「山の有名無名は関係ない。どこまで通用するのか、自分の力を試したい。それだけ。

誰かの力を借りるくらいなら死んでしまったほうがいい。」 鈴木謙造



「なぜ登るのか?その問いに答えてはならない。登りに行け。ただ登りに行け。

見向きもされず、自分自身も何も考えず、ただ登るのが理想。」 鈴木謙造



「恥ずべきは不注意である。」 鈴木謙造



1972年生れ。
1995年マッターホルン北壁、オクス北壁ほかソロ。
1997年一ノ倉沢烏帽子奥壁ダイレクトルート冬期ソロ。アルパマヨ南東壁新ルートフリーソロ。
1998年には幽ノ沢中央壁左フェイス等を冬期ソロ。榛名黒岩アヒル(11c)フリーソロ。
2000年には自身のベストクライミングと言う、リスカム北壁新ルートフリーソロ、

ほか多くのソロクライミングを実践する。



「僕は鈴木謙造でよかった。僕以外のいかなる人物であっても、このようなやり方であのルートを拓いたのであれば、

生きて戻ることはできないだろうと思ったからだ。」 鈴木謙造



1993年、鈴木はマッターホルンの北壁登攀に挑む。

氷や岩が混じるミックス壁をピッケルを使いフリーソロで登っていく。

しかし、先に困難なルートが待ち受けていたため、ロープで安全を確保して登攀しようとするが、誤ってロープを落としてしまう。

しかも、ロープはこの1本。

身動きできなくなった彼はヘリコプターで救助されることとなる。
彼は、助かったことで安堵するのではなく、また完登できなかったことを悔やむのではなく、

認知行動療法で言えば「認知の歪み」とも言えるぐらいの見方で自分を責める。

「恥ずべきは不注意」だとし、

「擬似的に命を落としてしまったようなものだ」

「自分の安全を確保できなかったときには、死ぬことでしか責任を取る手段がないのではないか」

「マッターホルン北壁を完登できなかったことなどどうでもいいが、最後まで自分の面倒を見てやれなかったことがあまりにも悔しい」

と述べている。
この出来事を機に、彼はクライミングの歴史に残る、そしてクライマーたちに衝撃を与える驚異的な登攀記録を残していく。


しかし、そんな彼が、ミディの北壁で墜落して命を落とす。

鈴木謙造レベルのクライマーにとってみれば、非常に簡単な壁だと言われるところだ。
ほんのほんの小さな不注意が命取りとなる----危険な登攀を繰り返す「鈴木謙造だから死んだ」のか?

それとも極限に鍛えられた肉体を持ち、徹底的なまでに自分に厳しかった「鈴木謙造ですら死んだ」のか?




「僕は鈴木謙造でよかった」 鈴木謙造