<本編>

7/14(日)

箱根仙石原のポーラ美術館で開催中の「ポーラ美術館×ひろしま美術館 印象派、記憶への旅」の感想記です。

 

【開催概要】

第1会場 ポーラ美術館 

会  期: 2019年3月23日(土)~ 7月28日(日)※会期中無休

時  間: 9:00 ~ 17:00(最終入館は16:30)

詳細は、ポーラ美術館HPを確認願います。https://www.polamuseum.or.jp/sp/ilm/

 

第2会場 ひろしま美術館

会  期: 2019年8月10日(土)~10月27日(日) ※会期中無休
時  間: 9:00 ~ 17:00(最終入館は16:30) 金曜は~19:00(最終入館は18:30) 

詳細は、ひろしま美術館HPを確認願います。https://hiroshima-museum.jp/special/detail/201908_PolaandHiroshima.html

 

主  催: 公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館、公益財団法人ひろしま美術館

 

ワタシ偏屈堂は、印象派絵画によって、「美術道楽」になった。

道楽者なりのポイントなり、感想などなどを書き連ねまする~。

 

クロード・モネ

西洋画家では一番好きな画家。

モネの全盛期の睡蓮と風景画、それと最晩年のオランジェリー美術館の睡蓮は、光と風と温度まで感じさせる「動画」だと思う。

もちろん、今回の出品作にもそれが感じられる。

 

睡蓮の池 1899 ポーラ美術館

睡蓮 1907 ポーラ美術館

 

睡蓮シリーズの中でも、この二つのタイプがワタシ偏屈堂の好み。

池の水面の映り込みで、光の移ろい、水の微細な流れ、気の流れを目だけなく肌で感じる。

筆致(タッチ)のさじ加減と絵具のチョイスだけで、そのことを表現できてしまうのが、モネの凄さ。

 

ジベルニーの積みわら 1884 ポーラ美術館

 

初夏の微風が吹き、日差しの強さ、上空の風の強さと雲の流れ、カラッとした空の高さ

草いきれする芝の匂いを感じさせる。

素朴な感動がある。

モネの絵画は、一旦数メートル距離を取ってみると、動画感を感じられるポイントがある。

それが見つかると感動が更に増す。

その後で、近づいてみると様々な色を使って、私たちの視線を動かして絵が完成する。そのことに気づくと感動というか凄さがわかる。

 

セーヌ川の朝 1897 ひろしま美術館

 

国会議事堂 バラ色のシンフォニー 1900 ポーラ美術館

 

二枚とも朝霧が立ち込める様。むぅわぁとした臨場感を感じる。

この大気感、湿気で光が屈折している・・・

学生の頃、ロンドンの国会議事堂をテムズ河畔越しに見たことあるけど、この絵をそのとき知ってたら絶対夜明けに行ってたなぁ。

 

セーヌ川の日没 冬  1880  ポーラ美術館

 

この絵の二つ前の「セーヌ河の朝」(ひろしま美術館)と比べると、澄んだ空気が頬をピーンと冷たく刺す。おぉっ、寒っ!

 

エトルタの夕焼け 1885 ポーラ美術館

静かに静かに波が寄せては返す。この動きはモネならでは。

潮騒が聞こえてきそうな名画。

 

ピエール・オーギュスト・ルノワール

女性とドレスを好み

ちょっとロリ入って、ぽっちゃり大好き。晩年はボッテリ好き。

晩年になればなるほど、オレンジを好む。

ルノワールは、無邪気に貪欲に「女性」×「温かい」=「幸福」を追求した画家だと思う。

 

レースの帽子の少女 1891 ポーラ美術館

 

髪飾り 1888 ポーラ美術館

 

ルノワールは、絹のドレスを描く上手い。

絹のドレスそのものが好きなのだろう。

今の言葉でいうと、衣擦れによる光の変化ヘェチだ。

絹のドレスは、着ている女性の体形や動き(しぐさ)で、シワが寄ったり、生地が引っ張られたりすることで、光の当たり方が変わる(プリズム効果)ことで、様々な光沢が生じる。

