人食い鬼  ・・・一つ目の鬼伝承 | 出雲の八咫烏   出雲神話   古代出雲族

人食い鬼  ・・・一つ目の鬼伝承

大原郡(おおはらのこほり) 阿用郷(あよのさと) 郷名の条


   『 古老(ふるおきな)伝えて云えらく、「昔、或る人、此処なる山田に烟(けぶり)たてて守りき。

     爾時(そのとき)、目一つなる鬼来たりて、佃人之男(たつくるをのこ)を食(くら)ひき。

     爾時(そのとき)、男の父母、竹原の中に隠れて居りし時に、竹葉(たけは)動(あよ)けり。

     爾時(そのとき)、食(くら)はゆる男、「動々(あよあよ)」と云ひき」といへり。

     故(かれ)阿欲(あよ)と云ふ。[神亀三年、字を「阿用」と改(あらた)む。]  』

一つ目鬼 (原口智生氏作品)

「鬼」という存在を、文章に著わした日本で最も古い文献と言われるのが、この「出雲国風土記」にある「鬼」

です。


「一つ目の鬼」 ・・・ 一つ目は、この地方では後世、タタラ製鉄に携わる者・・「村下(むらげ)」にまつわる話によく登場します。


出雲王朝の権力を支えた「鉄」は、昭和の前半まで連綿と営まれ続けた主要産業で、「タタラ」という製鉄方式は刀剣の素材に不可欠の玉鋼を生み出します。


この作業は、何日も炉の火を絶やさず燃やし続けなければ成らず、「村下(むらげ)」と言われる従事者は不眠不休でこの作業にあたります。火を監視し続けるため、目の負担は大変で、負担を少しでも軽減するため、片目ずつ開けて監視していたといいます。・・・失明者も多く、一つ目鬼はここから来たとも云われます。


正確な云われは分かりませんが、鉄産業は農産業と公害などの面で相容れず、諍いがあったと推測されます。「八岐大蛇退治」神話もよく「タタラ」と農の戦いとも解釈される所以です。


鬼に食い殺されそうになりながらも、葉陰に隠れている両親が鬼に見つからないよう・・ガタガタ震えて葉が動くのを「危ない・・動いているからバレテシマウヨ」と必死に注意する様が表現されています。