前回のブログでは
父と私の回想から現在を綴りました
『もういない』
理解しているつもりでも
頭の片隅には、『ひょっこり帰ってくるのでは…』
実感がない部分があるのが正直な気持ち
同じように感じていたのは、うちの次女
年末に家族で少し遠出をした際に、おじいちゃんにキッズ携帯からメッセージを送っていました
「お土産買って帰るからね」
「今〇〇に来てるよ」
登録されている電話番号しか、やりとりができないので、気に留めていませんでした
しかし、来るはずのない返信が来ました
「番号が違うとおもいますよ。おかあさんから、おじいちゃんの新しい番号をきいてください」と
本人も、返信が来ると思っていなかったようで、慌てて携帯を見せに来ました
父が使っていた携帯番号を、新たな人が使っている
私も、父の携帯番号を消せずに残っています
実際に連絡するつもりはないけれど、なんとなく消せない
次女も、まだおじいちゃんは旅に出ている感覚なんだろうなぁ…
返信は来ないけど、気持ちが届くような気がしたのかな…
娘には、きちんと説明して番号を削除しました
その日の夜、次女は布団で静かに泣いていました
それでも、おじいちゃんとおばあちゃんの2人分のお土産を、自分のお小遣いで買っていました
別の日にも、おじいちゃんとおばあちゃんの2人分のお菓子を買っていました

まだまだ今でもおじいちゃん子

父の病状に変化があり、私が感じた
悲しみ、苛立ち、焦り
それらを強く感じた時期に、私の体は今も反応しているような気がする
もちろん、気の所為かもしれない
でも、そうではない気がする
特に、2年前の今は、父が最期の入院をする頃
【2年前】
仕事中に、母から父が救急車で病院に向かうと連絡が入る。
退院して間もないので、それだけ猶予がないと直感的に感じた。
すぐに早退させてもらい、病院に向かい、救急車の到着を外で待つ。
実家から病院までは救急車でも1時間はかかる。寒さに震えながら
意識はあるのか、話せる状態か
不安で不安で、気が緩むと崩れそうな気持ちを堪えながら待っていた。
救急車からストレッチャーで降りてきた父は、まだ会話はできるものの、かなり衰弱しているように見えた。
『もう退院できないかもしれない』
そう感じた。
ここ最近は、主治医からの病状説明は一切なかった。
抗がん剤で治療しているときも、抗がん剤ができないことが増えても、麻薬を使い始めても。
私の目には、不安になるくらいの猛スピードで父の病状が刻々と変化しているようにみえていた。
『思っているよりも何倍も早いスピードで進行している』
そう思い、受診の度に、毎回両親に主治医から、何と説明されているか確認していた。(コロナ対策で家族1人しか診察室に入れないため、父と母が主治医と対面していた)
しかし両親は「特に。良いも悪いも何も言われていない」と話していた。
でも、救急搬送された日に『もうここまで進行していることを本人と母が知らないのは後悔することになる。もう我慢の限界。』そう思い、
初めて対面した主治医に、最近の病状説明がないことを叱責、激怒。本人は自分の体のことを全て知りたいのに、今の病状を知らないこと。母も理解していないこと。
主治医は「昨年の10月に、再発転移がわかった時に、もう延命しかないと言いましたけど?」と。
そこから何ヶ月経ち、何度入院し、どれだけ痛み止めを変えて、体に管も入れたのか。昨年の10月から、どれだけ病状が変化したのか。それがどういうことなのか。残された時間が短くなっている病状説明をなぜしないのか。残された時間がどれほど家族にとって大切な時間であるか。心の準備は、時間をかけて、段階を踏んで説明しないと、すぐにできることではないのに…。
患者家族としても、同じ医療者としても、驚きと憤慨
『このまま主治医に任せてのんびりしていたら、(コロナ対策で)面会すらできないまま退院できなくなってしまう。父を私たちに返してもらう』
そう強く思い、急ピッチで退院に向けて準備をする。
「熱が下がったらすぐ退院させてください!次に熱が出たら、退院できなくなる」と病棟看護師に告げ
父と母の意向、父の体力、訪問医、訪問看護、福祉用具、諸々のことを含めて
どの選択がベストか。
どの選択肢が残っているのか。
気持ちが崩れそうになりながら
一人で泣きながら
それでも病院の看護師は「何で急いでいるんですか〜?どうして娘さんの家なんですか〜?」と。
『どうしてこれ程危機感にズレがあるのだろうか。私がおかしいのか?いや、検査データが無くても、私の危機感は絶対にあってる!後悔したくない!』
自分を奮い立たせて準備した。
結果、父は私の家で療養することになった
そして、退院2日後に高熱が出た
短期間の強烈な感情の波
今まで経験したことがない程の心の痛みが、今もまだ消化できずに刺さっているのか
それとも
私ができること
それは
『2年前のこの感情を、他の患者、家族にはさせないこと』
『もう他に、こんな思いをさせない看護を提供しなければ』
そういう教訓なのかもしれない
そうしないと、それこそ父に怒られるかな











