今再びの「THE 備前」(振り返り企画その二)

2019年の3月の国立近代美術館工芸館を皮切りに、今年の5月24日の兵庫陶芸美術館まで、全国4か所を巡回した備前焼の展覧会「THE 備前」。

 

残念ながら、コロナショックにより、5月31日まで、兵庫陶芸美術館の臨時休館が決まったため、「THE 備前」も終焉。

いい展覧会だっただけに残念・・・。

 

と思い、兵庫陶芸美術館のHPを改めて閲覧してみると・・・。

 

開館可能な日から

7月26日(日)まで、会期延長

 

という、素晴らしいニュースが載っていた。

関西圏の皆さんの頑張りの成果である。

 

ほっこりしながら、スマホのフォルダを整理していたら、「THE 備前」(国立近代美術館工芸館)で撮影したものがザクザク出てきた(笑)。

そこで、以前のブログに引き続き、この展覧会を振り返り。

 

※前回のブログはこちら⇒https://ameblo.jp/izumiyahonpo3sei/entry-12591102877.html

※展覧会概要は、東京国立近代美術館HP

https://www.momat.go.jp/archives//cg/exhibition/thebizen2019/index.htm

https://www.momat.go.jp/cg/wp-content/uploads/sites/4/2019/01/Bizen_20180108.pdf

もしくは、兵庫陶芸美術館のHPhttps://www.mcart.jp/exhibition/e3104/を見てくださいネ。

 

島村光 「群雀」 2002

チュンチュン、チュンチュンって、聞こえてきそう。

癒される~温泉温泉温泉

羽の動きが一匹一匹違うから、「群れ」自体が「生きている」。

 

回転だニャー

島村光  「泡瓶 十二支・おくれてきたねこ」 2012~2018

カワイイだけじゃなく、頓智が効いてるでしょ!

 

ちなみに中国や日本などの干支では、ネコは干支に入っていないが、タイなどでは干支にネコが入っている。

 

古代の中国では、虎のほうが、猫より先に出現し、しかも龍などともに虎は神格化された動物になったから、干支に入っているそうだ。

古代中国では、虎の方がメジャーで、スタァなのね。

 

タイでは、猫はコメにとっての害獣であるネズミをとる益獣として存在として大切にされてきたので十二支に入ったそうだ。

 

ワタシ偏屈堂が子供の頃に読んだ「お話」で、日本の神様が十二支を決めるため、12番目までの先着順に神様の下に集まった動物たちにその位を与えることにしたそうな。

そして、集合日時を、ネズミが一日遅らせてネコに伝えた(ネズミがネコをダマした)から、ネコは十二支に入れず、ネコはネズミの天敵になったというそうな。

この作品をみたとき、そのようなことが頭の中をよぎった。

 

島村光 「貌」 2018

 

島村光  「午」 2018

上二つの作品は、「花や葉が出る前のモジャモジャした藤の枝」のように入り組んでいる細工部分に眼がいっちゃった(笑)。

どうなっているんだろう。鎖みたいに、モジャモジャした部分は、じゃらじゃら動くのだろうか。

どうやって作っているだろうか。そのことばかり思いながら、見てましたね。

 

島村光  「大割木香炉」 2012

見た瞬間、「なんじゃ、こりゃ」(笑)。「なんで、割り木?」(笑)。

 

そのあと、キャプション(タイトルと概要)を見た。

香炉か・・・。そのあと、またしげしげと見た。

このアングルでは写せなかったけど、小さな蓋があった。ここに「香」を入れるのね・・・。

そう思ったら、床の間の飾り畳の上に据えられている、香炉が浮かんできた。

存在感でお客さんを驚かせ、香りを主客ともに楽しむ・・・。

なるほどね!・・・。

 

森陶岳  「砂壺」 1970 東京国立近代美術館蔵

 

森陶岳  「彩紋土器」 1971 京都国立近代美術館蔵

 

森陶岳 「丸紋壺」 1973 茨城県陶芸美術館蔵

森陶岳さんの名前を、ワタシ偏屈堂が知ったのは、NHK・BSプレミアム「奇跡の色 備前・森陶岳 巨大窯に挑む」の再放送をみたときでありました。

ちょうど、「THE 備前」の展覧会にあわせての再放送だったので、森陶岳さんの名前と作品が、ワタシ偏屈堂の脳ミソにも、インプットされたのである。

 

