ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』


ユダヤ人収容所の体験記

心理学者であり精神医でもあるフランクルの

冷静な観察と受難が書かれている




余りに生々しい描写は無いとはいえ

4日でパンがひとかけであったり

収容所では全てを剥ぎ取られ

裸にさせられた

過酷な肉体労働の後に薄いスープだけである

など余りに悲惨な状況であることは

これまでの自分の情報の中にはあるとは言え

本人の口から語られる事の説得力が違う


またこんな状況の中

どうすれば絶望せず、死なず(自殺せず)

解放の日を迎えることが出来たのかを考え続けている著者の強さを感じる


クリスマスと正月の間に多くの犠牲者が出た

という事実は

被収容者が生き延びる為

勝手に期限を設けてしまった為ではないかと

いついつまでに解放されると思うことで

生きながらえたが

その日を過ぎると精神が弱ってしまい

自殺者が増えた

生きる為にはその“意味“が必要である

“意味“には苦しむことも死ぬことも含まれる


これが大切な事かと思う

生きる意味と聞くと苦しみや死は

除外してしまう

生きるイコール生き延びるになってしまうが

そうでは無いとフランクルは書いている


また“人生に何を期待するか”ではなく

“人生に何を期待されているのか”という視点をもつ

とも書かれていた

この考え方は批評家の若松英輔さんも

おっしゃられていたように記憶する


このような事を考えてみると

自分の中からの視点以外に

客観視できるかどうかが大切なのではないか

自分との距離が近すぎない事の重要性を感じる


文章で読むの簡単だが

実践となるととたんに難しくなるだろう


自らに大きな厄災が降りかかったとき

大切な人に厄災が降りかかったとき

どう考え何を選択するのだろうかと

読後も考えている