伯父が亡くなったため、告別式参列に伴い帰省。
肝不全が原因のようで、
まぁ酒飲みやったからなー。
お盆と正月に会うくらいの関係で、小さい頃はよく泣かされた
こたつの中に入ったら出口を塞がれて大泣きした記憶がある。私は完全に泣き虫の部類の人間。
泣かされてはいたけど、私が父母以外に心を開かな過ぎただけで、とても気の良い、でも変にこだわりの強い多才な、魅力的な人でした。
走れば400mで当時中学生の日本記録を出し(3日後に塗り替えられた)、教師としては校長まで務めあげ、歌もうまい(自分の歌が気に入らないと途中でマイク投げてた)。
結婚はせず、母(私にとっての祖母)との二人暮らしを続ける中での持病の肝硬変の悪化でした。
63歳やったかな。私は数字が覚えれない。
痴呆が進んでいる祖母には、息子の死は教えないことになっています。
知らない方が幸せなことって絶対あるよなぁ。
葬式中は、そこまで多くない盆正月の記憶を思い起こしながらお経を聞いていました。
この時は、あー、死んじゃったか。という気持ちであったと思います。
淡々と葬儀が進む中で、自分の感情以外をあまり意識することがなかったのですが、
伯父の姉にあたる私の母は、結婚して家を出るまで、兄弟として毎日を一緒に過ごした関係であり、絆の深さも思い出の数も、私とは比較にならないよな と当たり前のことが急に頭に浮かぶ。
葬儀中は母は取り乱すことなく、落ち着いていましたが、家で伯父の好きな曲の話になり、「あの人が好きな曲といったらカントリーガールやね」とのことやったんで、YouTubeでそれを流すと、涙を堪えられず枕に顔を埋めていました。
私には分からない沢山の想いが溢れたのだと思う。
言葉が適切ではないかもやけど、順当 とは言えない早い死ではあったから、無念な気持ちもあったのかも知れない。
私は基本的に、家族でも友達でも、
どこかで元気にしてるならそれでいいと思うので、積極的に会ったりはしないけど、
人間いつ終わりが来るかなんて分からへんよなー という当たり前の事実を肌で感じた時に、
それで良いのだろうか という気持ちが芽生えましたね。
別れは悲しいけど、
色んな記憶が溢れて、涙が出るほどの繋がりって財産やと思う。
これまでは祖父や祖母の葬儀ばかりで、
年齢的に仕方ないかな と皆結果を受け入れている雰囲気やったのですが、今回の伯父の死は自分の中で少し違って、母の涙も見る中で「なんでこんなに早く逝ってしまったんやろう」という思いから色んな感情が後になって湧き上がりました。
結局のところ、人間は致死率100%、遅いか早いかだけ と言ってしまえばそれまで。
やれるだけやって無理やったなら仕方ない。
でも子供が自立するまではなんとか生きていたいなぁと漠然とは思う。
無事生きられたとしても、あんま長生きしてもキリがないし、自分は70歳くらいで十分やなと思う。
でも親には長生きしてほしい。
なんか色々矛盾してるな
↓実家のわんちゃん
あまり懐いてくれない。
私はなつかない動物にはあまり愛着は湧かない
↓近所のわんちゃん
偽ドッペルゲンガー。
葬儀で出たお弁当やお菓子、最近解禁した寿司を食べ過ぎたのか、実家から帰宅後体調を崩した長男は、3時間ほど嘔吐を繰り返しグロッキー。
帰る前日夜に両目が明らかに腫れてて、
いくらの塩分とかで影響出てたんかも知れへんなぁ。
本人は自覚なく、小さくなった目のままはしゃいでいたけど、たまにしんどそうにしてた。
本当に可哀想なことをした。
嘔吐が治った流れて就寝させ、
翌日には完全復活。
寝れば大体治るんだと再確認。
復活後の長男と近所の公園へ。
季節ごとに飾り付けが変わるのですが、
今はひな祭り。
正月の兎を使い回していた。
今回は手抜きだな