ども久々の投稿になります。かずきです。
まずはご心配いただいた皆様、LINEやDMでの暖かいメッセージありがとうございました。
大丈夫?と優しく声をかけていただいたり、中には過去に推しが活動終了した経験をしたことがある先輩としてアドバイスをくださる方も居て、気にかけていただけることの幸せを感じ、今日まで過ごすことができました。
本当にありがとうございます。
早速本題ではございますが、私かずきは2019年11月末をもって、ヲタ活を無期限活動休止いたしますのでご報告いたします。
無期限活動休止とするのは、万に一ついつかまたふたりが動いた場合のことを考慮してということでこのような表現としていますが、その時が来るかどうかはわからないので実質皆様にお会いするのはこの11月が最後になるんじゃないかなと思います。
8年半、いろんな方と出会って楽しい思い出がたくさんできました。
本当にありがとうございました。
11月まで全てのスケジュールはWHY@DOLLに合わせた形となりますが、お会いする機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。
さて、ここからは私個人のヲタク人生の振り返りをつらつらと回顧録してみようと思いますので、これ以上読んでもつまらないだけだと思います(笑)
ありがとうございました。
そもそも私がヲタクになったのはいつなのかと振り返りますと、1998年、対象は鈴木あみでした。
初めての現場は1999年夏の大阪フェスティバルホールでした。ちょうど武道館ライブの次の週になります。
当時はインターネットが流行った時代で、私も学生ながらファンサイトを運営し、チャットとICQをする毎晩でした。
2000年にはネットで知り合ったヲタ友も多数増え、車に乗せてもらったり18切符を駆使したりしながら、倉敷市民会館、Zepp Fukuoka、大阪城野外音楽堂、横浜アリーナあたりを回ったのを思い出します。他にも行ったかも←
人生初の接触は2000年10月15日福家書店銀座にて写真集の握手会でした。当時高校生だった私。手洗えないとか言ってたのが懐かしいです(笑)
2001年に入り、事務所問題でゴタゴタした頃、デビューシングルの「love the island」をみんなで買ってオリコンに復活させようという企画を企て、企画サイトを立ち上げさせていただきましたが、ファンサイトの運営をしていたとはいえ、当時高校生の弱ヲタだった私に統べる術はなく、当初デビュー日の7月1日としたつもりがいつのまにか4月1日になったり、そもそも8cmシングルがもはやCDショップの店頭にはなくて取り寄せになってしまった等、色々とうまくいかず、結局オリコン入りを果たすことはできませんでしたが、一部のメディアが取り上げてくれたので少しは鈴木あみの名が人目に触れることができたのかなと思います。
ちなみに1番好きだった曲は「明日、あつく、もっと、つよく」(love the islandのカップリング、SA収録曲)でした。
そんなこんなで私のヲタク第1期は終了。
その後大学に入学し、サークル活動に専念し、普通の青春を謳歌しました。
就職した最初の配属は山口、その後広島へと転勤、2011年5月3日に広島のフラワーフェスティバルでまなみのりさと出会いました。
ほんとは広島出身の大学の後輩の女の子と会う予定でしたが、急遽来れなくなり、たまたま椅子に座ってたらまみりのステージが始まったという出会いでした。
アイドルなんてどうせ口パクかかぶせと思っていたらアクターズ仕込みの生歌とハーモニー、しかもめっちゃ踊ってるし…なんやねん!?