それを再現する彼にとってのアプローチが「印象派」の手法(筆触分割)なのだろう。

 

水浴の女 1887 ポーラ美術館

 

ロリでちょいぽちゃで、垢抜けないけど可愛らしい。

モデルは、ルノワールの奥さんになるアリーヌ・シャリゴ。

前半の彼の画業のミューズである。

この絵を覚えておいて、彼の後半生のヌードの描き方がどのように進化(深化⁉)するか

見比べると面白いかもしれませんよ⁉

 

背景の描き方も前半生と後半生で変わってくるので、そこも見どころ。

 

水浴の後 1915 ポーラ美術館

 

休息 1916-1917 ポーラ美術館

 

パリスの審判 1913-1914頃 ひろしま美術館

 

ぶよよん~

ルノワールの後半生のヌード3枚。

ロリは変わってないけど、よりぼってり感が増している(笑)。

肌の色も赤っぽいオレンジで、血が通った体温の高さを感じる。

後半生は、持病のリューマチの療養を兼ねて南仏のカーニュに住んでいたから、背景の色も赤っぽいオレンジなど、温かい色調で描いている。

地中海沿岸での明るい陽射しのもとで、絵を描くと額縁の中も温かくなるようだ。

カーニュの風景 1905 ポーラ美術館

 

アルフレッド・シスレー と カミーユ・ピサロ

この二人の風景画は、印象派らしい印象派。

 

でも、モネの風景画の陰に、二人の絵画は隠れてしまう。

 

ワタシ偏屈堂は思うのだ、この二人はモネより「絵が上手い」

丁寧に作り込んでいる。画面は明るい。静か。

丁寧な分だけ、「動き」が少ないように感じる。観ている側の眼の動き・反応が穏やかになるからかな。

 

シスレーとピサロは「静止画」としての美しさ。

モネは、タッチの「粗さ」から生み出される「動画感」

 

多分、この違いが、印象派というジャンルを超えた絵画界のスーパースターになったモネ。

印象派の中の名手であるシスレーとピサロ。

 

ワタシ偏屈堂の中では、3人の優劣はないが、世間での存在感の違いになったのかなと思う。

 

<アルフレッド・シスレー>

サン=マメスのロワン河 1885 ポーラ美術館

 

サン=マメス 1885 ひろしま美術館

 

ロワン河畔 朝  1891  ポーラ美術館

 

シスレーの絵は、落ち着いた気持ちにさせてくれる。

穏やかなので、寝室に欲しい~。

買えないけどニコニコ

 

<カミーユ・ピサロ>

印象派の長老・まとめ役としても知られる。時々、後輩画家の影響を受けて画風が変わるのもお人柄。いいと思うものは受け入れる。でも、また従来の画風に戻ってきてますね。

 

エヌリー街道の眺め 1879 ポーラ美術館

 

エラニ-の村の入り口 1884 ポーラ美術館

 

エラニ-の花咲く梨の木、朝 1886 ポーラ美術館

 

スーラやシニヤックの「点描画」も認めて、ピサロ自身もやってみた時期の作品。

もともと、ピサロのタッチ自体は「丁寧」だから、点描を取り入れてもいけると思ったんだろうね。でも、より綺麗な仕上がりにはなっているけど、臨場感は薄れているかな・・・。

だから、点描はやめちゃったのかな。

 

水浴する女たち 1896 ひろしま美術館

 

三角形の安定した女性たち、爽やかな緑と川。

まじめ~と言ってやりたくなる。

ピサロが後輩として面倒をみたセザンヌも「水浴する女性」のシリーズを描いているけど、ワタシ偏屈堂はこっちのほうが断然好き。

セザンヌは露骨に三角形に拘った絵になっているが、こちらの方が自然なんだよね

(もちろん、自然に見せるように計算しつくしているんだけど、「巧まずに」みせているのが「芸」として上なのよ)。

でも、お人柄なんですよね。自然で穏やか。

 

ポン=ヌフ 1902 ひろしま美術館

 

