Papp Moji の誤ってる話
「わしはまだ死なん!現役バリバリじゃ!」
いくつになっても、精力は衰えたくないものです。
小学校の頃の将来の夢を語る作文で「将来の夢は、80歳で子供を作ること」
そんな夢を語ってくれる子供こそ、人類の希望と言えるのではないでしょうか。
こんばんわ、もじぱっぷです。
さて、冒頭で申し上げた台詞の中にある「わし」という一人称。「~じゃ」という接尾語。
これらは、一般的に「おじいさん言葉」少し難しく言えば「老人語」と呼ばれるもの、らしいです。
マンガに出てくるおじいさんなんかは、よく使いますよね。
ドラゴンボールの亀仙人。ハンター×ハンターのネテロ会長。RAVEのシバ。
数えればキリがないほど、マンガで出てくるおじいさん、特にバトルマンガに
出てくる老人は、だいたいこの言葉使いをしています。
でも、よく思い出してください。自分の祖父を。
こんな言葉、使ってましたか?
少なくとも、僕の祖父はこんな言葉使いはしてませんでした。
僕の祖父は一人称を「僕」といっていましたが、138歩譲って「わし」は
なんとなく想像つきます。
なんとなく、一人称って自分の立場とかで呼び方が変わってくるもので、
男は「僕、俺」女は「わたし」など(あくまで一例です)。
僕自身、文中では基本「僕」を使いますが、普段は「俺」です。
小さい頃は普段からも「僕」でしたが、年が経つにつれ「俺」になりました。
時期は不明です。なんとなく中学生あたりからでした。「僕」と言うことが、
心理的にイヤだったんでしょうね。
だから、おじいさんと呼ばれるような年齢まで「俺」と使うのは
恥ずかしくなり、「おじいさん=わしと呼ぶ」という先入観的に、
ステレオタイプ的に「わし」と言うようになったのかもしれません。
また、「わたし」が音便的に「た」が抜けて「わし」となったかもしれません。
「わたし⇒わぁし⇒わし」的な。
問題となるのは、「~じゃ」とか「~のう」とかの接尾語です。
なぜ、こんな接尾語が「おじいさん言葉」として世間に認知されているのか。
この言葉こそ、おじいさんが使っているところを見たことありません。
僕の祖父だって、もちろん、使っておりません。
なぜ、こんな言葉を使うのか。
おそらくこれを考えても答えがそうそう出てくるものではないと思います。
なので、ここで発想を逆転させて考えてみます。
つまり「おじいさん言葉を使うとしたら、どういう場合か」を
考えてみたいと思います。
「~じゃ」とか「~のう」とかの言葉。実は耳慣れないものではありません。
いえ、マンガとかでよく見るから、というものではございません。
僕の友人に、そういう言葉使いの人がいました。もちろん、同年代です。
厳密に言うと、もう少しだけ言い回しが違ったりするんですが、おおよそ同じ感じです。
それは、広島や岡山などの中国地方出身者がそうでした。
古くは「はだしのゲン」もそんな言葉使いをしていました。
「そうだし」を「そうじゃし」とか言ったり。
「~するしねぇ」を「~するしのう」とか言ったり。
と、いうことはですよ。
おじいさん言葉はここにルーツがあるんではないだろうか、ってことになるのです。
人は年齢を多く重ねると、ルーツに戻る。
生来的に、人体はそう設計されているのではなかろうか。
ルーツ、つまり日本人の起源は、中国地方にある。
そう言っても過言ではないのである。
ってことですよ、ってことは。
邪馬台国は中国地方にあったんだってことですよ!
これは、世紀の大発見じゃないですか!?
今の今まで、誰にも証明できなかったものが、この僕が証明したんです!
「おじいさん言葉」で以って!
やっべぇ、フンコーしてきた!!
今から文部科学省行って、この大発見を伝えてくんよ!
あれ? なんか結論を誤った気がする。
いくつになっても、精力は衰えたくないものです。
小学校の頃の将来の夢を語る作文で「将来の夢は、80歳で子供を作ること」
そんな夢を語ってくれる子供こそ、人類の希望と言えるのではないでしょうか。
こんばんわ、もじぱっぷです。
さて、冒頭で申し上げた台詞の中にある「わし」という一人称。「~じゃ」という接尾語。
これらは、一般的に「おじいさん言葉」少し難しく言えば「老人語」と呼ばれるもの、らしいです。
マンガに出てくるおじいさんなんかは、よく使いますよね。
ドラゴンボールの亀仙人。ハンター×ハンターのネテロ会長。RAVEのシバ。
数えればキリがないほど、マンガで出てくるおじいさん、特にバトルマンガに
出てくる老人は、だいたいこの言葉使いをしています。
でも、よく思い出してください。自分の祖父を。
こんな言葉、使ってましたか?
少なくとも、僕の祖父はこんな言葉使いはしてませんでした。
僕の祖父は一人称を「僕」といっていましたが、138歩譲って「わし」は
なんとなく想像つきます。
なんとなく、一人称って自分の立場とかで呼び方が変わってくるもので、
男は「僕、俺」女は「わたし」など(あくまで一例です)。
僕自身、文中では基本「僕」を使いますが、普段は「俺」です。
小さい頃は普段からも「僕」でしたが、年が経つにつれ「俺」になりました。
時期は不明です。なんとなく中学生あたりからでした。「僕」と言うことが、
心理的にイヤだったんでしょうね。
だから、おじいさんと呼ばれるような年齢まで「俺」と使うのは
恥ずかしくなり、「おじいさん=わしと呼ぶ」という先入観的に、
ステレオタイプ的に「わし」と言うようになったのかもしれません。
また、「わたし」が音便的に「た」が抜けて「わし」となったかもしれません。
「わたし⇒わぁし⇒わし」的な。
問題となるのは、「~じゃ」とか「~のう」とかの接尾語です。
なぜ、こんな接尾語が「おじいさん言葉」として世間に認知されているのか。
この言葉こそ、おじいさんが使っているところを見たことありません。
僕の祖父だって、もちろん、使っておりません。
なぜ、こんな言葉を使うのか。
おそらくこれを考えても答えがそうそう出てくるものではないと思います。
なので、ここで発想を逆転させて考えてみます。
つまり「おじいさん言葉を使うとしたら、どういう場合か」を
考えてみたいと思います。
「~じゃ」とか「~のう」とかの言葉。実は耳慣れないものではありません。
いえ、マンガとかでよく見るから、というものではございません。
僕の友人に、そういう言葉使いの人がいました。もちろん、同年代です。
厳密に言うと、もう少しだけ言い回しが違ったりするんですが、おおよそ同じ感じです。
それは、広島や岡山などの中国地方出身者がそうでした。
古くは「はだしのゲン」もそんな言葉使いをしていました。
「そうだし」を「そうじゃし」とか言ったり。
「~するしねぇ」を「~するしのう」とか言ったり。
と、いうことはですよ。
おじいさん言葉はここにルーツがあるんではないだろうか、ってことになるのです。
人は年齢を多く重ねると、ルーツに戻る。
生来的に、人体はそう設計されているのではなかろうか。
ルーツ、つまり日本人の起源は、中国地方にある。
そう言っても過言ではないのである。
ってことですよ、ってことは。
邪馬台国は中国地方にあったんだってことですよ!
これは、世紀の大発見じゃないですか!?
今の今まで、誰にも証明できなかったものが、この僕が証明したんです!
「おじいさん言葉」で以って!
やっべぇ、フンコーしてきた!!
今から文部科学省行って、この大発見を伝えてくんよ!
あれ? なんか結論を誤った気がする。