マルセロは自分の判断を呪った。
最短ルートで進んでみたものの、最後の最後で詰んでしまった。
「瓦礫の道の出口がまさか敵陣内とはね。」
A33ポートはすぐそこなのに、彼の目前にあるのは敵兵の尻だ。なかなか良い形をしているのがせめてもの救いか。
会話を翻訳機能で盗み聞きしたところ、この尻は大尉のモノで、声を聞く限り、大尉は女性だと思われる。
美人は想像しないでおこう、とマルセロはこの窮地にあって無駄な事を考えている。
不意に大尉がマルセロの隠れている瓦礫の上に右足をかけた。
ブーツの紐を直そうとしているのだろうが、まさかマルセロが下にいるとは思っていない大尉は、タイトスカートの中を惜しげも無くマルセロに晒している。
パンツスーツでないことから、この大尉が武官でないのは明らかだ。
「黒か…。」
マルセロは再び窮地らしからぬ事を考えた。
彼がここまで間近に潜伏できているのは、マシンガンから抜き取った認識キーのお陰だ。
この認識キーは元々スーツに付いていたもので、未登録のマシンガンを解除するために使っていた。
キーをスーツに戻した今は、アクセラレーターを始め、制限されていた機能を余すことなく使える。
今のマルセロは、光学迷彩+周辺温度同調+ノイズキャンセル+エアキャンセルに護られた、鉄壁の潜伏者だ。
ノイズキャンセルとエアキャンセルがあれば、この距離で放屁してもバレることは無い。
ただし、光学迷彩の解像度は旧式のハイビジョンクラスなので、動かなければ、の話だが。
計らずもここまでアピールされると、いよいよ顔が見たくなってきた。
それが男の性というもの。
彼女が次に背を向けたらポジションを変える、とマルセロは決意した。
「ここで死ぬかも知れねぇんだ。後悔はしたくないぜ?」
無茶苦茶な論に聞こえるが、戦場では無茶苦茶な方が正しい時もあるので侮れない。
それにしても、彼女は足をかけてこちらを向いたまま、なかなか背を向けない。上に鏡でもあるのだろうか。
「@@@!@@@@@!」
マルセロには理解できない外国語を叫びながら1人の敵兵が左側からタープを訪れ、すぐに右側へと立ち去った。
タープ内にいた数名の兵達は、慌てた様子で訪れた兵の後を追う。
黒パンティの大尉も慌てた様子でタープの入口へ走っていき、タープから顔を覗かせている。
「…チャンスだな、これ。」
マルセロはじりじりと、極力音を立てないよう慎重に瓦礫から出た。
そして、ゆらりゆらりと黒パンティ大尉に向かって歩み寄る。
この速度、かつ、重心が上下しない平行移動なら、ショボい光学迷彩の追従性能でも十分にカバーできる。
少し離れていれば動いているようには見えないはずだ。
余談だが、この平行移動法は、日本人柔道家だった曽祖父がマルセロの一族に残したものだ。
「黒パンティ、チェックメイト…」
マルセロは、黒パンティ大尉の喉元に後ろからナイフを当て、スペイン語で言った。
ノイズキャンセルを切り忘れたので声は届いていないし、ナイフも光学迷彩の影響を受けているので見えにくいが、彼女も軍人の端くれ、状況は分かったようだ。
マルセロは捕縛対象を自動認識する簡易拘束具、グレイプニルで素早く彼女の手を結束し、テープで、口を塞いだ。
口を塞ぐ際に彼は、妄想とは都合よく過大になっていくものなのだ、と改めて認識した。
仕上げにノイズキャンセルとエアキャンセルの影響範囲を広げて彼女をその範囲内に入れると、彼女の太腿にナイフを突き立てた。筋肉と無縁の彼女の脚は、いとも簡単にナイフを通す。
ナイフのヒートスイッチをONにして、傷口を焼けば、ダメージは大きくなるが出血を最小限に抑える事ができる。
ノイズキャンセルを拡大しておいて正解だった。
傷口を焼く際に彼女が上げた叫び声は、口を塞いでいてもかなりの音量になった。
幸運にも人質を確保したマルセロは、何事か分からないこの混乱に乗じてA33ポートへの進行を再開する事にした。
まずはタープ内の死角で敵兵が右側に行き過ぎるのを待ち、敵兵が少なくなった後で左側へと進む。
HMDのマップ通りならば、このタープの左側50mのところにA33ポートの入口があるはずだ。
ゆっくりと死角に移動し始めた途端、電子音が鳴りマルセロを護っていた光学迷彩などの潜伏機能が強制解除された。
下級兵の潜伏機能は、上官ならば所属に関わらず自由に解除できる。つまり最下級の3等兵である彼の潜伏機能など、ほとんどの騎士団員が解除可能だ。
重要なのは、強制解除された事。
即ち、近くに味方の上官がいる、という事だ。
「おい、3等兵。貴様、所属が空欄だぞ?」
マルセロは声のした方角に目を凝らしたが、誰もいない。
「おっと、すまん。自分のを解除し忘れた。」
8Kクラスの光学迷彩が解ける際に出るクリスタルノイズに続いて、南方騎士団の象徴とも言える男の姿が浮かび上がった。