晩年、目を傷めた画家が、直射日光を浴びないよう、ホテルの中から定点観察で、ポン=ヌフ橋とパリの街を描いた作品の一つ。

ピサロらしい落ち着きがある作品

 

エドガー・ドガ

ドガの描く、「踊り子」はやっぱりパステル。

パステルだと、踊っているときのシュシュ(バレー衣装)のフリルやギャザーの動きが軽く・薄く・そして光の反射の柔らかさが画面から伝わってくる。

油絵でも「踊り子」は数多く描かれているが、油絵だと軽やかさや薄さなどがパステルにくらべるとどうしても劣る。

国内での展覧会では、パステルの踊り子はなかなかお目に掛かれない。

だから、今回はいい機会ですよ。

休息する二人の踊り子 1900~1905 ポーラ美術館

 

踊りの稽古場 1884頃 ポーラ美術館

 

マント家の人々 1879~1880頃 ポーラ美術館

 

フィンセント・ファン・ゴッホ

ゴッホの凄さは、南仏のアルルと、そして終焉の地・オーヴェール=シュル=オワーズで過した2年間で、一生分の大仕事をやってのけたことだ。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》 1888年

ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋 1888 ポーラ美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/files_mf_collection/cache/th_d8399901d709490dbf8a92fe7c7970ba_0000320001.jpg

 

岡本太郎風に言うならば、「明るさが爆発だ!」

ゴッホの絵の中では珍しく、陰というか哀しみを感じさせない。

無邪気なくらいに明るい。

 

ゴッホの筆触分割は、モネなどの他の印象派の画家とは少しだけ異なる。

一筆一筆のストロークが長い。

精神的に安定しているときは、そのストロークが短い棒のようにほぼ真っすぐ。

精神的に参っている・追い詰められているときは、ストロークがぐにゃぐにゃうねり、ぐりぐり渦巻があらわれる。

顔つきから見てクセが強そうだから、気合が入り過ぎて、筆圧が高くなっているんだろうね。

いるかな。

でも、その気迫とか哀しみとかに強く惹かれてしまうんだなぁ。

 

アザミの花 1990 ポーラ美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/03/gogh_00.jpg

 

何というのかな・・・。

悲しみと哀しみの青緑(ブルー)。

ぐにゃぐにゃとした枝葉

ぐりぐりと渦巻く花瓶

どうも、ゴッホの絵を見ると、ゴッホの書簡集などから生まれた数々のゴッホ伝説に引っ張られてみてしまう。

でも、それも含めてゴッホの凄さ。

 

ポール・ゴーガン

この人は、田舎に神宿ると思っていたんでしょう。

その神の世界を描きたかったのだろう。

でも、19世紀末の近代人だから、露骨に神様やキリストは描けない。

もしかしたら確立されたヨーロッパ・キリスト教世界のあり様に疑問を持っていたのかもしれない。

彼が未開の地として選んだのが、キリスト教が布教する前からヨーロッパの古民族・ケルト人の住むブルターニュ地方、そしてポリネシアのタヒチ島であったことから察せられる。

ゴーガンは画業の最初の頃は、印象派のような描き方をしていたけど、段々と「原色のシート」を組み合わせる変わってくる。

心の中の風景と、現実の彼が見ているブルターニュやタヒチの「神宿る」田舎がミックスされているのが彼の風景画だと思う。

ボア・ダムールの水車小屋の水浴 1886 ひろしま美術館

 

ポン=タヴェンの木陰の母と子 1886 ポーラ美術館

 

フランスに居た頃のゴーガンは、先ほどの「水浴をする女たち」のようなピサロの影響を強く受けている。会場でピサロの絵画と見比べてみると面白いですよ。

 

小屋の前の犬、タヒチ 1892 ポーラ美術館

 

タヒチに行ってからは、単純だが鮮やかな色使い、そして平べったい画面。

たぶん、強烈な日差し、熱帯雨林、木造の単純な構造の家、ポリネシア系の平べったい顔・・・。

きっと違うことだらけで、開放されちゃったんだろうね。

 

