定刻を知らせる鐘の音が、薄暗い東欧の森を渡る。
「……ことを誓いますか?」
「はい…誓います。」
司祭の問いに、顎に特徴のある男は間を置くことなく答えた。
「…あなたは、健やかなるときも、病めるときも………誓いますか?」
次に司祭の問いを受けた女性は、すぐに答えない。
ステンドグラスから射し込む陽光が、階段下まで伸びるロングベールの中で俯いたまま目を伏せる女性に、決められた答えを催促する。
紛い物の縁取りなど要らない、流れるようなアイラインの奥で女性の涙が揺れた。
鐘の音はもう余韻すら残っていない。
「…はい…。…誓い…」
女性の答えを遮って、ドアが弾けた。
入口に立つ、細身ながら逞しく鍛え上げられた男のシルエットが、肩で息をしながら、LION、と女性を呼ぶ。
LIONはベールを脱ぎ捨て、入口のシルエットに向かって駆け出した。
『少尉は演技も巧いなー。普通に泣けるんだ。』
どーも、私(さくら)です。
ここはいつもの給湯室。
知子と二階堂姉妹と私、4人で本日0:00にリリースされたViPの新曲PVを鑑賞している。
今回は、ファン待望の「LION初のソロ楽曲」だ。
完全サプライズで前情報ナシだったにも関わらず、リリースから半日でホログラムPVのダウンロード数が50万を超えた。
人間界と比較したら大した数字じゃないけど、騎士団の関係者人口を考えるとトンデモナイ数字だ。今もダウンロード数は伸び続けている。
ちなみに、今回のPVには、なんと、私も出演している。しかも、何度も登場する!
「悪魔」の役で。
PVの流れをざっくり説明すると…
全体的なイメージは中世後期から近世前期風。
冒頭の結婚式はビデオイントロなので曲はない。
乱入してきたイケメン(アレクセイ大尉)の元へLIONが走り出す所から曲が始まる。
教会を出て走り去る2人の背中を屋根の上から楽しそうに見つめる悪魔。(表情を合成された私)
花嫁に逃げられた顎男(ヤノーシュ大佐)は、兵を率いて2人を追う。
1番は、逃げた2人の初夜を匂わせるシーンで終わる。
要所で白いウェディングドレス姿のLIONが森の中で歌うシーンが挿入される。
2人を追う顎男の兵は森を埋め尽くすほどの大群に。
逃げ切れそうな所で悪魔がLIONに意地悪をして足止めする。(2人に悪魔は見えない設定)
ついに2人を追いつめた顎男と兵達。
2番は、連れ去られるイケメンと泣き崩れるLIONの姿で終わる。
要所で赤いウェディングドレス姿のLIONが森の中で歌うシーンが挿入される。
捕らわれたLIONは豪華な部屋で死んだように虚ろな顔。
イケメンの形見?を握りしめて泣き崩れるLIONに悪魔が耳元で囁く。(もちろん見えない設定)
顎男が部屋を訪れ、めっちゃエロ悪い顔でLIONに迫る。
3番は、顎男がLIONをベッドに押し倒して終わる。
黒いウェディングドレス姿のLIONが森の中で歌うシーンに変わる。
LIONの逆襲シーンと逆襲を楽しそうに見る悪魔が何度もカットインする。
城の上から森を見つめるLION。眼下には断崖と激流。
LIONがイケメンの形見を胸に身を投げて、曲が終わる。
灰色の空と深緑の森の間を、真っ黒な悪魔が笑いながら飛び去っていくシーンでビデオエンド。
まさかの、ラストカット、私…。
何というか、表情が合成された自分の不気味さは死にたくなる。
この不気味さは、『さDこ vs かYこ vs さKら』ってタイトルの映画があっても良いレベル。
1回死んでいるはずのレイナさんにドン引きされたのも頷ける。
今回の楽曲は、夫のために身を投げた初代ドラキュラさんの奥様をイメージしているらしい。
人間だった彼女は、自分を辱めようとした男性を噛み殺したと、すげぇ怖い逸話が残っている。