前人未踏といわれる「寒風新大窯」(全長85メートル・幅6メートル・高さ3メートル)の築窯に臨む様子や、そこで作られる巨大な壺が出来上がるまでのドキュメンタリー。

画面越しでも、そのスケールの大きさ、その作品の雄渾さが伝わってくる。

 

さすがに、この大窯で作られるような、ヒトの背丈ほどある作品は今回の展示ではありませんでしたが、この展覧会でも、ズシッとした「古格」が伝わる作品を見ることができました。

 

森陶岳 「三耳壺」 2015

門外漢のワタシ偏屈堂が言うのも変ですが、この壺を見た時に思い付いた言葉が二つ。「古典回帰」と「”土器”からの流れ」というか・・・。

何か懐かしい感じというか、縄文や弥生の土器から続く何か・・・命脈を保って今ここに至るという不思議な風が心に吹いたことを思い出す。

 

 

森陶岳 「棒の先水指」 2015 

ワタシ偏屈堂の今一番ハマっている作陶の一つが、「フリーカップ」というか「ぐい吞み」づくり。

 

「フリーカップづくり」で、多分、普段は意識してないけど、改めて今回振り替えてみると、何となく意識している器のような気がする・・・。

 

この器が持つ、「質朴なのだけれど、それが味になっていて、適度に荒々しさ・粗々しさも残しながら、イイ感じに削ぎ落した感じ」にあこがれている。

 

削ぎ落しすぎても、スタイリッシュすぎても、温かみが消えてしまう。と個人的には思っている。機能美だけ追求していると、100円ショップの品物みたいになりそうで。

(半分は、いや七分は、スタイリッシュなものが作れない言い訳です・・・。盗人にも三分の利と言いますから、お許しくださいませ・・・)

 

森陶岳 「擂鉢」 2015 

「擂鉢」だけど、ちょっとした「つまみ」か「菓子」を入れたいな。

 

森陶岳 「花入」 2015

 

森陶岳 「茶垸」 2011

 

森陶岳 「茶入」 1999

 

「花入」、「茶垸」、「茶入れ」。お茶道具である。

「花入」は、仏間でも、床の間で、花を活けるにはいいかな。

 

ワタシ偏屈堂宅の仏間にも、この花入れによく似た花入れがある。

モダンボーイの祖父が趣味人だったから、よく似たバッタものを古道具屋とか蚤の市で買って買ってきてからね。

 

大広間より、四畳半か六畳間の密なスペースの方がより、ハマるかな。

この大らかな剽げ方は、桃山の風かな。

そんなことを思いながら見てましたね。

 

伊勢崎淳 「壺」 2001

シブイ。

掻きベラでつけたライン、独特の色気があるなぁ。

 

伊勢崎淳 「蕪徳利」 2001

緋襷の掛かり具合、窯変の具合、色気がありますなぁ。

 

伊勢崎淳 「一重口水指」 2001 ※ 塗蓋 山口松太

いい鉄色してますねぇ~。

「くびれ」方が剽げているというか、愛嬌があるというか。

味があるなぁ。

 

伊勢崎淳 「茶盌」 2016

シブイ黒。シブ黒。

掻きベラの痕も、いい景色。

 

伊勢崎淳 「神々の器」 2016

円と緋襷の具合が、ワタシ偏屈堂には、「宇宙」というか、それをぜんぶひっくるめた「生命」を感じさせる。

雄大な器である。

 

金重晃介 「耳付水指」 2016

干し柿のような(笑)の形が何とも言えない愛嬌がある。

歪み具合もいい味わい。

 

金重晃介 「緋襷茶碗」 2016

緋襷というより、全体的に上品に緋色が掛かり、端正な形だけに人工的な冷たさが出ちゃうところを、成形の時の指の痕により温かみを感じさせる。

「上品・端正・温かみ」・・・なんともハンサムな一品。

 

金重晃介 「花器」 2010

この形どこかでみたことがある・・・・・・、

あっ、井の頭の池から流れるドブ川にいるザリガニだ!

