ぴあフィルムフェスティバルで大島渚賞を創設との記事がありました。大島渚といえばデビュー以来、差別や犯罪、社会問題を題材に問題作を作り続け松竹ヌーベルバーグの旗手として世界的に有名な映画監督でした。晩年がテレビタレントと闘病で映画監督としてのキャリアがほとんど無かったのが残念です。

今日はそんな大島渚監督の松竹ヌーベルバーグ時代のポスターです。

 

1959年「愛と希望の街」は27歳の時の監督デビュー作です。そして1960年公開の「青春残酷物語」で松竹ヌーベルバーグという言葉が生まれました。このポスターは海外セールス用のポスターで70年代のポスターだと思います。

1960年「太陽の墓場」は大阪のドヤ街を舞台にした人間ドラマです。右はこれも海外セールス用のポスターで主演の炎加世子が良い雰囲気です。

「青春残酷物語」と1960年公開「日本の夜と霧」の立看ポスターです。この「日本の夜と霧」が松竹に公開から4日間で打ち切りにされ大島渚が松竹を退社するきっかけとなりました。

スピードポスターです。立看とデザインが同じみたいです。