大人の事情でこの逸話が使えないため、PVでは「悪魔の仕業」に仕上げたそうだ。
ヤノーシュ大佐とアレクセイ大尉が出演してるのは、この曲がヤノーシュ大佐直轄組織、中央騎士団S級諜報部の「調査ご依頼の方にもれなくS諜ロゴ入どんぶりプレゼントキャンペーン」とタイアップしているからで、私達特2のメンバーは依頼してないけど、もれなくのどんぶりを貰った。
「さくら、…勇者すぎる…。」
ルPン一味の凄腕ガンマンちっくな渋顔でマリナさんが呟いた。
「ばびが?」
「食べながら話すなっ!飛ぶっ!」
知子はツインテールをブンブン振り回して、飛来する食いカスを器用に叩き落としたあと、私の顔についたカスを毒々しい色のハンカチで拭き取ってくれた。
しっとりしてるけど、メレンゲが意外と曲者のツーガー・キルシュトルテと一心不乱に戦う私は、事の重大さに気付いていなかった。
「そのうち分かる。うしし♪…って、なんで私のキルシュトルテ食べてんの!?」
レイナさんのお皿は空になっていた。しかし、フォークは一切汚れていない。
「ゔぇ?食べてないべふよ?私じゃないぼふ。ぼふっ。」
「ぼふぼふ…。食べてるの…、さくらだけ。」
ぼふぼふ言う私に視線が集まった。マリナさんの言う通り、みんなの口に食べた形跡はない。食べた記憶はないけど、状況が私を指名手配している。
身に覚えがなくてもここは謝っておくべきか。
「太るのはさくにゃんだし、ま…いっか。」
「ボクも…、要らない。…あげる。…!?」
「私も今日はいいや。…あれ?」
マリナさんと知子が差し出したお皿も空っぽだった。
「わ、私じゃないべふほ?まだ口に入っべばふ。」
ぼふぼふ喋る私を見た2人は、口を揃えて、ま…いっか、とレイナさんのマネをした。
「田中准尉いますかぁ~?」
事務仕事の際、よくペアを組むチワワっぽい足利陽菜さん(23歳)が、給湯室のドアをノックした。
足利さんは、毎日違う男性団員と日替りランチを食べる、謎多き女性。チワワ系なのに超貪欲に攻めてくるんだとか…、彼女は格闘家なんでしょうか?
「ばんべふか?」
「…なんですか?」
何も言わずにマリナさんが通訳をしてくれた。ぼふ語がツボったらしい。
「汚っ!飛ばさないでください!大将から伝言です。」
ガチな嫌がり方をした足利さんは、ホログラムチップをドア近くに投げ捨てて足早に立ち去った。
ホログラムチップは、旧世代の容量拡張、兼ホログラム投影ツールで、昔はどの端末にも挿入スロットがあったんだとか。
チップの120万倍以上のデータ容量を持ち、各端末にホログラム投影機能が搭載されている現在では、全く必要性を感じない。ちなみに現在のデータ伝送速度は、チップへの書き込み速度の「10の26乗倍」速い。
チップの存在は知ってたけど、私も初めて見る。
"さっさとメッセージ見ろや、ボケェェエ!!…さっさと…"
ドアの傍で、チップから横向きに現れた小さなアウエンミュラー大将が、エンドレスにご立腹だ。
面白いから放置しようかと思ったけど、既読にしないと次はご本人様が光りながら来るかも知れないので超危険。私が既読処理しながら、ばかりばふた、と囁くと、マリナさんが、わかりました、と続けた。
伝える相手が居なくなっても律儀に訳すマリナさんは偉いと思う!てゆーか、チップを返却するのが超面倒くさい。
PVを鑑賞するため「通知しない」に設定していた爺を「通知する」に切り替えた私は、人生初の「炎上」を体験する。
"未読メッセージ:139万…"
「べ?びゃく、さんじゅう、きゅう……まん??」
思わずキルシュトルテを飲み込んでしまった。
もしかして、これは…。
応援メッセージってやつ?