ジョルジュ・スーラ

筆触分割を、科学的なアプローチで、細かい点々(ドット)にまでにした「点描画法」をとことん突き詰めた人

この点々さ加減半端じゃない。

スーラの「点描画法」(ポスト印象主義)とは、絵筆で膨大な色のドットを積み重ねることで、ブラウン管のカラーテレビやデジタルな現代のテレビの極小の四角い画素の集積と同じことやっちゃったんだから、そりゃ早死にするわな(こんなこと書いたら、怒られちゃうかな)。

デジタルテレビではないが、彼の画の特徴は「色鮮やかな静止画」。リモコンで一時停止したデジタルテレビ画像とそっくりだ。

色彩は、アナログから4K・8Kテレビ並みの鮮やかな変革だが、モネが極めた動画感やアナログな感動というものは失われた。

とワタシ偏屈堂は思うのだ。

スーラらが第8回印象派展に出品したときに、モネやルノワールが(彼らの絵画は)「あんなのは絵じゃない」といって、印象派展から撤退した気持ちはなんとなく理解できる。

村はずれ 1883 ひろしま美術館

まだスーラが後に開花させる「点描画」より前の画法で描かれる。

よく印象派風と言われるけど、「つぶつぶ」のタッチで描かれていて、次の絵のような「ドット」に移行していく過渡期の絵という感じがする一枚。

 

グランカンの干潮 1885 ポーラ美術館

 

これぞ、スーラという作品。

見事な点描。気が遠くなる作業。

点描ならでは明るさ。

確かに綺麗というか鮮やか。

多分スーラのファンの方は、大満足という作品。

 

でも、デジタルテレビの一時静止画面のようでもある。

絵って難しいね。

 

ポール・シニャック

点描画法(ポスト印象主義)を、スーラとともに推し進めた人物。

盟友のスーラと同じくドットを集積した画を作っていたが、スーラが早死にしたから、このまま点描を続けるか考えたんだろうね。

 

ドットを大きくして長方形のブロックのマス目を積み重ねる画法に変えて、見たものの印象や感動を再現するのではなく、モザイク画みたいな画風にかわる。

 

シニャックの絵がきれいだなと思う感覚は、いいステンドグラスを見た時の感覚と似ていると感じるのである。

 

シニャック風の「モザイク画」を頭にいれておくと、

安定感のあるときのゴッホの「色のブロック」(ストロークが点ではなく、短い線)の積み重ね画法にも影響を与えたというのもうなずける。

次の世代のフォービズムの画家のブラマンクやルオーたちがかなり影響を受けていることがわかると思う(簡単に言うと、そのマス目描き、パクリやんと思わず口にでそう)。

ポルトリュー、グールヴロ 1888 ひろしま美術館

 

このころのシニャックは、スーラ風のバリバリの点描画。

ただ、スーラと違うのは、「陰」の描き方かな

陰があることで、陽が当たっているところが活きている。

 

オーセールの橋 1902  ポーラ美術館

 

パリ、ポン=ヌフ 1931 ひろしま美術館

 

「オーセールの橋」、「パリ、ポン=ヌフ」は、シニャックらしい作品。

色の長方形のブロックの組み合わせで作っている。

美しいモザイクタイルやステンドグラスみたいに幻想的。

 

スーラより、シニヤックのほうがワタシ偏屈堂は好きだ。

 

幼稚園の卒園制作で、色とりどりの紙粘土をモザイクタイルみたいな小さなかけらを作って張り合わせた記憶がかすかにあるからかもしれない。

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

ワタシ偏屈堂は、今みたいな美術道楽になる前から、ロートレックのファンである。

26年前、大阪・天保山の海遊館で、ジンベイザメをみたあと、ふらっと入ったサントリー美術館でやっていたロートレック展でみたのが最初。

 

そのときに、かっちょいい~と思い、それ以来、熱が続いている。

やぁ~、四半世紀過ぎちゃった。まだサントリーが六本木に移転する前だもん。時の経つのははやいなぁ~。

 

