司法権の民主化の一つとして無事にスタートを切った裁判員制度に、水を差す事件がおきた。裁判員制度適用事件の弁護人が、裁判員制度での裁判が違憲だとの申し立てをしたとの報道がなされている。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090901-00000040-mai-soci

http://www.asahi.com/special/080201/TKY200909010190.html


裁判員制度は、一部ものたりないところもあるが、司法民主化の象徴として発展していってもらいたいと思っていた。もちろん、守旧派(あえていう)からの抵抗が予想されていたが、早速でてきた。


それにしても、この出方はちょっといただけない。


本来、弁護人は被告人の利益を守るべきものである。裁判員裁判そのものが被告人の利益を阻害するものだとの主張が、本当に被告人の利益を守るものなのか。むしろ、民主主義の観点からは、専門家だけによる裁判よりも憲法の理念に沿っているのは明らかである。

また、公開の法廷で裁判員に充分理解させるため、争点が簡明にわかりやすく説明され、裁判の公開の趣旨にも適する。


弁護人は、連続開廷による弁護権・防御権の制限を主張するらしいが、これは一般論で論じるだけでは足りず、具体的にどのように防御権が妨害されたかを立証する必要があるだろう。裁判長が弁護人の防御権を侵害しないよう訴訟指揮すればよいのである。



裁判員制度が、国民に義務をおしつけ幸福追求権に反してとの主張は、弁護人の立場でするべきではなく、裁判員の招集に応じず罰則を受けた裁判員候補者の代理人として主張すべきものであり、弁護人の立場を逸脱しているだろう。



実態はわからないが、対象事件がタクシー強盗であることに考えると、この弁護人は、本当に被告人の利益を考えて行ったわけではなく、自分の主義主張である裁判員制度の廃止に向ける活動のために、この事件を利用したとの不純な動機を感じてしまうのは私だけであろうか。



民主党が政権をとり、捜査の完全可視化が実現され、司法の民主化が進もうとするとき、弁護士の在り方がとわれるのではないか。