「女神は生きている!何としてもバックアップするんだ!」
「はいっ!」
隊長の号令に管制官全員が一糸乱れずに応答をしたかと思うと、各々がすぐさま活動を開始した。
知子は完全に乗り遅れた格好だ。
「衛星ゲート冷却進捗、再稼働許容値の70%到達。現在の限界値です。」
「エア組成、水蒸気4%、完了。維持します。」
知子は、隊長から具体的な指示がないにも関わらず、迷いなく動き出した管制官達に違和感を覚えた。
まるで全員が、1つの意思で動く、集合個体のようだ、と。
『高位脳波ネットワーク…。』
無理矢理参加させられた顎の割れたお偉いさんの講演が、知子の頭を過ぎったが、今は忘れることにした。
「ドッペルゲンガー、発生します!」
男性管制官の鋭い声が響く。
生きている女神からなぜ、と知子が疑問を投げかける間すらなく、それは始まった。
女神の失われた右翼の傷跡から兆候が始まった。
最初に光が漏れ、その後、無数の光る粒子が吹き出し始める。粒子は空間全体に満遍なく広がり、やがてメインモニターの映像は粒子で埋め尽くされた。
空間に広がった粒子のうち、1つが動き出すと、その1つが次々と周りの粒子を巻き込み、うねる。どんどん大きくなる粒子群のうねりは次第に規則性を持ち始め、魚群のような1つの集合体へと変わった。
集合体は移動しながら様々な生物に似た姿を形作っては崩れ、徐々に人を形作っていく。最後に、人型へとたどり着いた集合体の表面が色彩を帯びると、それは紛れもなく人だった。
色彩を帯びる様子は、カメレオンやタコの擬態に似ている。
「にぴぃえぇ!?」
現れたドッペルゲンガーの姿を見た知子は、驚きのあまり、変なところから、変な声を出してしまった。
ドッペルゲンガーが模した姿は、井伊知子、その人だった。
ドッペルゲンガーは宿主が急逝した際に「宿主を模して」発生する。それがヴァンパイア界の一般常識だ。
しかし、当の知子は地上のA101管制室にいる。もちろん存命である。
知子は恐る恐る管制室内を見渡してみたが、誰も知子のドッペルゲンガーが発生したことに驚いていなかった。
彼らは始めからこうなる事を知っていたというのだろうか。
モニターの中の知子は、カメラに向かってバカっぽく手を振っている。
飛び跳ねる度に乳が揺れに揺れた。まさに「完全再現」だ。
モニターに映るアイドルモード全開の自分に、知子は心底イラっとして、自分から目を背けてしまった。
「田中准尉、蘇生。V濃度、回復…12、13、17、20%…上昇中です。」
女性管制官の声に再びモニターを見ると、上体を起こして翼を折りたたみ始めた女神が映っていた。
左手の指先を残った血液パックに深々と突き刺し、驚くべき速度で飲み干そうとしている。
女神復活を見たドッペルゲンガーは、水の精霊ルサールカに変身した。
「たなちょえぇ!?」
知子はまた、変なところから、変な声を出してしまった。
それもそのはず、ドッペルゲンガーの変身など聞いことがない。
彼女は慌てて自分もルサールカに変身してみたが、何の問題もなく変身できた。
つまりこの瞬間に限って、ルサールカタイプのVマイクロムが、地上と衛星に2個体存在していることになる。
余談だが、この世紀の発見に等しい「ドッペルゲンガーの変身」にも、管制官達は一切驚いていない。
ドッペルゲンガー版のルサールカは衛星内の水蒸気を集めると、まるで、そうすることが決められていたかのような手際で、ゲートを包みループ循環する水流を生成した。
「衛星ゲート冷却進捗、再稼働許容値の72%到達。ループ水流の冷却効果、確認しました。」
ゲートの冷却と女神の復活は順調に進んだ。
その背景には、管制官達の「普通ならざる動き」が多分にある。