線描きのカッコよさ、色彩のセンス、黒と独特の赤(朱)が効いている。女性のS字ライン・・・。

ただただカッコいい

 

アリスティド・ブリュアン 1893 ひろしま美術館

 

ムーラン・ド・ラ・ガレットにて 1891頃 ポーラ美術館

 

ポール・セザンヌ

ワタシ偏屈堂のセザンヌの印象は、

 

・・・セザンヌファン、真面目な美術ファンの皆さん怒んないでね・・・

 

「下手さ加減で20世紀絵画の道を拓いちゃった人」、

「ちゃんとした写実が下手っぴだから、●・▲・■になんでも集約しちゃう人」

「印象派になりきれない頭でっかちさが、逆に新しいと言われちゃった人」

 

別に、ディスっているわけではない・・・けど、保守的な価値観から言うとディスってるかな。

ただ19世紀末から20世紀初頭という時代が、彼の晩年には合っていたと思う。

絵画は単なる「写実」で勝負する時代ではなくなっていたから。

フィルムの白黒写真が出てきた時代だからね。

 

印象派は個々の眼で見て感じたこと、色彩の鮮やかさを、

象徴主義は、過去の神話や聖書の物語などに仮託しながらも、人の心の闇を

描く時代になってきたから。

 

セザンヌも、サロン(新古典主義)の画家や、印象派の画家から、酷評されて、パリから離れ、故郷のエクサンプロヴァンスに引きこもり、とことん色彩とモノのカタチにこだわったから、大成したんだと思う。

 

まさに引きこもりも一念をもって何かを成し遂げれば、万が一の確立だが、世間、それも若い人(当時のピカソら)から認められる。

今で言ったら、長年芽が出なかったジジイのユーチューバーが

、晩年になって若い人の感性にあって認められたみたいな存在みたいなのかな。

 

でも、ワタシ偏屈堂は、セザンヌの下手さ加減も含めて、色彩感覚やカタチをつくっちゃうパワーには、ほとほと感服し、好きですよ。

別にフォローじゃないですが。

画は、キュビスムをはじめとする20世紀絵画に大きな影響を与え、ひとつの大きな流れとなりました。

 

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ジャ・ド・ブファンの木立 1871年頃 ひろしま美術館(コクヨ株式会社寄託)

画像は、ひろしま美術館HPから引用https://hiroshima-museum.jp/collection/eu/images/cezanne_jadobufan_web2.jpg

 

このころの作品は「印象派」もどき。

なるほど、ピサロ以外の印象派の画家から、酷評されるわけだわ。

と思うと同時に、平面感覚と●・▲・■に集約したがる彼の癖も出てるかな。

でも、色彩感覚はイイ、素晴らしい。

 

 

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曲がった木 1888-90年 ひろしま美術館

画像は、ひろしま美術館HPから引用https://hiroshima-museum.jp/collection/eu/images/cezanne_magattaki-web2.jpg

非常に優れた色彩感覚と、なんでも●・▲・■にしてしまう癖と、もう一つの癖である余白というか「書き残し」

凡百な美術科の教師だったら、余白もちゃんと描きなさいと言いそうな。

でも、この絵は余白があるから、画面の鮮やかさが引き立つ。

微妙なバランスでなりたっているなぁと感心させられた。

 

ポール・セザンヌ 《プロヴァンスの風景》 1879-1882年

プロヴァンスの風景 1879-1882 ポーラ美術館

ポーラ美術館HPより引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/files_mf_collection/cache/th_d8399901d709490dbf8a92fe7c7970ba_0000690001.jpg

▲祭りだぁ~

ひたすら、色とりどりの三角形を組み合わせて、崖の木々の葉や家の屋根も、三角形でできている。

ちなみに、家全体は五角形の方体であるなぁ。

どんな絵を描いても、木々の緑の三角形。

ピカソのキュビズム時代の絵画に非常に強い影響を与えている。

 

 

ポール・セザンヌ 《オーヴェール=シュル=オワーズの藁葺きの家》 1872-1873年

オーヴェール=シュルの藁 1872-1873 ポーラ美術館

 