こどもの頃だから40年近く前になるけど、タコ糸にスルメイカ🦑つけて釣り上げ、バケツ一杯にして家に持って帰ってたから、御母堂様嫌がってたなぁ。

でも、よいこのみんなは、井の頭公園でザリガニ獲ったりしないでね(笑)。

多分禁止だと思うから。

あと「ドブ川」じゃないですね。神田上水またの名を神田川でしたね。

 

前の「緋襷茶碗」と同じ人が作ったとは一見思えないけど、成形自体は「端正」なんだよね。

 

金重晃介 「聖衣」 1994 岡山県立美術館

むぅ・・・。物凄い「超絶技巧」。

衣が折り重なって垂れる様のリアリズムが、何とも言えないムードを醸し出している。

何とも言えないムード・・・神々しさ・・・。

なるほど「聖衣」なのね。

 

金重晃介 「備前花器 海から」 1999 東京国立近代美術館

 

金重晃介 「誕生(王妃)」 2000 

 

この前二つの作品は、抽象的

ワタシ偏屈堂は、こういうものは、ちょっと苦手。

 

初見は、キャプション(タイトル・解説文)は読まないから、第一印象は「鉄のオブジェ」として捉えた。

それも、海底に長年沈みこみ、錆び朽ち果てた鉄器として引き上げられたものという想像が湧いてきたのだ。

もちろん事実としては、金重晃介さんが作りしものだが、ワタシ偏屈堂の心象としては「自然が、金重晃介さんの手を借りて、生み出されしもの」として捉えたのだ。

 

隠崎隆一 「混淆陶箱」 2016 

隠崎さんの「混淆シリーズ」の魅力満載の作品。

もちろん隠崎さんが作ったものなのだけれども、「大地と炎がそのままカタチとなって現れた」ような力強さを感じるのである。

 

隠崎隆一 「混淆広口花器」 2012

「カタチのシャープさ」と「土そのままザラツキ感」のバランスが非常に魅力的な作品。

洒落てるなぁ~。

この作品が強く印象に残っていたので、去年(2019)の晩秋に日本橋三越で開催された「日本伝統工芸展」で「備前広口花器」を見た時に、すぐ隠崎さんの作品だとわかりました。

「備前広口花器」(隠崎隆一 作)https://www.nihonkogeikai.or.jp/works/126/102382/日本伝統工芸展(本展)HP

 

隠崎隆一 「混淆白泥壺」 2016

口周りのシャープな仕上げで、胴回りのザラザラした仕上げがより際立つ。

備前焼だとあまり「灰白」というイメージがないので、不思議な感じ。月の土の色みたい。

 

矢部俊一 「光風」 2017

 

矢部俊一 「光風」 2017

これも「光風」。

なんだか、矢じりみたい。矢・矢・矢・・・・光陰矢の如し・・・ん。光陰・光陰・・・、光か・・・。

それで光風!?

 

矢部俊一 「月山」 2012

 

矢部俊一 「縁樹」 2016

 

矢部俊一 「草吹」 2015

 

同じことを二度言うってと風邪を引くって言うからね・・・。

でも、言いちゃいます!

ワタシ偏屈堂は、こういう「抽象」「オブジェ」っていうのがよくわからない。

特に「キャプションに書いてあるタイトルと解説」と「ワタシ偏屈堂の直観から湧いてくる印象・認知」とズレがあると、何とも言えないもどかしさ・脳ミソが身悶えする感じがある。

 

ただ「直観」に随えば、「味のある形」、「鉄錆感がタマラナイ」。

「名前」から引っ張られる認知はひとまず置いておいて、「丸ごと受け容れて、丸ごと味わうこと」も時に大事なのだ。

 

矢部俊一 「暁月」 2015

皆既月食の月のよう。「赤い月」というか「赤銅色の月」。

神秘的な緋襷。

 

伊勢崎創 「緋襷茶碗」 2018

不定形な口周りとほんのりと緋襷、掻きべらの痕。

絶妙にバランスが取れていて、カッコいい。

 

伊勢崎創 「扁壺」 2007

むぅ・・・、カッコいいなぁ~。

どうやったら、カッコよく作ることができるのだろうか・・・。

このようなものをつくってみたい。

 

伊勢崎創 「三角扁壺」 2016

むぅ、むぅ、これまたカッコいいなぁ~。

オブジェでもいいし、床の間の的でもいいし、花入でもいい。

欲しいなぁ・・・。

でも、買えないから、いっそ自分の手で作ってみるか。

いつになるか、知らんけど(苦笑)。まったくコワいもの知らずだなぁ。まったく無知は強いね。

ワタシ偏屈堂の好みの基準は、使っているところや置いた時に「絵」になることにあるようですね。今ブログ書いていて気づきました(笑)。

 

