な人を想って散れ、なら言いそうだけど。神河少尉ほどじゃないにしても、やっぱりオンオフは切り替えるんですなぁ。
 果たしてどっちの彼女が本物なのか。

 新曲のイントロが進むにつれ、違和感が大きくなる。

 

 

 何かが足りない。



「知子は…どこ?」

 そう口走ったのが先か、通信機のボタンを押したのが先か。


「マルセーラちゃん!みんな!ライブ会場にCHICOがいない!」
"こちら兵藤。敵影を確認。水の精霊です。"

 兵藤さんと私の声が重なった。


"マルセーラだ。兵藤、詳細報告しろ。"

 通信機から聴こえた彼女の声はいつもより少し低かった。


"目的地まで10。角を曲がれば会敵します。対象は匣の前に1名。匣の破壊は確認できません。"

"…了解した。兵藤、行けそうか?"

"さて、どうですかな…。スキャン結果を送ります。"


 ピピッ…

 間もなくしてルサールカのスキャンデータが送られてきた。

 アサルトD:8
 プロテクトD:9
 ベロシティC:11
 サイキックB:16
 リアライズB:18
 キュアC:11

 

 Vランク:C


 数値だけ見たら産後の私に似た「特殊能力型」だけど、「めろめろキス」を筆頭に、ルサールカの技はどれも殺傷能力が高い。回復系の私と同じ感覚で挑んだら、たぶん瞬殺される。


"戦闘向きではなさそうですが…"

「兵藤さん!マルセーラちゃん!今すぐそこから脱出して!」

"さくら殿、突然どうしたでござる?"

「そこは地下なんでしょ?みんなを水没させるつもりだよ!」

"一理あります。エルサレムには死海へ繋がる地下水脈があったかと。…お嬢様、どうしますか?"

 私は敢えて、ルサールカの戦闘性能に言及しなかった。
 数週間の共同生活で私が学んだ彼らの性格、それは全員が揃いも揃って「カッコつけ」ってこと。もし、戦っても勝てないから逃げろ、なんて言おうもんなら…、じゃんけんで挑む順番を決めた挙句、1人ずつタイマンを挑んで全滅するだろう。予言者じゃない私にも結末がありありと見える。
 少しだけ間を置いた後、マルセーラちゃんの決断が下った。


"…悔しいが退却だ。気づかれる前に素早く動け。お前達の命には変えられない。"

 さすがリーダー、納得の決断だ。琴美を今以上の危険に晒すことは、誰から見てもマイナス要素しかない。


"コp……まだぁ?待つの飽きたんですけどぉ~☆"

 通信機から聞き覚えのあるバカっぽい声が聴こえた。


 ゴキンッ…

 続けて聴こえたのは、生理的に耳を塞ぎたくなる音。


"兵藤!?応答しろ!誰か!"

 繰り返されるマルセーラちゃんの呼びかけも虚しく、潜入部隊から応答はない。ただただ無音が返ってくるのみ。



"こちら、ひょーどー♪えへへ☆お前は誰だぁ?"

 ふざけた調子の声を聴いた瞬間、全身に鳥肌が立ち、自分の脳から血が引いていくのが分かった。聴いているだけの状況から、身体が反射的に逃げようとしているのか。


"貴様!兵藤はどうした!"

"質問に答えてくださ~ぃ。半分メガネのオジイさんは死んじゃったからぁ、CHICOが腹話術でお送りしていまぁ~す☆教えたんだから答えてね♪"


"…死んだ?…兵藤が…、死んだ…?"
"死んでるよぉ~。首がブランブラン♪あっ!"

 ブチ…ッ…ボト…。

"ごめ~ん。ちぎれちゃったぁ☆"
"……めろ…。"

"ん?どぉしたの?"

"…やめろ……、やめろぉぉぉおっ!"