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座る農夫 1897年頃 ひろしま美術館

画像は、ひろしま美術館HPから引用https://hiroshima-museum.jp/collection/eu/images/cezanne_suwarunoufu-web2.jpg

 

パウロ・ピカソ

ワタシ偏屈堂は、キュビズムでブレークする前の「青の時代」の若い頃の絵が好きだ。

あと、正直に言ってしまうと、ワタシ偏屈堂はキュビズムは余り好きではないし、よくわからん(苦笑)。

面白いのは、ピカソは自分の子供はちゃんと可愛く書くんだ(笑)

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(左)海辺の母子像 1902 ポーラ美術館

(右)酒場の二人の女 1902 ひろしま美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/03/o-16_01.jpg

 

パブロ・ピカソ 《花束を持つピエロに扮したパウロ》 1929年

花束を持つピエロに扮したパウロ 1929 ポーラ美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/files_mf_collection/cache/th_d8399901d709490dbf8a92fe7c7970ba_0006900001.jpg

 

アンリ・マティス

鮮烈な色彩感覚。パンチが効いている。

もう、二次元・三次元なんて関係ない。

従来の絵画は、カンバスという二次元に三次元を表現するための営みだったと思うのですが、20世紀の前半に生きたマティスは、それを突き破っている。まさに野獣(フォーヴ)だ。

アンリ・マティス 《襟巻の女》 1936年

襟巻の女 1936 ポーラ美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/files_mf_collection/cache/th_d8399901d709490dbf8a92fe7c7970ba_0002060001.jpg

 

アンリ・マティス 《リュート》 1943年

リュート 1943 ポーラ美術館

画像は、ポーラ美術館HPから引用https://www.polamuseum.or.jp/wp/wp-content/files_mf_collection/cache/th_d8399901d709490dbf8a92fe7c7970ba_0002020001.jpg

 

ラ・フランス 1939 ひろしま美術館
画像は、ひろしま美術館HPから引用https://hiroshima-museum.jp/collection/eu/images/matisse_la-france-web2.jpg

 

赤い室内の緑衣の女 1947年 ひろしま美術館

画像は、ひろしま美術館HPから引用https://hiroshima-museum.jp/collection/eu/images/matisse_akaiheya-web.jpg

もう、壁と床の区別なんて意味がないのさ、赤、赤、赤!

 

ラウル・デュフィ

マティスと同じく絵画の常識を軽々と超えている。

デュフィの魅力は、色水のような色彩をバックに、サラサラと対象を線で描く。池大雅や与謝蕪村などの文人画みたい。

いかにも、パリジャンらしいお洒落で軽みを感じさせる。

パリ 1937 ポーラ美術館

 

アルベール・マルケ

マルケの絵は、独特の静けさがある。

自室の壁に飾りたい。まぁ、買えないけど。

ポン=ヌフとサマテリーヌ 1940 ひろしま美術館

 

ピエール・ボナール

この人の風景画といっても、ボナールの中で再構成した世界。

でも、その世界は非常に明るく、穏やか。

自室に掛けておきたいなぁ。

あと、自分の奥さん・マルトのヌードを描くのが大好きな変な人でもある。

ミモザのある風景 1946 ポーラ美術館

 

地中海の庭 1917-1918 ポーラ美術館

 

浴槽、ブルーのハーモニー 1917 ポーラ美術館

 

構図は北斎漫画の影響かな。

 

アンリ・ウジェーヌ・ル・シダネル

画面から、不穏や不安を感じさせる。

一見、印象派みたな描き方なんだけど。

不気味さに惹きこまれてください。

ジェルブロワ、胸像 1902 ひろしま美術館(株式会社大和証券本社より寄託)

 

三本のバラ 1925 ポーラ美術館

 

離れ屋 1927 ひろしま美術館

 

夜、明かりに向かって中に彷徨い、家に入ったら・・・。

宮部みゆきの小説だったら、ここから事件が始まりますね。

 

<完>