「リオン!さくらの信号がロストした!」
霧島リカ中尉の言葉に、シャドーボクシングをしていた神河リオン少尉の手が止まった。コンマ数秒の間を置いて風切音が止む。
新型ポーターの試作機、ヨグ・ソトースの乗り心地は悪くない。
彼女達に原理は分からないが、エネルギーを連続圧縮する事で3倍速くなったのだという。ヨグ・ソトースの名に恥じない速度だ。
同様の原理を用いた、捷疾鬼と呼ばれる超大型の新型ポーターを、東方騎士団が開発しているとの噂もある。
これら新型ポーターが実用化されれば、世界の広さは1/3になる。
「ロスト?」
リオンの言葉に合わせて、彼女の綺麗な首筋を伝う汗が宝石の如く輝いた。
彼女のファン達はこの汗にいくらの値をつけるだろう、とリカは思う。
「リンクモードだったさくらの信号が消えた…。」
乱雑に転がった箱に、羽のように腰を下ろしたリカが、俯いて言った。
まだ何かを言いたそうだったが、彼女の色鮮やかな唇から次の言葉が出てくることはなかった。
「ニードルが外れただけでは?」
「リオン…、一度だってリンクニードルが外れた事あるか?」
間を置いて正論を言ったリオンに、リカもまた、経験に基づいた正論を返す。
リカから返ってきた問いに答える代わりに、リオンは上官であるリカに無言で背を向けると、先ほどまでシャドーボクシングをしていた場所に向かって歩き始めた。
「さくらは強い…。大丈夫です…。」
リオンの背中が言った。他でもないリオン自身のために言った言葉である事は明白だった。
肉弾戦において、神河リオンは無類の強さを誇る。1対1の闘いなら、全騎士団中でも五指に入る実力者だ、とリカは思っている。
誰もが羨むそのルックスさえなければ、今頃はアイドルとしてではなく、戦士として活躍していたはずだ。
そのリオンが好敵手として認める相手がいる。他でもない「田中さくら」だ。
Vマイクロムの能力とは言え、戦闘経験0でリオンに一矢報いたさくらには天賦の才がある。
相手との距離や角度が適切でなければ、いくらVマイクロムと言えど反撃の手を出す事はない。
それに、さくらとスパーリングした後のリオンは、決まって上機嫌になる。
これは強者との闘いを生き甲斐とするベルセルク一族の血が、さくらの才能を認めている証拠だ。
「ピアス…。」
「ピアスだ。」
シャドーボクシングの定位置で構えたリオンと、ふわりと立ち上がったリカが、ほぼ同時に呟いた。
「リオン!ピアスだ!さくらに渡したピアスを経由する!操縦席に向かおう!」
リカは言い終わるより早く、部屋を飛び出した。リオンも頷き、リカの後を追う。
2人の搭乗を知らされていなかったヨグ・ソトース内は、ステージ衣装に身を包んだトップアイドルの出現で大混乱に陥る事となる…。