"きゃははははは。めちゃ怒~☆この人、よわ…"

 私はグループから「兵藤さん」を強制リムーブした。
 こちらの素性を知りたがっている以上、会話を続けるのは得策ではないし、私の声を知子に聴かれるのはマズイ。そう直感した。


「マルセーラちゃん!叫んだって兵藤さんは還らない!リーダーがそんなでどうするの!?
 聴く限りだと、知子は兵藤さんしか殺れてないし、たぶん怪我してる。兵藤さんは凄いよ、さすがだよ。」

 マルセーラちゃんには申し訳ないけど、執拗なまでの弄りに、知子の焦りを感じる。
 おそらく知子は手負い、それも動けないレベルで。だから残りメンバーを取り逃がして焦ってるんだ。


「きっと他のメンバーはまだ生きてる!だけど兵藤さんから血を摂れば知子は復活する。」

 と言っても、すでに全員捕獲、または殺害済みの可能性もある。


「誰か!無事なら返事して!」

 我ながら曖昧なトーンの呼びかけだったと思う。
 生きてるわけがない、と諦めてしまっている自分を頭の片隅に押し込めるのは、言うよりもずっと難しい。



"こちら水嶋。姐さんのご推察通り、兵藤さんが…おい、ジェイク!早くしろ!…くそっ!…琴美さん!ジェイクの背中に!走れ!走れ!"

 

"はぁはぁ、申し訳ない…。兵藤さんが化物の両足と右腕をふっ飛ばしてくれました。今は兵藤さんお手製の煙幕で動けないはずです。安心してください。必ず琴美さんを地上に戻します!"

"東雲さん!半分まで来ました!化物は俺がここで食い止めます。先に行ってください!後は頼みましたよ!"

"こちら東雲、コピー。"
"同じくジェイク、コピー。"

"姐さん…、お嬢…、すみません。リムーブさせてもらいますよ。…ブチッ…"

 やっぱり全員「カッコつけ野郎」だ。きっと東雲さんも、その時が来たら水嶋さんと同じ事をする。
 船には水嶋さんの帰りを待つ人が居るのに。東雲さんにも、もちろん兵藤さんにだって…。


"さくら殿…、ありがとう。"

「…うん。だけど、まだ安し…ん……」

 ドクン!

 ドクン…、ドクン…、ドクンドクン…。

 突然、心臓が激しく脈打ち始めた。
 何の前触れもなく、加えて痛みもない。これで痛ければ心筋梗塞なんだろうけど、幸い命の危険はなさそうだ。
 けれども、激しさを増す鼓動と共に昂まっていくこの感情は…、いま、ここで、湧き上がってはいけないもの。


"…さくら殿?"

 傍受していたチャンネルから流れる旋律が私の頭を占領していく。

 


 ー優しい歌ー

 

 初めて姿を変えるキッカケをくれた、あの歌。

 

 

 なぜ、ViPの2人が歌っているの?

 

 なぜ、2人の歌声は「優しくない」の?

 

 

 なぜ?

 


 抗えない。このままだと私は、私は、私は…


「あ"…あ"ぁあぁぁ…、ラ、ララ…、ララ!変身してはダメッ!」


 私は…、ドス黒い血の欲求を伴って変身した。

 今はダメだと、どれだけ強く思っても無意味だった。歌によって強制的に変身させられた、と言えば良いのか。今回の変身に、私の意思は微塵も反映されていない。
 強制的な変身による暴走は、善良な私をいとも簡単に飲み込み、私と共鳴するララの理性もまた、残らず消失した。娘は小さな青い女神に姿を変えると、それまで手を取り遊んでいた幼女を、躊躇なく一瞬で食らった。
 食らった、は語弊がある。消えかけの「私」が見た娘は、ただ触れただけで、幼女の腹をゼリーのごとく浚い、消しとばした。

 幼女を食らった娘の頭を撫でながら、大勢の人々が行き交う大通りを不敵に見つめる真っ黒な自分。

 


 それが、この日最後の、善良な私の記憶。


 そして、全人類がヴァンパイアの存在を知る。



ー第4章・完ー

 

※第5章からは不定期更新になります。