次の日もフラワーフェスティバルにまなみのりさを見に行き…数々のお祭り、SETSTOCK、フレスタ巡りなどを経て…約11年ぶりのヲタク復帰を果たしました。
広島時代は特にU.M.U AWARD 2011が大きなイベントで、先輩方にくっついて全力で応援しました。結果は見事優勝。実は優勝できなかったら引退を考えていたというまなみのりさ、地下独特の演者とファンの絆を覚えたのはこの頃だと思います。
そういえば次の年2012年6月30日に実はWHY@DOLLさんを初めて見る機会がありました。有楽町よみうりホールでのライブ、目当てはまなみのりさでしたが…当時はまだ浦谷さんは参加していませんでした。
2013年は広島でまみり三昧し、2014年いろんなことがありました。まみりとファンの方向性の違い←、そして上京。
2014年はまだ広島に住んでいたけれど、まみりのことが心配で、その年ちょうど始まった会社のフレックス制度を思いっきし活用(朝7時〜12時仕事、新幹線で現場、夜行バスで大阪、大阪から新幹線で広島、出社の繰り返し)して平日でもほぼ全部の東京の現場に通いました。
まみりがなくなるのが怖かったから…
当時のまみりの東京のライブは目当てのお客さんは基本一桁。正直いつ終わってもおかしくない状況でした。当時の自分が取り組んだのはこのタイミングでのまみりとファンの方向性のすり合わせ(一曲ごとにどうしたいか握手をループしてメンバーと話し合いました)、そして初見の人でも一緒に楽しめるライブの構築でした。とはいえ、東京の地下の現場なんてほぼほぼ初体験な私…そんな時に出会ったのがFeamさんとFeamerさんでした。
めちゃくちゃ楽しかったです。そして、現場の基礎を学びました。今でも本当に感謝してます。
そして東京での仲間を徐々に増やしていき、いつしかTOと呼ばれるようになっていました。
まみりが転機を迎えたのはアイドルお宝くじ。
2014年の12月の「全国アイドル大集合!!お宝カヴァーしNIGHT」でした。有名グループが数いる中見事優勝、これをキッカケにまみりは息を吹き返しました。そして、3rdワンマンのmorphソールドアウト、アイドルお宝くじで連勝を重ね、勢いのまま4thワンマン渋谷DUOへと加速していきました。
すごい楽しかったです。
と、まみりが勢いづく中、2014年の11月に気になったWHY@DOLLへの愛情も自分の中で加速していきました。
2014年11月30日、横浜プレミアホール。Feamさんを見に行ったこの対バンでほわどるに恋をしました。可愛い!楽しい!!最初はこんな感じでした。たまたま12月のアイドルお宝くじのSPも一緒で、その後のレギュラー放送で対戦相手になるということで偵察という言い訳を自分にしながらほわどるのライブを見に行き、回を重ねるごとにどんどん好きになりました。
でも当時はまだまみりしか眼中になくて、なんか可愛いないいなくらいの感覚でした。
とはいえ、足を運ぶ回数はどんどん増えていき、2015年1月27日初めての定期参戦。
ハマるキッカケになったのは2015年4月11日の下北沢251でのフリーライブだと思います。
あの時、ほわどるファミリーの親切な方々が、まみりヲタが来るらしいと事前に情報をキャッチして色々ともてなしていただいたのには本当に感動しました。今もその方々にはお世話になりまくってます。ありがとうございます。
そのあと急遽参加したビクター会議室でのサイン会もとてもほっこりしていて、これがほわどるの2人の人柄なんだろうなと癒されてたのを思い出します。
当時はまだ明確に推しは決めていませんでしたが、2015年4月26日の会議室でのアコースティックライヴで、特典会で浦谷さんに良かったよと言った時のうまくできなかったからリベンジさせてくれの言葉に惹かれ、浦谷さんのことが人として好きになりました。あれからほんとに歌うまくなったよね。もう十分リベンジしてもらってるなと今でも感じています。
そして6月、転勤で広島からまさかの東京へ。
まみりのライブをほぼ全通する中、合間を縫ってほわどるのライブへ通いまくりました。
どんどんほわどるが大好きになっていく私、そんな中、まみりは7月4日の4thワンマン渋谷DUO終了後、体制が変わり、再メジャーデビューへと進んで行きました。
そういえばこの頃はまみりとほわどるは交流があって、7月4日のまみりのDUO、7月5日のほわどるのK4と土日で連日ワンマンが続き、お互いに見に行くというなんとも自分の中では胸熱な状況でした。
まみりの再メジャーデビュー、それは喜ばしいことでありましたが、それまでまみりの代表曲にまで成長したポラリスAbのリアレンジ(νポラリスAb、スタンプラリーの開始となかなか気持ちがついていけないことが増えていきました。
一方でほわどるは2015年秋の全国ツアーが始まり、11月21日にツアーファイナルBLAZEを迎えました。
