今日は仁義なき戦いでトップスターになった菅原文太の初期作品です。文太兄いは新東宝で映画界に入り新東宝の倒産後、松竹に移籍しました。しかし役に恵まれず昭和42年に東映に移籍する事になりました。そして移籍後の初主演作品が「現代やくざ」シリーズです。

 

昭和44年公開、記念すべき第一回主演作品「現代やくざ 与太者の掟」です。「現代やくざ 与太者仁義」は第2作です。監督は2作共に降旗康男です。

第3作「現代やくざ 盃返します」は監督が昭和残侠伝の佐伯清なのでオーソドックスな感じです。第4作は「現代やくざ 血桜三兄弟」です。監督は中島貞夫。

そしていよいよ深作欣二とコンビを組んだ第5作「現代やくざ 人斬り与太」です。この作品でバイオレンスが爆発しました。第6作は「現代やくざ」ではなく「人斬り与太」シリーズとなった「人斬り与太 狂犬三兄弟」です。これも深作欣二監督でこの作品の後、仁義なき戦いが誕生します。

現代やくざシリーズ第3作「与太者の復讐」となっていますがこの映画は調べてもありません。「盃返します」の初期タイトルポスターかと思いましたが町田京介は「盃返します」に出ていません。監督も降旗康男ではありません。謎のポスターです。

立看ポスターです。

「関東テキヤ一家」も昭和44年に「現代やくざ」と同じ年に製作された文太のシリーズです。このシリーズで後年「トラック野郎」を監督する鈴木則文とコンビを組みました。「喧嘩仁義」は第2作です。

第4作「喧嘩火祭り」と第5作で最終作の「浅草の代紋」です。