伊勢崎創 「緋襷四方花入」 2017

むぅ、むぅ、むぅ・・・、シビレちゃう。かっちょいい~。

カッコいい不定形の四角形に、絶妙な緋襷。

絵になるよねぇ。

もし、自分が持っていたら、さりげなく客人を誘導して、客人から褒めてもらうように仕向けるね(笑)。

 

金重有邦 「伊部茶入」 2003 グレンバラ美術館

金重有邦さんの作品を見た時に、「THE CLASSIC」という言葉が浮かんだのを覚えている。

今回の展覧会のルールで、桃山期の「古備前」の器や、近代の作家さんたちが取り組んできた「古備前の復興」を目指した作品は撮影不可だったので、詳しくは兵庫陶芸美術館のHPを当たってほしい(https://www.mcart.jp/exhibition/e3104/)。

金重有邦さんの作品には、先人から踏襲してきたものを強く感じる。

この茶入だって桃山期の大名屋敷跡を掘ったら出てきそうだもの。

 

金重有邦 「伊部茶入」 2016 グレンバラ美術館

この古色・・・。シブイ。

 

金重有邦 「伊部茶碗」 2012 グレンバラ美術館

なんと王道な抹茶茶碗。

こういう「王道」なものを、いつか自分でも作ってみたい。

 

金重有邦 「伊部茶碗」 2014 グレンバラ美術館

全面「緋襷」!

この茶碗も、桃山期の大名屋敷跡を掘ったら出てきそう。

この古色はどうやったらでんるのだろう。

 

金重有邦 「伊部茶碗」 2014 

口の歪み具合に、何とも言えない「味」がある。

茶褐色具合や礫のはじけ具合も。

 

金重有邦 「伊部耳付花入」 2016 グレンバラ美術館

この黒味は、どのような花を活けても、その魅力を引き出しそう。

 

金重有邦 「伊部水指」 2018 

土に含まれている鉄の色が、ワタシ偏屈堂を桃山時代の茶室にいざなってくれる。

 

伊勢崎晃一朗 「人鳥」 2017

 

伊勢崎晃一朗 「人鳥」 2018

 

「人鳥」を辞書引きしてみたら、「ペンギン」のことだそうだ。

初見のときは、キャプションを見ない。

タイトルを見ないでいるときでも、「背中の曲がり具合」が鶴とか鷺の羽が生えているところに見えたので「鳥」かなとは思ったけど。

まさかペンギンとは(笑)。

そう言われてみると、雪原をよちよち、ペンギンの親子が海に向かって行進しているように見えてくる。

 

伊勢崎晃一朗 「畝壺」 2017

球体に、リズミカルに直線の「畝(うね)」が入っている。

 

都市近郊の畑だと視覚にさまざまなものが入るので感じにくいけど、農村地帯の広大な畑に規則的に畝が無数作られ、野菜などが豊かに実る光景を見ると、それだけでも感動したり、美しいと思う。

 

そういった人多いんじゃないかな。富良野、十勝などは、畑の風景を愛でる気持ちがあるから、あれだけの観光地になる。

きっと私たちのDNAレベルの記憶を揺さぶるのでしょうね。

 

この壺をみたときにそんなことを感じた。

 

伊勢崎晃一朗 「黒削水指」 2018 ※ 塗蓋 榎本勝彦

不定形なものでも、ひとつの形に治める。憧れちゃう。

 

伊勢崎晃一朗 「茶盌」 2018 

キメの粗々しさが、手や口の触感で大地を感じさせる(のでしょう・・・実際に手に取ったりできないから)。

その感覚が、ワタシ偏屈堂の中の記憶を揺さぶる。

 

伊勢崎晃一朗 「打文花器」 2018

赤と黒のせめぎ合い。

火の力による陶土の中の鉄分などの変化(へんげ)。

備前焼特有の「原始力」を感じさせる一品。

 

<完>

追記:5月中旬より、ワタシ偏屈堂の「作陶」も、ゆるゆると再開しました。

詳しくはこちらまで⇒https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12598994236