NWAが管理してた王座は,NWA世界ヘビー級,NWA世界Jrヘビー級,NWA世界ライトヘビー級の3つのみだった。
本直轄はヘビー級のみで,Jrヘビー級はオクラホマのレロイ・マクガーク,ライトヘビー級はメキシコのサルバトール・ルッタロスが管理していた。
ライトヘビー級王座はアメリカで誕生し,ニューヨークでヒュー・ニコルズが初代王者となり4年後,レロイ・マクガークが王者となり3年間保持するがレッド・ベリーに奪われる。ちなみにマクガークは後年,NWA世界Jrヘビー級王者にもなり交通事故で失明して引退するまで11年間王座に就いていた功績からプロモーターとしてJrヘビー級王座の管理をNWA本部より委される。
1952年メキシコに遠征したアル・ケーシーがドリー・ディクソンに敗れ,王座はメキシコに定着し,ルッタロスが管理を委される。
1960年にゴリー・ゲレロが王座に就く。
ゴリーはメキシコ,アメリカを股にかけ防衛戦を行っていたが,ある時期からニューメキシコやテキサスのみで防衛戦を行うようになった事で,メキシコでレイ・メンドーサが王座に認定された為,NWA世界ライトヘビー級王者が2人になってしまう。
この状態は1975年まで続いたが,ルッタロスの"刺客"ディクソンにゴリーが敗れ,ディクソンがメキシコでメンドーサに敗れ,ゴリーの王座は封印される…
ちなみに1977年にゴリーの息子チャボ・ゲレロもメキシコからLAに遠征してきたアルフォンソ・ダンテスを破ってNWA世界ライトヘビー級王座を獲得している…