ViPパワーすげぇ!
1回PVに出ただけで100万件を超えるメッセージが貰えるなんて♪
私宛のメッセージでサーバーがパンク寸前になってたから、アウエンミュラー大将が怒ってたんだ。
ニヤニヤしまくりたいのを我慢して平静を装う私を見た知子が、ムカつく顔でニタニタしている。
その悪代官的な顔に、若干の不安を覚えつつ、とりあえず、1件目をオープン…。
"ドブス。死ね。"
2件目も3件目も、その後、何件開いても同じ様な内容ばかりだった。中には明確な殺害予告とも取れるメッセージまで。
恐る恐る爺に「メッセージの統計化」をさせてみる。もちろん「全件既読」も抜け目なく。
肯定的なメッセージ、1件
否定的なメッセージ、139万8288件(内、殺害予告、6万4190件)
肯定率、0.00007152%
超貴重な「肯定的」メッセージをご紹介しましょう。
"がんばれ" 送信者:キルシュトルテごち
たった4文字。しかも句読点すらない。メッセージ自体、果たして肯定的なのかすら不明。
そして私は、マリナさんが言った「勇者」の意味を理解する。
ヴァンパイア界で第3位の人気を誇るスーパーアイドル、LIONの初ソロ曲という、注目度抜群のPVに、ちょい役どころか重要な役で出演してしまった私。しかもその役が、彼女の苦難の元凶とも言えるド悪役で、彼女を死に追い込んでおいて高らかに笑うクソ悪魔。
「ギャラ安すぎるだろっ!」
人間という生き物はどこまで行っても現金なものである。140万件近い「死ねメッセージ」を貰って出てきた感想がギャラの安さだった。
後に私は、ヤノーシュ大佐はガチで暗殺されかけ、LION派の男性ファンとアレクセイ大尉推しの女性ファンとの間に軍事衝突が起こった、と風の噂で知り、殺害予告だけで済んだ事が奇跡なのだと知る。
「うしし♪いくらもらったの?」
他人の不幸は蜜の味、を顔面全体で表現しているレイナさんは、とても楽しそうだ。
「Vクレジットで200万です。」
「200万!?」「200…!?」「半分くれ!」「ごふっ!」
サラッと言ったら、全員が同時に反応した。ちなみに、Vクレジットは日本円にすると、2倍よりちょっと多いくらい。
反応はタッチの差で順に、レイナさん、マリナさん、知子、…誰?
3人の視線が私のすぐ後ろの柱に注がれる。
その柱は、私がベルセルク式強化合宿の一環で強制されている「超空気椅子」に絶賛使用中だ。
「こんなところに柱あったっけ?」
普通に話すふりをしながら、知子が私に、どけ、と目配せをする。
超空気椅子を解いて左に一歩ずれた瞬間、知子はルサールカに変身して水弾を放った。柱が、バリバリ、と雷鳴のような音を立てて砕け散る。
一面真っ白になるほど派手な壊れ方をしたにも関わらず、建物は微動だにしていない。というよりも、その柱だけが壊れた感じだ。
煙ったいのが大嫌いなレイナさんが、すかさず窓を開けて粉塵を外に誘導している。
「け、けほっ!けほ、ちょ、ちょりーっす♪…でござる。」
『ござる?』
立ち込める粉塵の向こうから聞こえた言葉に、全員が同じ感想を抱いたはず。
「拙者は、忍者でござる!」
忍者と名乗った声の主は、女性…。おそらく少女だ。その姿はまだ確認できない。
「さくら殿!キルシュトルテ、ゴチでござった!空気椅子がんばれ、でござる、にんにん!」
未だ姿を現さない自称忍者は、残念なナンチャッテ忍者語を恥ずかしげもなく使える強者のようだ。
「キルシュトルテ、ごち…?」
唯一の肯定的メッセージの送信者は、私の目の前、じゃなく、真後ろにいた…。
「しかも、がんばれって…、空気椅子かよっ!」
私は腹の底から叫んだ。
てゆーか、こいつ誰!?