たぶん自分の心の中のターニングポイントはここだったんだと思います。
東京へ転勤になり、ほわどるへ足繁く通うようになった私、そのことに対して色々と言われるようになってしまいました。まみりの関係者の方からは自分の影響力を自覚しているのかTOとしての自覚はあるのかと叱責を受け、初めてまみりのライブを干してほわどるのツアー大阪に行こうと思ってまみりに相談した(結果的にほわどるのツアー大阪1部とまみりの夜の渋谷の対バンを回しました)時も自分の立場が分かっているのか?お前はTOなんだぞとメンバーにも怒られ、関係者の方とはこの秋のツアーを最後にほわどるに行くのをやめるという話にまで膨らみました。。。
が、一方でほわどるの秋のツアーではファンの方の企画に混ぜていただいたり、大事な動画も作らせていただいたりとほわどるへの愛はどんどん膨らんでいき、行くのをやめるなんてできなくなってしまいました。
曲のリアレンジ、スタンプラリー、ほわどるへの愛、自分の中でいろんな思いが交錯し、まみりは義務、ほわどるは癒しという棲み分けで日々過ごすようになり、たぶんその積み重ねがまみりを傷つけてしまったのではないかと今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そんな状態が続く中、ほわどるはGeminiのリリースが始まりました。このGeminiの収録曲が自分の中で大ヒットでそれはそれはもうほわどるのライブに行くのが楽しみで楽しみで仕方なかったです。
Geminiといえば2016年2月14日の渋谷タワーでのリリースイベント、あの時のライブ会場の空気感は今でも忘れられません。ほんと良かった。その前にあった会議室でのバレンタインイベントも最高すぎました。
2016年3月31日、当時のアイアン社長T氏から電話がありました。秋葉原へ来てくれと。
まぁもう今だから書いても良いと思いますが、当時TOとして扱われていたこともあり、社長に呼び出されてマンツーマンで話したり食事したりすることは普通にあったので、今回もそうなんだろうと思ってました。そしたら、まみり本人達が居て、色々と話し合いをしました。今思えば、当時のまみりと自分とのすれ違いが限界を迎えていたのだと思います。簡潔に書くともう義務では通わなくても良い、また来たくなった時に来てくれという内容でした。
それ以降、まみりのライブには4回行ったのかな?2回はほわどるとかぶったから、残りの2回は活動再開会見とWESTのワンマンライブ。
顔見るとMCで謎にいぢってきたり、テンション高めに接してくれるので感謝しています。
そして謝らなければいけないのは岡山さんのお母様、二推しでもいいからまた応援してあげてねと優しい言葉をかけていただきましたが、再び応援することはなくヲタク活動を終えてしまうこととなりました。申し訳ないです。
まみりは本当に親御さんに恵まれていると思うのでどうかこの先も大切にしてください。
私に言われる筋合いないかもしれませんが(笑)
そんなこんなで2016年4月からほわどる専ヲタとなりました。5月に浦谷さんにはるな推しでこれからずっと行くと告白し、今に至ります(箱推しですよ?)。
そこから3年間ほわどるとの思い出で本当にいっぱいです。
いろんなところに行きました。いっばい思い出作りました。ほんとにほんとに…
楽しかった。
苦しい時も楽しい時もずっと一緒でした。いろんな姿を見てきた。
どんな時も前を向いて挑戦し続けるふたりの姿に本当に心から惹かれました。
と、話を進めてしまいましたが、時系列を元に戻し、2015年の12月にMIONちゃんに出会いました。キッカケはたいちさんのツイッター。
たまたまcloverの回収をしていた時にツイートが流れてきて、そういえばこの子ほわどると仲良いんだっけ?と思い、池袋のHMVに行ったのが初めてでした。
その時聴いたノスタルジアが良すぎて好きすぎて、それから路上行ったり、ちょこちょこ聴きに行くようになりました。
MIONちゃんはなかなかタイミング合わないと見にいけないんですが、毎日showroom配信しているので、なんかとても身近な存在に感じています。
今回のほわどるの活動終了の件でも自分が立ち直ることができたのはMIONちゃんの存在がとても大きいです。
ってつい一昨日のことなんですが…
これからもほわどるふたりのことをよろしくお願いします。
2018年6月、東京から大阪へ転勤となり、遠征の日々が始まりました…
と、長くなってきたのでこの辺にしたいと思います。
ここまで読んでくれた奇特な方はいらっしゃらないと思いますが、ほわどるとの思い出はまた別の機会にでも。
出会ってくれた方々本当にありがとうございました。
11月まで遊んでやってください(笑)
それではまた現場で。



























