新年明けましておめでとうございます。
今日書いているブログは毎年J-サーキットのライセンシー(スタジオを運営会社)に出している新年の挨拶ですが、少し個人的な事も書き足します。
ブログなので遠慮なく書けますね。
僕のHope 希望とは、
In Christ alone, my hope is found
です。
私が希望を見つけるのは、キリストにだけ。(意訳)
この希望とはこの世での生(命)がなくなった時、必ずや天国に行けるという確信です。
死んでしまうと、自分の存在がなくなるのではなく、その先も生きて行くという確信です。
そうすると、自分の存在がなくなってしまうという一番の恐怖はなくなりますね。
この世にあっても本当に頼れるのはキリストだけです。
この歌に日本語の素晴しいサイトがありますので、
是非チェックしてください。 https://www.logos-ministries.org/blog/?p=5056
皆さんにも色んな夢が合ったとおもいます。
私の夢は具体的な計画はなく、まあ “wishful thinking” 憧れみたいなモノ(像)でした。
何々になりたいなぁ等。例えば、プロ野球の選手になりたいなぁとか。
一次的に歌手になりたいと思ったこともありましたが、友達同士でバンドを結成する話があり、私が歌うと全員(自分も含め)ががっかりしてバンドの結成にはいたりませんでした。
この年になりますと、そのような夢(何かになりたいとか)はなくなりました。
しかしながら、希望はあります。
聖書で
「いつまでも残るものは、信仰と、希望と、愛。その中で最も大いなるものは愛である。」
と言っています。
いつもは「愛」に焦点をおくのですが、去年の後半から「希望」が自分に取ってなくてはならないものと感じました。かなり落ち込みましたね。
希望がなくなると絶望的です。
勿論目的も失います。
心も魂も感情も、また生きている心地も無くなり、人生が無意味と感じてしまいます。
皆さんにもそんな時があったかもしれませんし、ひょっとすれば来るかもしれません。
夢は空しく消えても(殆どの方の夢も消えてしまったかもですが)、私のように多くのダメージはないかと思います(歌手になれない、むしろそれの方が良かった!)。
でも、永遠に残ると言われている「希望」がなくなってしまえば、「ただ生きているだけ」です。
私の希望とは、将来必ずや起こる出来事、また与えられるモノ・コトです。
こういうわけで、どのような状況に合っても陥っても希望を無くすことは出来ません。
持ち続けようと思っています。
でなければ、生きる屍となってしまいます。
希望があれば、努力もしますし頑張ります。
成長もしたいと思いますし、健康でいたいと思います。
また、他の人のためになりたいと思います。
多くの行動に影響を与え、肯定的(Positive)になります。
それでは、どのような人が希望をなくしてしまっているのかと言うと、多くは高齢者ではないでしょうか。
また、子育てが終わり夫婦間の繋がりがなくなり、頼っていた子供たちが一人前になって独立し目的を失ってしまった主婦ではないでしょうか。
私の希望とは、夢と違い、大きな事をするとか、お金持ちなるとか、出世するというような物質的な事でなく(成功はしたいですが)、自分がどうあるかということです。
どのような人間になるかということです。
皆さんが思う希望とは違うかもしれませんが、希望があります。希望を持っています。
希望を失った多くの方々に希望を与える人間になりたいと思っています。
これは、この2020年だけではなく、来年も再来年も生きる限り希望を与える人間になりたいと決意する次第です。
自分が落胆した時には、微笑み、励ましの言葉をかけ。
希望を失った人には、人それぞれ異なりますが、その人が望む希望を提供する努力をします。
内容も大事ですが、聞いた事は3日過ぎれば、95%は忘れているという統計があります。
聖書いわく、永遠に残るのは信仰、希望と愛です。
いつまでも思いやりを持って、希望を与える提供者になりたいものです。
このような思いは皆さん、忘れることがありません。
永遠に残る希望を与える人間になる所存です。
この新しい年がどんな状況にあっても、皆さんが希望を持ち続ける幸せな年でありますように!
アメリカにて、Jay アライ